甦るヒーローライブラリー第3集 光速エスパー DVD-BOX
テレビ放映を楽しく見ていた記憶があります。
最近、三ツ木さんがインタビューで、「子供のころから俳優をやってきていたので」と
今は歌手としてのほうが心地よいようなことをおっしゃっていましたが
そういう意味では、この頃が彼の俳優としての旬だったのかもしれないと思いました
当時の自分は貧しかったけど、夢があって良い時代だった
最近、三ツ木さんがインタビューで、「子供のころから俳優をやってきていたので」と
今は歌手としてのほうが心地よいようなことをおっしゃっていましたが
そういう意味では、この頃が彼の俳優としての旬だったのかもしれないと思いました
当時の自分は貧しかったけど、夢があって良い時代だった
光速エスパー 【あさのりじ版】 (マンガショップシリーズ (29))
あさのりじ版「光速エスパー」は、雑誌「少年」に連載されていた当時、リアルタイムで読んだ。
あさの氏の作品は「発明ソン太」なども同じだが、不思議な曲線で描かれたメカが、実に生き生きとメカとして作品中で動いている。
少年心にも、面白い絵だと感じられたものだった。
大人になり、すでに少年の心をなくした私であったが、今再びあさの版「光速エスパー」を読む機会を得て、失われたものが戻ってきたように感じた。
今、このようなマンガはない。
マンガが子どものものであり、みんなが子どもの目線で作品を雑誌を作っていたことが、今になって分かる。
ストーリーの細かいつじつまなど、どうでも良いのである。
まず面白いこと、そして正しいものが勝つ、ということが大事なのだ。
徹底したデフォルメがされているのにもかかわらず、終始崩れないデッサン力による安定した絵柄。
昔のマンガ家より、多分今のマンガ家の方が絵はうまいのだろうが、余計なものを書き込まない、というのは、実はとっても難しいのだ。
なにしろ、ごまかしがきかないのだから。
エスパーが東芝のキャラクターであり、販促を兼ねたマンガ化だったことは有名である。
でも、のちのテレビドラマ化と連動して始まった松本版「エスパー」より、私はあさの版のほうがずっとずっと好きだ。
松本版よりあさの版が評価されない理由が、私には分からない。
単純な線、単純なストーリー、しかし、そこから飛び出す爽快感こそ、少年マンガの真髄である。
あさの版「エスパー」には、まちがいなくそれがある。
今では「アンパンマン」などの幼年向けマンガでしか見られなくなってしまった絵柄だが、かつては手塚、石森、横山、藤子諸氏の作品など、みんなこういう感じだった。
白土三平だって「ワタリ」や「真田剣流」のころはムダな書き込みはなかった。
久松「スーパージェッター」などもこの仲間だ。
みんな夢中になっていたものだ。
うん、実にヒーロー物に良く似合う。
あさの氏の作品は「発明ソン太」なども同じだが、不思議な曲線で描かれたメカが、実に生き生きとメカとして作品中で動いている。
少年心にも、面白い絵だと感じられたものだった。
大人になり、すでに少年の心をなくした私であったが、今再びあさの版「光速エスパー」を読む機会を得て、失われたものが戻ってきたように感じた。
今、このようなマンガはない。
マンガが子どものものであり、みんなが子どもの目線で作品を雑誌を作っていたことが、今になって分かる。
ストーリーの細かいつじつまなど、どうでも良いのである。
まず面白いこと、そして正しいものが勝つ、ということが大事なのだ。
徹底したデフォルメがされているのにもかかわらず、終始崩れないデッサン力による安定した絵柄。
昔のマンガ家より、多分今のマンガ家の方が絵はうまいのだろうが、余計なものを書き込まない、というのは、実はとっても難しいのだ。
なにしろ、ごまかしがきかないのだから。
エスパーが東芝のキャラクターであり、販促を兼ねたマンガ化だったことは有名である。
でも、のちのテレビドラマ化と連動して始まった松本版「エスパー」より、私はあさの版のほうがずっとずっと好きだ。
