深田久弥の日本百名山 4 [DVD]
以前、10年程前、NHKにて放映されていた番組をDVD化したものです。日本全国の山々を巡った深田久弥の足跡を辿れる素晴らしい映像の数々。荘厳で雄大な大自然の景観。私は実際には山登りはしないのですが、登った気分になれるDVDです。観ているだけで、心が癒される事、請け合いです。
日本百名山
北アルプスや南アルプスに行くと、百名山にチャレンジしている人に出会うことがある。
話をしてみると、自分はもう70座登った、80座登った、次はこの山、その次はあの山、と話は尽きない。
しかし、よく聞いていると、この人、「日本百名山」を読んでいないな、と気づくことがある。
その度に、「日本百名山」のブームってなんだったのだろうと思う。
深田久弥の文章に憧れて山に興味をもったのではなくて、百名山のリストに振り回されているだけなのではないかと思ってしまう。
そしてその度に、「日本百名山」の山岳文学としての価値と、百名山リストに振り回されている素人登山家の行動とを混同してはいけないと思う。
この本はいい本だと思う。日本の山の中から、百山を選んで紹介するという企画もいいと思う。
こういったコンパクトなガイドブックや旅行記を作ることは、日本人のお家芸なのではないかと思う。
(こういった本に対して日本人の精神の貧困さを嘆く評論家がいるが、そのとおりかもしれない。いい車に乗ること、いい大学に入ること、いい会社に入ること、出世すること、ブランドものの洋服を着ること、煎じ詰めれば、これらのことは貧困なる精神のなせるわざだと思う。そして私は、自分を含めて、貧困じゃない精神の持ち主に出会ったことがない。また、貧困じゃない精神の国が、有史以来存在したためしがないことを確信している。)
本書に対する批判としてよく言われるのは、百名山に選ばれた山だけに登山者が殺到し、選ばれなかった山は寂れていくというものがある。
しかし、本書によって山の格差が生まれたのだとしても、その責任は、深田久弥だけが負うべきものだろうか。
葛飾北斎の「富嶽三十六景」を見て、世界中のどれだけの人が、富士に憧れ、富士を描き、富士を訪れたか。
(そして富士山ばかりを描いているからといって、北斎を非難する人がいるだろうか?)
十返舎一九の「東海道中膝栗毛 上 (岩波文庫 黄 227-1)」を読んで、江戸の人々は、どれほど旅に憧れ、旅に出て、珍道中を経験したか。
(そして東海道ばかりを書いているからといって、一九を非難する人がいるだろうか?)
芭蕉の「おくのほそ道(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)」を読んで、どれだけの人が松嶋や平泉を訪れ、つわものどもの夢の跡を眺めながら、一夜漬けの風流人になり、慣れない俳句をひねったか。
(そして東北・北陸ばかりを書いているからといって、芭蕉を非難する人がいるだろうか?)
深田久弥の「日本百名山」を読んで、どれだけの人が山に興味を抱き、山の面白さに開眼し、山に入っていったか。
(そして、百の山だけを書いているからといって、深田久弥を非難する人は、・・・・・なぜか絶えない。)
しかし問題は、本書自身にあるのではなくて、この本に匹敵する本がまだ出てこないという点にあるのではないか。
田中澄江(花の百名山 (文春文庫 (313‐1)))や岩崎元郎(ぼくの新日本百名山 (朝日文庫 い 63-1))をはじめ、いろんな人が本書に類する本を書いているが、本書には及ばないと思う。
つまり、深田久弥の1人勝ち、対抗馬がいないことに批判される原因があるのではないか。
(この本を非難している暇があったら、深田久弥が選ばなかった素晴らしい山を一山でも多く紹介すれば良いのにと思ってしまう。そういった努力をせずにいるから、本書が絶対的な権威になってしまうのだと思う。)
深田自身、本書が日本の百山リストの決定版であるとは考えてはおらず、叩き台のつもりで書いたのだと思う。
彼もきっと、自分の後を継ぐ人が、続々と出ることを望んでいるはずだ。
この本を叩き台にして山について話をすることは楽しい。
しかし、そのような経験は、これまで、ほとんどなかった。
