明日があるさ (朝日文庫)
冒頭の「マンモス西を探して」にまず共感する。名作『明日のジョー』最後のホセ・メンドーサとの世界タイトルマッチの観客、あるいはどの場面でもジョーの最初の頃の相棒だった西はでてこない。ウルフ金串、少年院時代の仲間、どさ回り拳闘の連中まで顔をそろえるのに、いくらスーパーの経営が忙しいといったって、ラジオくらい聞いたっていいもんじゃないか。でもやがて重松はそのことを受け入れる。「燃え尽きて真っ白な灰になるかっての相棒に背を向け、物語の外にはじき出されてしまうことで、西は、真っ白な灰ではないージョーの言葉を借りれば「燃えかす」としての生を得たのではないか」。ほとんどの人はジョーになれるわけではない。だとすれば「燃えかす」「あまり」の生き方を見事に生きてみたい。重松清はその応援団を買って出る。基本的に優しい男ではある。
リストラやいじめ、地域社会も形骸化した現代、残された絆は『家族』だけなのだろうか。だとすれば、重松清の小説はこれからさらに読まれつづけられるだろう。
このエッセイでは、重松清がずっと小説に描くことが出来なかった題材を、エッセイの形だからこそなのか四編も書いていて、私はやっと『S君』がどういう人で、重松清にとってどういう意味を持っていたのか分かった。なるほど家族をテーマにしている以上、これは簡単には書けないよね。でもいつかは書くだろうと思う。子供がS君の歳に近づいていけば。
リストラやいじめ、地域社会も形骸化した現代、残された絆は『家族』だけなのだろうか。だとすれば、重松清の小説はこれからさらに読まれつづけられるだろう。
このエッセイでは、重松清がずっと小説に描くことが出来なかった題材を、エッセイの形だからこそなのか四編も書いていて、私はやっと『S君』がどういう人で、重松清にとってどういう意味を持っていたのか分かった。なるほど家族をテーマにしている以上、これは簡単には書けないよね。でもいつかは書くだろうと思う。子供がS君の歳に近づいていけば。
明日があるさ
昨年(2001年)、RE:JAPANが「明日があるさ」をリバイバルした。それをたまたま喫茶店で聴いて、突然、数十年前の中学生のときの自分の感覚がよみがえり、胸がわくわくした。さっそく青島幸男作詞、中村八大作曲で坂本九ちゃんが唄ったこのオリジナルのほうを購入して昔をなつかしんだ。これは、想い出の歌を持っていることのすばらしさを、中年になってつくづく感じさせてくれる歌だ。