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沖縄やくざ戦争 [DVD]
沖縄返還の翌年、本土からの侵攻に備え、沖縄のヤクザは沖縄連合琉盛会を結成。しかし、千葉真一演じるキレキレの狂犬ヤクザ国頭が、沖縄で遊んでいた曽根晴美演じる大阪朝日会の幹部工藤を轢殺してしまう。琉盛会は、梅宮辰夫演じる朝日会の幹部海津に詫びを入れ、手打ちのために国頭の首を差し出すことを決定する。実行を命じられたのは、松方弘樹演じる国頭の弟分である中里。渡瀬恒彦演じる中里の舎弟である宏は国頭をクラブで射殺するが、中里が琉盛会幹部と結んだ約束は果たされず、逆に中里一派は国頭の復讐を狙う地井武男演じる石川ら国頭一派の攻撃を受ける…。
快作と言っていいと思う。メチャクチャハードな暴力描写とスピード感のある展開で最後まで目が離せない。なんかもう最近の邦画とは馬力が違うね。
キャラクターも良い。下の者の生活のために殺しを引き受け、耐えに耐えて逆襲に転じる松方弘樹。小物っぽさが素晴らしい成田三樹夫。クセのありそうな地井武男。調子のいいスケベ野郎だが、律儀に最後まで親分に付き従う渡瀬恒彦。その渡瀬を体を張って助ける尾藤イサオ。ペンチで金玉をつぶされて絶叫する室田日出男。大物の余裕がたっぷりの梅宮辰夫。本当に、どいつもこいつも生き生きと生命感に溢れていて、実に素晴らしい。
そして何より素晴らしいのが、狂犬ヤクザ国頭を演じた千葉ちゃんだ。タンクトップに迷彩ズボン、空手で飲み屋のテーブルを叩き割り、「戦争だ〜いすき」と嘯き、しかし、故郷である沖縄に対する愛と沖縄人としての矜持に溢れていて、その結果命を失う。その死にっぷりの豪快さに笑ってしまう。千葉真一、一世一代の大熱演である。これに匹敵するのは「戦国自衛隊」か「仁義なき戦い 広島死闘編」くらいじゃないのか。とにかく、千葉ちゃんのファンや実録ヤクザ映画のファンだという方は、必見の作品だと思う。お見逃しなきよう。
快作と言っていいと思う。メチャクチャハードな暴力描写とスピード感のある展開で最後まで目が離せない。なんかもう最近の邦画とは馬力が違うね。
キャラクターも良い。下の者の生活のために殺しを引き受け、耐えに耐えて逆襲に転じる松方弘樹。小物っぽさが素晴らしい成田三樹夫。クセのありそうな地井武男。調子のいいスケベ野郎だが、律儀に最後まで親分に付き従う渡瀬恒彦。その渡瀬を体を張って助ける尾藤イサオ。ペンチで金玉をつぶされて絶叫する室田日出男。大物の余裕がたっぷりの梅宮辰夫。本当に、どいつもこいつも生き生きと生命感に溢れていて、実に素晴らしい。
そして何より素晴らしいのが、狂犬ヤクザ国頭を演じた千葉ちゃんだ。タンクトップに迷彩ズボン、空手で飲み屋のテーブルを叩き割り、「戦争だ〜いすき」と嘯き、しかし、故郷である沖縄に対する愛と沖縄人としての矜持に溢れていて、その結果命を失う。その死にっぷりの豪快さに笑ってしまう。千葉真一、一世一代の大熱演である。これに匹敵するのは「戦国自衛隊」か「仁義なき戦い 広島死闘編」くらいじゃないのか。とにかく、千葉ちゃんのファンや実録ヤクザ映画のファンだという方は、必見の作品だと思う。お見逃しなきよう。
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ベスト・アルバム
ベスト、と銘打たれていることに疑問を感じますし、「BANG!」「ひらく夢などあるじゃなし」を聴いたあとではいささか地味ですが、なかなかの佳曲揃い。ハイライトは(3)(7)(10)あたりでしょうか。(5)なんて完全に呪われた歌といってよい。おどー!いわゆるJポップとかいう音楽もどきとは対極に位置する作品。平服。10年後も聴いてます。
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田原総一朗の遺言 永山則夫と三上寛/田中角栄 [DVD]
