自分は食べませんおすすめ度
★★★★☆
松永和紀氏の食品報道に関する一連の著作や中西準子氏らのリスク
評価の著作を読んで、BSE問題については「全頭検査なんて無駄なん
じゃねぇの?そうそうヘビーなリスクでもねぇし、コストがでけぇよ」
とか思ってました。
あら、でも、BSEに関しては、そうした冷静なリスク評価ができるほど
には、いろんなことが解明されているわけじゃなかったんですね。
うひー。
知りませんでした。さー、どーなんでしょ??
さて、そうした具体的な研究のアウトプットの基礎となる理屈はどうか
といえば、還元論ではなく物的に構造化された相互関係が問題にされて
いて、いってみれば、形相的な同一性に探求の照準が絞られていまして、
自分の立場としては非常に近しいものを感じつつ、実験の設計や実験そ
のものの技術的な可能性評価、および実験結果の評価に、どう適用して
いくのか確実ではない部分が多いようにも思われ、激しく保留です。
一方、BSEの病理学的論争の背景に隠れて、その英国における蔓延には、
非常に杜撰でお粗末な社会的プロセスがあったわけで、そう言われてみれ
ば、そりゃリスク評価以前の話しだよね、とは思いました。
昨今の食品偽装報道を見ても、どーも、冷静な科学的根拠に基づいたリス
ク評価よりも、もっと当たり前の社会的プロセスに不備があるっぽいので、
やっぱり牛はまだ危険だろ、と思うことにします。
生きているとはどういうことか、人間とは何かおすすめ度
★★★★★
「もう牛を食べても安心か」という問いに対しては、この本は、「大丈夫かどうかわからない、つまり安心ではない」と答えているだけですが、その問に対して答える過程で、「生きているとはどういうことか」「人間とは何か」という深淵な問いに答えてしまっている驚異の本です。福岡先生は、「生きているとはどういうことか」という問いには、「タンパク質の動的平衡状態そのものが"生きている"ということと同義であるp.69」と回答し、「人間とは何か」という問いに対しては、「分子のレベル、原紙のレベルでは、私たちの身体は数時間のうちに入れ換わっており、「実体」と呼べるものは何も無い。そこにあるのは流れだけなのである。P.56」「記憶とは、一言で言えば、ある特別な体験に際して、脳の神経細胞ネットワークの中を駆けめぐった電気信号の流路のパターンが保持されたものだということだ。p.140」と答え、人間とは「分子・原子と電気信号の流れ」なのだと説明されています。福岡先生は、その「流れ」を壊すとして、遺伝子組み換え、臓器移植を批判しています。これだけ科学的かつ根本的な「遺伝子組み換え」に対する反論は拝見したことがありません。遺伝子組み換え反対運動家は研究者を「悪魔」と罵るのではなく、こういう本を読んで冷静に科学的に説得力を持った意見を言って欲しいです。また、これだけ体系だった無神論的生命論も希だと思います。内田樹先生の「私家版・ユダヤ文化論」の注で引用文献とされていたので読みましたが、思わぬ衝撃本に巡り会ってしまいました。キリスト教徒で遺伝仕組み換え賛成の私としては、人に勧めるのは気が進みませんが、やはり多くの人に読んでもらいたい本です。
ためになる。しかし、保留。
おすすめ度 ★★★☆☆
狂牛病だけの話ではないところが、評価の分かれ目だ。
著者の言う「動的平衡論」は、俗耳には入りにくい生命観であり、これに触れておくことは、世界観を広げることになろう。要は、「固定的な実体は、ない」ということを、化学の言葉で説明している。
なお、「動的平衡論」が端的に知られるのが、「記憶は信号の流路パターンである」(p140〜144)という章である。
しかし、下の「書いてあるからといって事実とは限らない」というレビューを読み、「動的平衡論」の科学的価値については、保留しておくのがよさそうだ。