快楽主義の哲学 (文春文庫)
博覧強記で知られ、特に性的倒錯や黒魔術と言った異界性のイメージが強い澁澤氏の快楽論。身構えて手に取ったが、文章は平易で、論理展開も明晰。冒頭でいきなり、「人生に目的なんかない」と言い切る。そして、「幸福と快楽」を次のように峻別する。幸福は主観的なもので持続性がある。例えば、ある宗教を信じて一生を信仰に捧げる。一方、快楽は客観的かつ瞬間的である。例えば、御馳走を食べたいと思うのは皆共通で、食べ終わればそれで終り。「文明の進歩は人類の幸福を増大したか」と言う命題は良く聞くが、"No"と答える。何故なら、苦痛・心配が増えた分、満足も増えたに過ぎないから。原始時代から考えると、人類は快楽を削って(近親相姦のタブー等)、幸福を増やそうとして来たが、現実生活に適応するために"ひきのばされた"消極的満足を求める心の結果であり、人間本来の欲求を阻喪させた。著者は無論、快楽を推奨し、以下これを阻む思想を論破する。
博愛主義のウソ。主義は万人のためではない(秘密で良い)事。「汝自身を知る」事の自縮性。動物的生き方が人間の本能・欲求に忠実な事。ヒューマニズムの否定。
続いて、快楽主義の定義と快楽を生み出す具体策。様々な東洋的(自然)快楽主義と西洋的(反自然)快楽主義が紹介される。更に「性的快楽の研究」として、セックスの快楽が採り上げられる。量より質、オルガスム能力の高さの美学(極地は情死)の問題と言う。人間はオルガスム能力が壊れた唯一の動物の由。乱交にも所有権・階級制度否定の哲学を見て、本来個人的な快楽を全体と融和させる唯一の方法と述べる。現代人の貧しい性愛生活に対し「労働と遊びを一致させる」方法を見い出す事が快楽主義の究極の目標と締め括る。
最後に快楽主義を実践した歴史の巨人達、李白、カザノヴァ、サド等が楽しく紹介される。「現実主義」を超越した「快楽主義」によって読む者の心身を解放する傑作エッセイ。
O嬢の物語 (河出文庫)
澁澤龍彦の訳書を読み漁っているうちに行き着きました。
澁澤によるサドの訳書が好きだったのですが、こちらの方が格段にレベルは高いと思いま
した。
SMどうこうというよりも、性の奴隷としてどこまでも堕ちてゆくかにみえる主人公が、
最終的にプライドやセックスといった、通常の価値基準を超越してしまう、という展開に
感動させられます。
ラストシーンは主人公の荘厳で気高い様が見事に描き出されていて、流石は澁澤といった
ところでしょうか。必読の一冊。
状況劇場 劇中歌集
1984年に発売されたカセット・テープ『音版「唐組」紅テント劇中歌集』(構成・監修・唐十郎、唄・李麗仙ほか、プロデュース・小室等、パルコ出版)が、ようやくCDで復刻された。1967年(昭和42年)「ジョン・シルバー」から1981年「お化け煙突物語」までの主要曲が、製作時点での再録及びテレビ番組録音も含め上演年順に並んでいる。曲間には当時の舞台を振り返る唐十郎と嵐山光三郎のDJが入り、澁澤龍彦 、渡辺えり、扇田昭彦、村松友視、衛紀生、清川虹子、蜷川幸雄のライナーも復刻され、新たに唐十郎、安保由夫の書き下ろしが加わるという豪華版だ。
アルバム冒頭とラストの山下洋輔トリオの演奏と状況劇場男性コーラスによる「よいこらさあ」は、伝説の新宿ピットイン「ジョン・シルバー」初演時の音ではなく、17年後の再録のようだ。山下(ピアノ)、中村誠一(サックス)、ドラムスが豊住芳三郎から小山彰太に代わっているとはいえ、当時の状況(劇場も含めて)を髣髴とさせる。そうなのだ、この音やこの感覚が新宿を中心として展開し始めていたのだ。残念だがオイラこのピットインでの初演を見てはいない。上京すればピットインに立ち寄るようになったのは、その公演直後からなのだ。
この頃、相倉久人は「すべての既成芸術は急速にエネルギーを失いつつあり、次代をになうイデオロギーは、行動が思想を生み出していく」として、「状況劇場――若松プロ――ジャズというライン」を提示し、「それは、小劇場――アングラ――商業主義的ジャズに対するアンチ・テーゼである」と状況劇場の公演チラシに書いている。地方のハイティーンとしては、新宿で渦巻いている熱気そのものを「アングラ」と思っていたのだが。実際、三者のジャンルを超えた相互浸透は、絵画、音楽、小説などの他ジャンルを巻き込み、時代が変わっていくこと、また変わりつつあることを実感させていった。
さて劇中歌に戻ろう。当初は唐独自の詩に依ってはいるが、ほとんどが替え歌であった。当時、フォークの六文銭リーダー小室等が曲を担当することにより、オリジナルの劇中歌が生まれてゆき、劇中音楽のスタイルを形作っていく。そして状況劇場座付作曲家とも言うべき安保由夫により、魅力的な劇中歌とエンディングのカタルシスという、状況劇場ばかりでなくアングラ演劇独自の劇中音楽スタイルが確立することとなったのだ。以後多くの劇団がその音楽スタイルの影響下に演劇活動を展開した。現在、状況劇場の流れを汲む新宿梁山泊にもそのスタイルは継承されている。
万有引力VOL.2 1983-1993
このCDには演劇実験室・万有引力の旗揚げ公演「シナの皇帝」から93年公演「大疫病流行期」までの曲が数曲づつ収録されています。
比較的、雑多な印象のあった前作vol.1に比べ、堅実な作りの作品に感じられる。
シーザー自身の歌唱もある一曲目の「引力零年」~シナ大滅亡をはじめ、名作「身毒丸」で素晴らしいソプラノを聞かせた塩原昌代さんの歌唱や、天井桟敷からそのまま移籍した俳優陣など、
83年から93年という時期は劇団が非常に安定していた時期なのだろうと推測され、全編にわたり非常に高いクオリティを保っています。
そして新生asian crackの活動第一作であった前回と違いノウハウが掴めたためなのかはわからないが、ブックレットの作りなども前作に比べ向上しているような気もします。
また、元来後追いのファンにとって空白期であったこの時期の楽曲のCD音源化というのは、もはや値千金としか言えないでしょう。
少女革命ウテナなどに使われた楽曲に見られた万有引力の中期以降の音楽と天井桟敷時代の音楽に関しては従来一部のファンによって音楽性の変化が指摘されていましたが、この作品の発表によってその謎はほぼ解かれたと言えると思います。
シーザー自身の発言に、寺山脚本の不在による力不足を埋めるため、合唱曲を多用する万有引力スタイルとも言える演出が生まれたとの言があるが、その音楽性は本質的に何も変わっていないといえるでしょう。
天井桟敷時代は寺山作品を演出するための音楽。万有引力時代は劇の傾向ががより難解でシュルレアリスムに傾倒した傾向があり、楽曲の歌詞には澁澤龍彦等からの引用も多い。それにあわせた演出をするための音楽というのが万有引力期の音楽なのだろうと思われます。
70年代後期以降のシーザーの音楽は多少の変化はあれど、別に時代の変遷による隔絶、乖離がみられるわけでなく、その変化は演出する題材の違いに過ぎないように感じられました。