かつて平岡正明スピークスの「クロスオーバー音楽塾(講談社)」の中で、三上寛が登場し次のような発言をしていた。「田原さんの番組で小泊に行ったんだ。ところが小泊は三回の大火で焼かれたんで、家はみな新しい。田原さん狂っちまってね、流木があって、婆さんがガックリきていて、イタコの口寄せがあるという青森のイメージがないんだ。そこで、やらせをやるのよ。俺はバカらしくなって帰っちゃったら、あとで三上は逃げたと言われた(笑)。」・・・・この発言の元となったドキュメンタリーが1970年作品のこの本編であった。
最初に断っておくが、この作品は連続射殺魔・永山則夫を扱ったものではない。同じ郷里・青森から上京し、当時まったく無名であったフォークシンガー・三上寛に焦点が当てられている。1969年6月に三上は田原と最初に会っている。新聞配達の顧客であった人から天井桟敷を退団したカルメン・マキが「今度、新しい劇団を作るからオモシロイ奴を紹介してくれないか」との誘いで出掛けていったのが東京12チャンネルで、ロビーにいたのがディレクターの田原とマキ、りりィ、マキのヒモであった支那虎であった。田原は直感的にこの青森出身の若者(この時、三上は19歳であった)と番組を作ってみたいと思ったという。「もう一人の永山則夫・三上寛」はこうして始まった。収録作品は新聞配達をしていた三上寛へのインタビューから始まる。「永山は東京に負けたんだ。しかし俺は負けない。俺は俺自身の殺し方をするんだ。芸術家はみな殺す。特に詩人といった連中はみな殺す。」この時の三上は目が血走り、殺気立っている。三上自身は本当は詩人になりたくて上京して来たのであった。その詩人を殺すとは、どういうことなのだろうか。渋谷のライブハウス「ステーション70」で「カラス」を熱唱する三上。背後では「田舎から出て来て、土着とか第二の永山とか言われて、そんなに有名になりたいのかね・・・」といった罵詈雑言が流れ、意図的に三上を追い詰めていく。場は暗転して、三上は新宿のホコ天にいた。次から次へと若者をつかまえて「永山を知ってるだろう?津軽弁による芝居をやりたいんだ。そこで、あんたに"東京の人"の役をやって欲しいんだ。どうかね?ウンと津軽をバカにしてくれればそれでいいんだ」口角沫を飛ばす三上の誘いに誰もが拒絶する。田原と三上は青森の小泊に乗り込む。かつての中学の同級生に会い「永山の芝居をやりたいんだ。一緒に東京に行こう」と津軽弁でまくしたてる。そもそも、この永山の芝居というものが、どのようなモチーフで、どのような内容を含んでいるかは全く明らかにされていない。唯々、永山を引き合いに出して扇情的に議論を吹っ掛けているのである。かつての同級生を前にして三上は心情を吐露する・・・「みんな永山だと思うんだ。永山が一番偉いところは、人を殺してまでも生きていきたいと思ったところだよ。俺は生きたいんだよ。人を殺してまでも生きたいんだよ・・・」
そして40年ぶりに田原総一朗と三上寛はこのドキュメンタリーを振り返る。三上は、永山が捕まったとき「正直、津軽衆から全国に名を挙げた永山の犯罪を喜んだ」と回想する。東北という抑圧された土地から突破口のようなものを開けてくれたのが永山則夫だったという理解である。彼の中では永山は真逆のヒーローでありつづけた。そして、例の永山の芝居については、「当時は全共闘に象徴される怒れる若者の時代であった。しかし彼らは大学生である。中卒・高卒である我々にも表現する何かが欲しかった」と述懐する。1970年、団塊世代の大学進学率はわずか15%である。圧倒的にこの時代の高度経済成長を支えたのは"金の卵"といわれた中卒・高卒者であった。三上の父は小泊村の役所勤めであったため、三上は高校に進学できた一人であった。しかも警察学校に進んでいたのだから、優等生だったのである。その事が残りの同期生に対する負い目でもあった。小泊の同期生120名のうち高校に進めたのはわずか10名で、残りは漁師になるか東京に集団就職するかであった。そして、そのほとんどが職を転々とし、流浪するのである。故郷からは弾き飛ばされ、また東京からも弾き飛ばされるのである。