松本版よりあさの版が評価されない理由が、私には分からない。
単純な線、単純なストーリー、しかし、そこから飛び出す爽快感こそ、少年マンガの真髄である。
あさの版「エスパー」には、まちがいなくそれがある。
今では「アンパンマン」などの幼年向けマンガでしか見られなくなってしまった絵柄だが、かつては手塚、石森、横山、藤子諸氏の作品など、みんなこういう感じだった。
白土三平だって「ワタリ」や「真田剣流」のころはムダな書き込みはなかった。
久松「スーパージェッター」などもこの仲間だ。
みんな夢中になっていたものだ。
うん、実にヒーロー物に良く似合う。
よくみえる いいめになろう!―ママといっしょによむえほん (子どもの健康を考える絵本 (7))
「眼科医が仕事だから」という事以上に、著者は本当に「目と、それを使う人間が好きなんだ」という事が、文章を読むと伝わってくる。
「職業」として書いている文章と、「本当にそれが好きな人」が書いている文章を比べると、どんなに分かりやすく書かれたものだとしても、後者の方が読み手に対して深いと思う。非常に細やかに、分かりやすく幼児の視力の発達段階や検査方法、目が良いという事・弱いという事の説明とその改善方法、幼児の環境や心理への配慮などが書かれている。
また、「絵」も、著者と作画者が十分に話し合って作られたというのがうかがえる「力のある」ものだ。
この本の凄さは子供も読む本だから易しく書かれたというだけではなく、著者自身の「快」の部分を本全体に行き渡らせる事で、「より受け入れられやすいもの」となり、読み手が無意識に扉を開くという事だ。難しい内容ほど、「より受け入れられやすいもの」にできるかどうかが本を書く上で重要になってくるはずだ。この本の場合、著者自身の素質が見せる「快」の影響が大きいし、それを十二分に絵に引き出した作画者の筆の力も素晴らしいと思う。
どのように「快」なのかは、読んでもらうに限るし、「快」だと思わない人がいるかもしれない。それでも構わない。
ただ、言えることは、この本の文も絵も人間の「快の具合」を理解するには最高の教科書だ。
子供の頃に夢中で読んだ本でも、自分が社会に出るようになると、その「真贋」ぶりがハッキリ見えてきて、読まなくなるものもある。
しかし、この本は永久に「真」である。何年経っても、本を開いて読み進むたびに、「凄い・・・!」と唸らずにはいられないからだ。
「職業」として書いている文章と、「本当にそれが好きな人」が書いている文章を比べると、どんなに分かりやすく書かれたものだとしても、後者の方が読み手に対して深いと思う。非常に細やかに、分かりやすく幼児の視力の発達段階や検査方法、目が良いという事・弱いという事の説明とその改善方法、幼児の環境や心理への配慮などが書かれている。
また、「絵」も、著者と作画者が十分に話し合って作られたというのがうかがえる「力のある」ものだ。
この本の凄さは子供も読む本だから易しく書かれたというだけではなく、著者自身の「快」の部分を本全体に行き渡らせる事で、「より受け入れられやすいもの」となり、読み手が無意識に扉を開くという事だ。難しい内容ほど、「より受け入れられやすいもの」にできるかどうかが本を書く上で重要になってくるはずだ。この本の場合、著者自身の素質が見せる「快」の影響が大きいし、それを十二分に絵に引き出した作画者の筆の力も素晴らしいと思う。
どのように「快」なのかは、読んでもらうに限るし、「快」だと思わない人がいるかもしれない。それでも構わない。
ただ、言えることは、この本の文も絵も人間の「快の具合」を理解するには最高の教科書だ。
子供の頃に夢中で読んだ本でも、自分が社会に出るようになると、その「真贋」ぶりがハッキリ見えてきて、読まなくなるものもある。
しかし、この本は永久に「真」である。何年経っても、本を開いて読み進むたびに、「凄い・・・!」と唸らずにはいられないからだ。