人生、お楽しみはこれからだ (ベスト新書)
確かに西木先生の言うとおり、今までは家族のため、会社のために働いてきましたが、この本を読んで50歳を過ぎたのでこれからは自分のために時間を使って生きていこうと思いました。特に経理マンからトラックの運転手になった人の話、テレビのディレクターから漁師になった話は本当に私に勇気を与えてくれました。50歳を過ぎたらお金よりやりがいが大切だということがよくわかりました。
ゾルゲ 引裂かれたスパイ〈上〉 (新潮文庫)
重光葵の『昭和の動乱』を読んで、改めてゾルゲの仕事の大きさを知り、最新のルポルタージュと言うことでこの著作を手にしてみた。
たいへんこなれた訳で、原書が英国人の筆になることをつい忘れてしまい、日本人作家の書いた小説かと錯覚したほどである。訳者もゾルゲ研究家ということで、なるほど当を得た起用である。
ゾルゲであるが、戦中とそれに続く冷戦下では恐怖の共産スパイであったはずが、本書ではその弱みも含めて小説風に人間味豊かに描かれていて、同情的でさえある。重光の著作では日本が北進策を捨ててあえてアメリカと正面衝突するような南進に転換したのを、まるでゾルゲと尾崎秀実の陰謀のように著していたが、本書によれば日本政府は最初から北進は少数意見で、モスクワの陥落があれば北進し、あえて不毛のシベリアに火中の栗を拾おうとはしない「熟柿作戦」が採られていたことがわかる。戦略としてもこちらのほうがはるかに合理的だ。
この一事をもってしても、重光の著作の信憑性がぐらつく。しかもゾルゲの功績は、ドイツのソ連侵攻と、日本軍の南進方針決定をソ連に通知した点にある。重光が指摘するような対日陰謀は、さしあたり見あたらないし、ゾルゲ・尾崎の立場からは不可能だろう。
スターリンの当初の大失策にもかかわらず、日本軍侵攻のおそれがなくなったソ連はシベリア極東軍を西に大移動することができて、対独戦に勝利を得ることができたわけで、ソ連にとってその功績はきわめて大きいと言えるだろう。
このようなゾルゲと尾崎秀実の活動をもって、日中戦争と南進をコミンテルンの陰謀とする見方があるが、こんな女たらしの酔っぱらいや、その素人手下たちに、それほど壮大でりっぱな陰謀が立案実行できるものでもないだろう。空想としてはおもしろいが、結果論にすぎないと思える。夜郎自大な日本軍の性格形成はコミンテルンの陰謀によるというのと、同じ程度の説得力だ。
さすらいの舞姫 北の闇に消えた伝説のバレリーナ・崔承喜
現代の日本人で崔承喜(さい・しょうき)という朝鮮生まれのモダンバレイの舞踏家を知っている人はどれほどいるだろうか。自分も本書を読むまでは名前も聞いたことはなかった。彼女は小説家の川端康成が著者の西木氏に「戦前戦後を通じて日本に、いや世界レベルで見てもこれほどのバレリーナはめったにいない」と語った程の、スタイル抜群かつ美人のすぐれた舞踏家であったらしい。
本書ではこの屈指の舞踏家の数奇な経歴を丹念に辿っていく。大正15年にわずか10代半ばで日本を代表するモダンバレエ舞踏家の石井漠の舞台を京城(今のソウル)で見て弟子入りを決意して日本に渡るところから始まり、その後は朝鮮に戻って朝鮮の民族舞踊とバレエの融合を図るなど独自の境地を開く。その後は米国で修行した後にヨーロッパで公演するなど活躍の場は世界に広がっていく。米国や欧州公演での観客には作家のジョン・スタインベック、ロマン・ロラン、画家のピカソなどの著名な文化人も含まれている。
ただ高名な彼女の運命は常に政治に翻弄される。第二次大戦が始まると大陸前線慰問団として満州など各地を公演させられる。そして戦後はソウルでは親日的な芸術家として排斥されたため、平壌へ移る。金日成に気に入られて平壌で崔承喜舞踏研究所を開くことを認められ、平壌の人民委員会代議員に選出されるなどの華やかな活動を続けるが、最後は北朝鮮内部の激しい権力闘争と粛清の中に巻き込まれ、彼女が切望した日本公演が実現することなく表舞台から消されてしまう。
バレエダンサーであることのみを望んだ彼女が、戦争と政治の中で朝鮮・日本・中国を転々としながらも芸術家として懸命に生きる姿には心を打たれるし、そんな彼女が最後は北朝鮮の粛清の中で消えていくのは哀しい。また本書の中で描かれている北朝鮮創生期における権力闘争は現在に通じるものを感じた。
ゾルゲ 引裂かれたスパイ〈下〉 (新潮文庫)
「日本政府、いつも泥棒です。国民の人、可哀そう。戦争、よくないです。……きっと、、負けます。きっとです。そしたら、日本、もっともっと可哀そう」 日本を売った男。平和を希求した正義の士。ソ連救国の英雄。ゾルゲをめぐる評価は時代により、立場によりさまざまである。しかしこの『ゾルゲ 引き裂かれたスパイ』が描き出すゾルゲ像は、そんな単純なステレオタイプ的なゾルゲではない。著者はゾルゲが親しかった人々、ことに愛人だったエタという女性や花子の証言から、彼の真に人間的、内面的な部分を探っていくのだ。 この本はゾルゲを責めもしないし、讃えもしない。それゆえゾルゲという人間のおもしろさ、奇妙な魅力がまっすぐに伝わってくる。なぜいまだにこの男がわれわれにとって忘れがたいのかよくわかるだろう。解説でゾルゲ映画を撮った篠田正浩監督が「ステファン・ツヴァイクの『ジョゼフ・フーシェ』を連想させた」と書いているのも、少々ほめすぎかもしれないが的を得たコメントである。