ここで田原から衝撃的な告白が述べられる。田原はカルメン・マキのドキュメントをすでに発表していた。つまり、マキに歌を歌わせたらどうかと天井桟敷主宰の寺山修司に話を持ちかけたのは田原自身であって、マキが歌った「時には母のない子のように」が大ヒットしたのである。カルメン・マキと三上寛。この個性的な二人と出会って、田原はこのドキュメンタリーを通して三上を第二のマキにしたかったと述べている。しかし、皮肉にも三上のレコードデビューに手を貸したのは田原の上司であった、ばばこういち氏であった。ステーション70で歌っていた三上をばばこういちは訪れて密かに注目していたのである。ところでこの渋谷のステーション70というライブハウスは新左翼や新右翼の活動家が出入りする政治的空間でもあった。オーナーである牧田吉明は三菱重工業の社長の御曹司であったが、裏ではピース缶爆弾事件に係わった「爆弾屋」の通称を持つアナーキストであった。阿部薫、吉沢元治、高柳昌行らのフリージャズメンたちが熱い演奏を繰り返していたのもこの場であった。三上はここで阿部勉という楯の会の若きリーダーとも知遇を得ている。極左極右の二人の理論家に見いだされたということは、その後の三上の歌を決定づけるものであった。彼の初期作品に「小便だらけの湖」というアナーキーな作品があるけれど、この頃の三上の心境を実にうまく表出していると思う。郷里・小泊と東京という磁場に引き裂かれた三上の怨情がこの歌にはある。三上は言う。「音楽家とか芸術家という者は毒をまき散らすものであり、犯罪的でなければ、その存在価値はない。己の暴力を管理する能力を持った者が真の芸術家である。」また、この頃深く心酔していた寺山修司から「革命的な歌を歌う必要などないんだよ。歌を革命すればいいんだよ。」と励まされたという。ここに三上寛の原点があるような気がしてならない。その後、40年間、三上には歌に対する確固たるスタンスを守ってきたという自負を読み取ることができる。最後に彼の代表曲である「夢は夜ひらく」を熱唱してこのDVDは終わる。ひとつだけ残念に思ったのは、この作品のできあがった経緯を三上寛本人の口から聞き出せなかったことである。40年前、ドキュメンタリー作家・田原総一朗とフォークシンガー・三上寛の熱い蜜月期があったのである。
最初に断っておくが、この作品は連続射殺魔・永山則夫を扱ったものではない。同じ郷里・青森から上京し、当時まったく無名であったフォークシンガー・三上寛に焦点が当てられている。1969年6月に三上は田原と最初に会っている。新聞配達の顧客であった人から天井桟敷を退団したカルメン・マキが「今度、新しい劇団を作るからオモシロイ奴を紹介してくれないか」との誘いで出掛けていったのが東京12チャンネルで、ロビーにいたのがディレクターの田原とマキ、りりィ、マキのヒモであった支那虎であった。田原は直感的にこの青森出身の若者(この時、三上は19歳であった)と番組を作ってみたいと思ったという。「もう一人の永山則夫・三上寛」はこうして始まった。収録作品は新聞配達をしていた三上寛へのインタビューから始まる。「永山は東京に負けたんだ。しかし俺は負けない。俺は俺自身の殺し方をするんだ。芸術家はみな殺す。特に詩人といった連中はみな殺す。」この時の三上は目が血走り、殺気立っている。三上自身は本当は詩人になりたくて上京して来たのであった。その詩人を殺すとは、どういうことなのだろうか。渋谷のライブハウス「ステーション70」で「カラス」を熱唱する三上。背後では「田舎から出て来て、土着とか第二の永山とか言われて、そんなに有名になりたいのかね・・・」といった罵詈雑言が流れ、意図的に三上を追い詰めていく。場は暗転して、三上は新宿のホコ天にいた。次から次へと若者をつかまえて「永山を知ってるだろう?津軽弁による芝居をやりたいんだ。そこで、あんたに"東京の人"の役をやって欲しいんだ。