O嬢の物語 (河出文庫)
一読して日本人には描けないタブ-の美しさを感じた。
渋沢龍彦の翻訳はさすがの出来で、西洋小説の構築を全く以って壊していない。むしろ、私たちに仏蘭西小説の普遍的な美しさを目前に展開させてくれる。
今、騒がれている芥川賞の作者と比べようもできない倒錯の世界が完璧に描かれ、現実感と幻想とを織り交ぜ、毒という甘美な福音をもたらしてくれる真実の小説である。
鉱物見タテ図鑑 鉱物アソビの博物学 (P-Vine Books)
天然鉱物のの造形美を見立てて、遊ぶオールカラー標本BOOK。
鉱物を見立てる事で、単なる綺麗な石が別のものに見えてしまう面白さが伝わってくる写真集でした。
鉱物を見立てるという発想が面白いと思います
悪徳の栄え〈上〉 (河出文庫)
マルキ・ド・サドは、今から198年前の1814年12月2日、74歳で天寿を全うしたフランスの作家。
人類史上最大の淫乱放逸な性倒錯の実践者にしてその記述者。黙って密かに楽しめばよいものを、公然と大ぴらに侯爵という地位を笠に着てやったものだから、反社会的というレッテルで見られて、合計およそ30年と1か月投獄され、パン1本を盗んで19年牢獄にいれられたジャン・バルジャンより過酷な人生を実際に送った人。
でも、その監獄生活のおかげで著作を書けたというのですから、容認というか、彼を牢屋に入れてくれた人に感謝状を。
というより、サディズムという言葉を現代にまで残したというか、人間の崇高で野蛮な根源的性行を現代に根づかした偉大な預言者。
サドを知れば知るほど、人間がこれほどまでに性的欲望に狂気・執着するのだということを思い知らされて、私たちのレベルではお話にもならないことを、否応なしに自覚させられます。
それから、何といっても、このサドをあの澁澤龍彦訳で読める幸せ。
ただし残念ながら、彼がしたことと書いたことの正確なその実体は、あからさまにここに書き写すことを私たちの市民社会は拒否するというか、つまりあまりにも公序良俗から逸脱することがらなので躊躇せざるを得ませんので、どうか興味と関心のある方は原典にあたって密かにお愉しみ下さいませ。
さかしま (河出文庫)
血縁結婚を繰り返した貴族の末裔デ・ゼッサントの生涯に仮託して、作者の思弁を奔放に綴ったもの。大まかには、ゼッサントが美と頽廃の「人工の小宇宙」を築いて行く過程とその末路を描いた作品。「さかしま」とは英語で「Against Nature」、即ち「道理にそむくこと」の意であり、基本的に愚俗を忌み、知性と人工を賛美する内容となっている。訳者は私の好きな澁澤氏で、翻訳臭さを全く感じさせない練達した文章になっている。
城館での孤独な子供時代。世間の人々を全て俗人と見なし、性的放蕩に耽ったイエズス会学校時代。放蕩のため遺産を食い潰し、性的欲望も減退し、フォントネエと言う田舎町で隠遁生活を送る道を選んだ経緯。好みの彩色・書物・絵画・調度類で埋められた隠遁邸。知的詭弁による「本物と変わらぬ幻想の悦楽」の信奉。第三章を通して語られる10世紀以前のラテン文学批評。通常の小説の枠組みを越えた構成である。動植物・宝石・酒・音楽に関する煌く考察は澁澤氏のエッセイの様。第五章の絵画の論考は圧巻で、モロオ「サロメ」・「まぼろし」とロイケン「宗教的迫害」は頽廃と残虐の象徴である。しかし、彼の希求する生活は知的な"修道僧"のものなのである。一方、涜聖の罪を犯した事に自負心・慰安を覚える矛盾。夥しい畸形植物から喚起される梅毒のイメージ。そして、"特殊な善意"なしの自由・思想・健康を否定する精神。第十二章の宗教書論評は日本人には苦しいが、次第に涜聖とサディズムの考察に移行する辺り計算尽くか。「サディズムの魅力=禁断の享楽」なのである。傾倒するボードレールとポーの愛情概念の分析も読ませる。
日陰に蔓延る陰花植物の様な思弁は、19世紀末のフランス知識人のある種の閉塞感・厭世観を表出させたものと言え、文学的評価は兎も角、貴重な作品に思えた。日本を含む東洋美術への言及が多い点も印象的だった。
快楽主義の哲学 (文春文庫)
大学時代に出会って以来、何か勝負に出るときや決心を固めなければいけないときに読む本です。
引越しが多くコレクター心のない私は、本を読んだらすぐ人にあげたり売ったりしてしまうのですが、この本はヘッセのデミアンと並んで数少ない蔵書の一つです。
人生に目的などない。幸福なんて曖昧なものではなく快楽を求めよ。
人によっては何当然のこと言ってるの、くらいであまり強いインパクトがないかもしれませんが、人生とは何か、私はどう生きるべきか、そんな青臭いことを真剣に思いつめていた当時の自分には軽いパラダイムシフトにもなりました。
大人になった今でも、どこか守りに入っていると思ったときに読むと、ぱあっと視界が広がるような気持ちになります。
ただしやはり少し昔の本なので、すでに快楽主義的な方や十分攻撃的に生きている方には刺激が少ないかもしれません。
この本は、真面目すぎる方や、常識に囚われがちな方、人生の守りに入りそうな方が、新たな価値観を見つけたり、自分にできるんだろうかというような勝負を前に不安になっているときに「人生なるようにしかならないって」と、肩の力を抜くために読むといいのではないかと思います。
まあ実際は私がそうやって勇気をもらっているだけなのですが、デカダンス的な印象の強い澁澤氏も、実はとても真面目で常識的な人だったのかなあと勝手な親近感まで抱いてしまいます。
近々覚悟して挑まなければならないイベントがあるので、また読み返してみようと思います。
これもある種の自己啓発本なのかもしれませんね。