Williams FW16 1994 ( Joe Honda racing Pictorial series by HIRO No.15)
Joe Honda racing Pictorial seriesでしか、なかなか1台のマシンの詳細な写真は手に入らないのでプラモ制作の良い資料本となっています。今後も既販F1プラモのものを出版してもらえるとうれしいですね。
THE HERO AYRTON SENNA―時代を駆け抜けた英雄の光跡 (SAN-EI MOOK)
F1史上、スタードライバーは数多く存在した。50年代、黎明期のJ・M・ファンジオ、60年代、J・クラーク、70年代、J・スチュワート、N・ラウダ、80年代、N・ピケ、Aプロスト、90年代〜M・シューマッハー・・・いずれも複数回チャンピオンに輝いたスターではあるが、その中でも一段と輝きを放つA・セナのそのレース人生の足跡を追ったムックである。F1以前、F1デビューからチャンピオンになる迄、そしてあの瞬間まで・・・を様々な写真と海外F1誌の記事の抜粋などからその足跡を追い、そして巻末のシューマッハーやベルガー、ヒルなどによる94年サンマリノGPレースを走ったドライバー達の「あの日の証言集」がやはり胸を打つ・・・やはり、皆、複雑なというか、どうしたら良いか解らない状況下でのレースだったとのことで、あの時の現場は如何ばかりだったろうと推測できる。セナが駆った数々のマクラーレンの名車達も紹介されてはいるが、やはり、もう、その「主」を失ったマシン達には寂しさが漂う・・・最後までトップを走ったまま、まさにF1の様に速過ぎる人生を駆け抜けた不世出のスター、音速の貴公子ことA・セナのレース人生・・・もし、もし存命なら、やはりフェラーリにも乗ったのかな・・・?どうしてもセンチメンタルになってしまうね・・・寂しすぎるよアイルトン・・・
1/20 カートシリーズ No.2 アイルトン・セナ カート 1993
アイルトン・セナは1994年にレース中で死亡。何故その前年でのシリーズラインナップ化。思いあたるのは日本テレビ放送網が制作、全国ネットされた『とんねるずの生でダラダラいかせて』の人気コーナー。生ダラカートにアイルトン・セナが登場、石橋貴之と対決。レース結果はアイルトン・セナコースショートカットの為反則負け。 キットはアイルトン・セナイメージフィギュアはクリアパーツ。カート本体は白色成形。シャフトパーツと水転写式マーキングシールが付属。カート本体は全塗装前提ですが、一部パーツは接着面積が足りない。アイルトン・セナイメージフィギュアの重量があるために、なんらかの補強が必要です。またフィギュアはクリアパーツのためにプラスチックが固いためにポーズ変更が困難です。しかしパーツがクリアだけに角度調整は比較的にスムーズに出来ます。ただし首とヘルメットを繋ぐボールジョイントは市販のポリユニットもしくは関節技に交換したほうが組み立てが楽です。残念ながらセナのヘッドパーツは付属しないので、自作する必要があります。 キットは初心者向けでなく上級者向けでネタ遊び(同スケールフィギュアを載せ変え)に向かないキットで残念でした。
アイルトンセナカートデュエル2
カートレースを題材にしたシリーズ2作目。
カートのチューニングの要素が加わり、ギアレシオなどを変えられる。
コースは8種を収録。
前作のコースはほとんど路面だけのようなモデリングだったが、
今回はコース脇の装飾が増やされた。
しかしそのかわり、描画される奥行きがかなり短く、遠くが見えない。
カートがポリゴン数を食っているという事情もわからなくはないけどこれはつらい。
ビジュアル面ではかなり弱いゲームになっている。
コースの1周がどれも非常に短いのももの足りない。
前作同様、現実離れして速すぎ、曲がりすぎで余裕がなく、ドライビングプレジャーの感じられない内容で、
ぱっと見だけカートのふりをしたリッジレーサーもどきのように見えてしかたがない。
現実のカートに近づけようという姿勢が前作以上に感じられない。
他のレースゲームと比べても、これといった長所がなく、
やってもやらなくてもいいような平凡な内容に思える。
ネジコンに非対応になったのも前作より悪くなった部分ではある。
セナvsプロスト―史上最速の”悪魔”は誰を愛したのか!? (SAN-EI MOOK)
この本を一言で言うと、セナ没後のプロストの視点(08年当時)が加わった「セナ本」です。
プロストだけでなく、ディレック・ワーウィックやナイジェル・マンセル、デーモン・ヒル、ゲルハルト・ベルガー等セナと近しいドライバー達やチームスタッフ達がそれぞれセナという強烈な才能と独特のキャラクターをどのように見ていたのかを、セナが死に至るまでの時系列で紹介しながら、究極的には「セナはどのようにセナだったのか?」にフォーカスが当たっています。
本書ではセナ自身がプロストを特別視していた事実が記されているのですが、その当人であるプロストが、感情的なシコリが洗い流されるだけの時間も経った08年時点で、セナとの戦いを振り返る言葉にはリアリティがあります。
プロストとセナの闘争は、「死」に対する距離感があまりにも違いすぎる二人が、その「死」と常に隣り合わせのレースで競い合っていた事で二人のキャラクターが浮き彫りになっていきました。
そして、プロストが亡きセナを語っているその事実こそが結果なのだというのが読後の素直な感想です。
セナの死について語るデイモン・ヒルの数々の言葉は核心に触れています。
そして本書の結び。
「人生とは、容易ならざるものだ。アイルトンはすべてを手にしていた。マネーも、そしてサクセスも。しかし人は一瞬にして、すべてを失う事もある。事故によって、あるいは私の兄ダニエルのように病気によって----。
人生は短い。このことを決して忘れてはならない」(アラン・プロスト)