どうかね?ウンと津軽をバカにしてくれればそれでいいんだ」口角沫を飛ばす三上の誘いに誰もが拒絶する。田原と三上は青森の小泊に乗り込む。かつての中学の同級生に会い「永山の芝居をやりたいんだ。一緒に東京に行こう」と津軽弁でまくしたてる。そもそも、この永山の芝居というものが、どのようなモチーフで、どのような内容を含んでいるかは全く明らかにされていない。唯々、永山を引き合いに出して扇情的に議論を吹っ掛けているのである。かつての同級生を前にして三上は心情を吐露する・・・「みんな永山だと思うんだ。永山が一番偉いところは、人を殺してまでも生きていきたいと思ったところだよ。俺は生きたいんだよ。人を殺してまでも生きたいんだよ・・・」
そして40年ぶりに田原総一朗と三上寛はこのドキュメンタリーを振り返る。三上は、永山が捕まったとき「正直、津軽衆から全国に名を挙げた永山の犯罪を喜んだ」と回想する。東北という抑圧された土地から突破口のようなものを開けてくれたのが永山則夫だったという理解である。彼の中では永山は真逆のヒーローでありつづけた。そして、例の永山の芝居については、「当時は全共闘に象徴される怒れる若者の時代であった。しかし彼らは大学生である。中卒・高卒である我々にも表現する何かが欲しかった」と述懐する。1970年、団塊世代の大学進学率はわずか15%である。圧倒的にこの時代の高度経済成長を支えたのは"金の卵"といわれた中卒・高卒者であった。三上の父は小泊村の役所勤めであったため、三上は高校に進学できた一人であった。しかも警察学校に進んでいたのだから、優等生だったのである。その事が残りの同期生に対する負い目でもあった。小泊の同期生120名のうち高校に進めたのはわずか10名で、残りは漁師になるか東京に集団就職するかであった。そして、そのほとんどが職を転々とし、流浪するのである。故郷からは弾き飛ばされ、また東京からも弾き飛ばされるのである。
ここで田原から衝撃的な告白が述べられる。田原はカルメン・マキのドキュメントをすでに発表していた。つまり、マキに歌を歌わせたらどうかと天井桟敷主宰の寺山修司に話を持ちかけたのは田原自身であって、マキが歌った「時には母のない子のように」が大ヒットしたのである。カルメン・マキと三上寛。この個性的な二人と出会って、田原はこのドキュメンタリーを通して三上を第二のマキにしたかったと述べている。しかし、皮肉にも三上のレコードデビューに手を貸したのは田原の上司であった、ばばこういち氏であった。ステーション70で歌っていた三上をばばこういちは訪れて密かに注目していたのである。ところでこの渋谷のステーション70というライブハウスは新左翼や新右翼の活動家が出入りする政治的空間でもあった。オーナーである牧田吉明は三菱重工業の社長の御曹司であったが、裏ではピース缶爆弾事件に係わった「爆弾屋」の通称を持つアナーキストであった。阿部薫、吉沢元治、高柳昌行らのフリージャズメンたちが熱い演奏を繰り返していたのもこの場であった。三上はここで阿部勉という楯の会の若きリーダーとも知遇を得ている。極左極右の二人の理論家に見いだされたということは、その後の三上の歌を決定づけるものであった。彼の初期作品に「小便だらけの湖」というアナーキーな作品があるけれど、この頃の三上の心境を実にうまく表出していると思う。郷里・小泊と東京という磁場に引き裂かれた三上の怨情がこの歌にはある。三上は言う。「音楽家とか芸術家という者は毒をまき散らすものであり、犯罪的でなければ、その存在価値はない。己の暴力を管理する能力を持った者が真の芸術家である。」また、この頃深く心酔していた寺山修司から「革命的な歌を歌う必要などないんだよ。歌を革命すればいいんだよ。」と励まされたという。ここに三上寛の原点があるような気がしてならない。その後、40年間、三上には歌に対する確固たるスタンスを守ってきたという自負を読み取ることができる。最後に彼の代表曲である「夢は夜ひらく」を熱唱してこのDVDは終わる。ひとつだけ残念に思ったのは、この作品のできあがった経緯を三上寛本人の口から聞き出せなかったことである。40年前、ドキュメンタリー作家・田原総一朗とフォークシンガー・三上寛の熱い蜜月期があったのである。
