機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)
横光文学を代表する作品「機械」。
ネームプレート製造所で働く四人が引き起こす騒動を通じて、
人間存在の不確実性が仮借なく暴かれる。
自分が確信を持っている事柄であっても、それが客観的に明瞭な事実であるとは限らない。
当然のことながら、主観的な確信と客観的事実の間には大きな隔たりがあるのだ。
それでは、客観的事実ではない事柄について確信を持っている自分自身とは一体何なのか?
ここで読者は「存在」の迷路に迷い込む。
「誰かもう私に代わって私を審(さば)いてくれ。私が何をして来たか
そんなことを私に聞いたって私の知っていようはずがないのだから。」
このように終わる本作で、横光は人間存在の深淵に迫った。
ネームプレート製造所で働く四人が引き起こす騒動を通じて、
人間存在の不確実性が仮借なく暴かれる。
自分が確信を持っている事柄であっても、それが客観的に明瞭な事実であるとは限らない。
当然のことながら、主観的な確信と客観的事実の間には大きな隔たりがあるのだ。
それでは、客観的事実ではない事柄について確信を持っている自分自身とは一体何なのか?
ここで読者は「存在」の迷路に迷い込む。
「誰かもう私に代わって私を審(さば)いてくれ。私が何をして来たか
そんなことを私に聞いたって私の知っていようはずがないのだから。」
このように終わる本作で、横光は人間存在の深淵に迫った。
日輪・春は馬車に乗って 他八篇 (岩波文庫 緑75-1)
新感覚派の旗手、横光利一の代表的な短-中篇をまとめた作品集。志賀直哉に私淑し川端康成を盟友とする横光ですが、真摯な思索を重ねて独自の作風を探り、彼らに匹敵する作品を発表しました。斬新な表現、実験的な試みには今なお新鮮さと説得力があります。
『日輪』『蠅』は横光のデビュー作。前者は卑弥呼をめぐる古代の男たちの闘争を独特なリズムの台詞と硬質な文体で描いた雄大な作品。面白いのですが、やや気負いと硬さが感じられます。後者は蠅の視点から微細な描写が積み重ねられるモンタージュ的な作品ですが、最後の数行で破滅的な結末へと集約し、目の醒めるような鮮やかさがあります。
『機械』はヨーロッパ心理主義文学の影響の下に書かれています。しかしその技法は慎重な考究によって厳しく鍛錬され、新たな問題を提起するに到ります。文章は一人称の「私」によって書かれているのですが、精密な心理描写によって客体化されてしまい、それではこの物語を報告する主体は何者なのだろう、と考えさせてしまう。「私」や「自由意志」といった概念の虚構性が肌で感じられて、ちょっと怖くなりました。
『春は馬車に乗って』『花園の思想』は著者の体験が核になったある種のサナトリウム文学ですが、このジャンル特有の青臭い過剰な詠嘆が苦手で、個人的には馴染めませんでした。ただし、両者は同時期に書かれていながら対照的な作風であり、終盤に「恍惚として」という言葉が互いに異なる意味合いを匂わせて用いられているあたり、最初から一対の作品として構想されていたように思えます。このように私小説的な主題を非私小説的な技法で表現みせるのは、やはり横光らしく思えます。
その他に『火』『笑われた子』『赤い着物』等。いずれも簡素でありながらどこかシュールで、著者の非凡さが窺われます。
新感覚派のみならず近代日本文学の歩みを知るには避けて通れない一冊。ぜひ一読をお奨めします。
『日輪』『蠅』は横光のデビュー作。前者は卑弥呼をめぐる古代の男たちの闘争を独特なリズムの台詞と硬質な文体で描いた雄大な作品。面白いのですが、やや気負いと硬さが感じられます。後者は蠅の視点から微細な描写が積み重ねられるモンタージュ的な作品ですが、最後の数行で破滅的な結末へと集約し、目の醒めるような鮮やかさがあります。
『機械』はヨーロッパ心理主義文学の影響の下に書かれています。しかしその技法は慎重な考究によって厳しく鍛錬され、新たな問題を提起するに到ります。文章は一人称の「私」によって書かれているのですが、精密な心理描写によって客体化されてしまい、それではこの物語を報告する主体は何者なのだろう、と考えさせてしまう。「私」や「自由意志」といった概念の虚構性が肌で感じられて、ちょっと怖くなりました。
『春は馬車に乗って』『花園の思想』は著者の体験が核になったある種のサナトリウム文学ですが、このジャンル特有の青臭い過剰な詠嘆が苦手で、個人的には馴染めませんでした。ただし、両者は同時期に書かれていながら対照的な作風であり、終盤に「恍惚として」という言葉が互いに異なる意味合いを匂わせて用いられているあたり、最初から一対の作品として構想されていたように思えます。このように私小説的な主題を非私小説的な技法で表現みせるのは、やはり横光らしく思えます。
その他に『火』『笑われた子』『赤い着物』等。いずれも簡素でありながらどこかシュールで、著者の非凡さが窺われます。
新感覚派のみならず近代日本文学の歩みを知るには避けて通れない一冊。ぜひ一読をお奨めします。