事実婚 新しい愛の形 (集英社新書)
「心と心の実質婚」という帯のコピーに惹かれて購入。
渡辺淳一といえば、近年はすっかりエロス&男の身勝手な願望爆発の恋愛小説ばかり書いているというイメージだったけれど、いやあ実に真面目な本なものだからビックリ。あえて入籍という形をとらない、でも単なる同棲よりは確かな「事実婚という新しい愛の形」について、体験者のケーススタディや弁護士との対談、さまざまな年代の未婚女性たちとの座談会、スウェーデンやフランスにおける事実婚制度の紹介……などなど、多面的に掘り下げているのだ。
事実婚は、まだ日本では法的に認められていないためデメリットも多い。だからこそ、事実婚をスタートする前に、さまざまなことを(日常の家事や生活費の分担から、生まれてくる子供の姓をどうするか、愛情が冷めて別れるときの財産分与まで)二人で話し合い、了解し合って、それをできれば弁護士を介在させて文書化しておくといい、と著者は勧めている。これって事実婚に限らず、一般的な結婚においても大事なことかもしれない。文書化どころか、話し合いもせずに流れで結婚しちゃうケースがほとんどで、一緒になってから「こんなはずじゃなかった」と思うこと多いんじゃないかな。結婚前に、二人でとことん話し合うことで、お互いの違いが見えてくる。自分という人間が本当は何を望んでいるかもわかってくるような気がする。
著者は、「別に自分は事実婚を勧めているわけじゃない。こういう選択肢もあることを知ってほしいだけ。いろんな選択肢があるのを知って、読者一人一人がそれぞ自分に合ったスタイルを選べばいい」と言う。私だったらどうするだろう……と考えて、自分がけっこう世間の目や常識にとらわれているということに気づかされた。そういう意味では、なかなか奥深い一冊かも。
まなざしの地獄
大澤真幸氏の分かりやすい解説と併せ、社会学的思考の醍醐味(凄み)を感じさせる一書。1965年と1973年に発表された二論考が収められているが、いずれも内容は古さを感じさせない。なお、本書で示された認識枠組みを今日的状況に当てはめたものとして、例えば見田氏の朝日新聞2008年12月31日付論説「リアリティーに飢える人々」がある。(こちらもまた素晴らしい考察である。)
両氏の考察を自分なりにまとめれば、本書に登場するN・N(集団就職者)も、昨年6月の秋葉原殺傷事件のT・K(派遣労働者)も、「家郷から、そして都市から、二重にしめ出された人間として、境界人というよりはむしろ、二つの社会の裂け目に生きることを強いられ」た(32頁)のであるが(期せずして二人とも青森県出身)、二人の違いは抽象化して云えば、前者がいわば世間という「まなざしの地獄」に抗し得なかったのに対し、後者は「まなざしの不在」に耐えられなかったという点にある。また、N・Nの時代(高度成長期)にあっては、失われた家郷は都市においていわば擬似的に縮小再生産(核家族)され得たのに対し、今日(未来不在の時代)にあってはそれすらも解体の方向にあり、例えば「ネット心中」に代表されるようないわば擬似ネット家族のようなものがヴァーチャルに浮遊しているに過ぎない。
われわれは如何なる時代を生きているのか、またこの荒涼たる時代を如何に生きねばならないのか、まずは確認することから始めたい。