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三上寛怨歌(フォーク)に生きる
日本が誇り、津軽が誇るフォーク・シンガー、三上寛さんの自伝。その青春時代から、近況にいたるまでの足跡を本人の言葉で語りつくしてくれている。
自分は三上寛さんのライブを何度か見たが、その歌を聴くたびに涙が出てきてたまらなくなる。あったかい、熱い涙が、ライブの何曲目かで必ず大量に流れ出してしまう。他のミュージシャンのライブを見てもそんなことは全くないのに。後から考えると、なぜ自分が泣いたのかもわからなかったのだが、この本を読むとなんとなく想像出来る気がする。
それは、歌に、音にこめている重さや熱さや冷たさと言った質の濃密さ、、他の人から受け取って聞いている人に手渡していく多くの念をこめた歌や音だったからではないかな、と思った。こう書いていてももどかしいが、言葉とはぴったりと重ならないもの、音とも密着しきれないものが三上さんの歌には詰まっていて、自分にとっては空位のままの父親であるかのように、津軽ではもうめったに会えない「はんつけにされても心優しくまっすぐで強いもつけ」のように、またはこの世では会えないはずの弥勒のように、ありえないほどの美しい世界を作り出してくれる。有り難い歌の世界。歴史上の人物のようだ。こんな人が今も生きているのが信じられないほどだ。
と言ってみても、三上寛さんの歌には程遠いし、この著書について何を書こうとここにこめられている言霊に釣り合う言葉を書ける自信がない。ライブの打ち上げでも、一言も声をかけられなかった。そばにいても、尊敬と緊張で気分が悪くなったほどだ。芸術に興味があるなら、三上寛さんの歌を聞いて、この本を読むべきだ。ライブ映像も動画投稿サイトにはいくつかアップされているし。好みが違ったとしても、日本で、日本語でこんな深みのある表現が出来ることを知ることは損がないと思う。この著書も、三上さんの肉声が生々しく聞こえるかのような濃密な一冊。
自分は三上寛さんのライブを何度か見たが、その歌を聴くたびに涙が出てきてたまらなくなる。あったかい、熱い涙が、ライブの何曲目かで必ず大量に流れ出してしまう。他のミュージシャンのライブを見てもそんなことは全くないのに。後から考えると、なぜ自分が泣いたのかもわからなかったのだが、この本を読むとなんとなく想像出来る気がする。
それは、歌に、音にこめている重さや熱さや冷たさと言った質の濃密さ、、他の人から受け取って聞いている人に手渡していく多くの念をこめた歌や音だったからではないかな、と思った。こう書いていてももどかしいが、言葉とはぴったりと重ならないもの、音とも密着しきれないものが三上さんの歌には詰まっていて、自分にとっては空位のままの父親であるかのように、津軽ではもうめったに会えない「はんつけにされても心優しくまっすぐで強いもつけ」のように、またはこの世では会えないはずの弥勒のように、ありえないほどの美しい世界を作り出してくれる。有り難い歌の世界。歴史上の人物のようだ。こんな人が今も生きているのが信じられないほどだ。
と言ってみても、三上寛さんの歌には程遠いし、この著書について何を書こうとここにこめられている言霊に釣り合う言葉を書ける自信がない。ライブの打ち上げでも、一言も声をかけられなかった。そばにいても、尊敬と緊張で気分が悪くなったほどだ。芸術に興味があるなら、三上寛さんの歌を聞いて、この本を読むべきだ。ライブ映像も動画投稿サイトにはいくつかアップされているし。好みが違ったとしても、日本で、日本語でこんな深みのある表現が出来ることを知ることは損がないと思う。この著書も、三上さんの肉声が生々しく聞こえるかのような濃密な一冊。