百名山ハンターのほとんどは、「日本百名山」を読んでないからだ。
話をしてみると、自分はもう70座登った、80座登った、次はこの山、その次はあの山、と話は尽きない。
しかし、よく聞いていると、この人、「日本百名山」を読んでいないな、と気づくことがある。
その度に、「日本百名山」のブームってなんだったのだろうと思う。
深田久弥の文章に憧れて山に興味をもったのではなくて、百名山のリストに振り回されているだけなのではないかと思ってしまう。
そしてその度に、「日本百名山」の山岳文学としての価値と、百名山リストに振り回されている素人登山家の行動とを混同してはいけないと思う。
この本はいい本だと思う。日本の山の中から、百山を選んで紹介するという企画もいいと思う。
こういったコンパクトなガイドブックや旅行記を作ることは、日本人のお家芸なのではないかと思う。
(こういった本に対して日本人の精神の貧困さを嘆く評論家がいるが、そのとおりかもしれない。いい車に乗ること、いい大学に入ること、いい会社に入ること、出世すること、ブランドものの洋服を着ること、煎じ詰めれば、これらのことは貧困なる精神のなせるわざだと思う。そして私は、自分を含めて、貧困じゃない精神の持ち主に出会ったことがない。また、貧困じゃない精神の国が、有史以来存在したためしがないことを確信している。)
本書に対する批判としてよく言われるのは、百名山に選ばれた山だけに登山者が殺到し、選ばれなかった山は寂れていくというものがある。
しかし、本書によって山の格差が生まれたのだとしても、その責任は、深田久弥だけが負うべきものだろうか。
葛飾北斎の「富嶽三十六景」を見て、世界中のどれだけの人が、富士に憧れ、富士を描き、富士を訪れたか。
(そして富士山ばかりを描いているからといって、北斎を非難する人がいるだろうか?)
十返舎一九の「東海道中膝栗毛 上 (岩波文庫 黄 227-1)」を読んで、江戸の人々は、どれほど旅に憧れ、旅に出て、珍道中を経験したか。
(そして東海道ばかりを書いているからといって、一九を非難する人がいるだろうか?)
芭蕉の「おくのほそ道(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)」を読んで、どれだけの人が松嶋や平泉を訪れ、つわものどもの夢の跡を眺めながら、一夜漬けの風流人になり、慣れない俳句をひねったか。
(そして東北・北陸ばかりを書いているからといって、芭蕉を非難する人がいるだろうか?)
深田久弥の「日本百名山」を読んで、どれだけの人が山に興味を抱き、山の面白さに開眼し、山に入っていったか。
(そして、百の山だけを書いているからといって、深田久弥を非難する人は、・・・・・なぜか絶えない。)
しかし問題は、本書自身にあるのではなくて、この本に匹敵する本がまだ出てこないという点にあるのではないか。
田中澄江(花の百名山 (文春文庫 (313‐1)))や岩崎元郎(ぼくの新日本百名山 (朝日文庫 い 63-1))をはじめ、いろんな人が本書に類する本を書いているが、本書には及ばないと思う。
つまり、深田久弥の1人勝ち、対抗馬がいないことに批判される原因があるのではないか。
(この本を非難している暇があったら、深田久弥が選ばなかった素晴らしい山を一山でも多く紹介すれば良いのにと思ってしまう。そういった努力をせずにいるから、本書が絶対的な権威になってしまうのだと思う。)
深田自身、本書が日本の百山リストの決定版であるとは考えてはおらず、叩き台のつもりで書いたのだと思う。
彼もきっと、自分の後を継ぐ人が、続々と出ることを望んでいるはずだ。
この本を叩き台にして山について話をすることは楽しい。
しかし、そのような経験は、これまで、ほとんどなかった。
百名山ハンターのほとんどは、「日本百名山」を読んでないからだ。
日本百名山 (新潮文庫)
文学書としては、少し物足りないかと思いますが、
当時の山登りを巡る、時代の空気を知るには、興味深く
面白い内容だと思います。
百名山巡りの方が、今日はどこそこの山を…、と
自慢気に話されているのを耳にします。
山登りに目標を持つことは、とても良いことです。
ただ、数稼ぎそのものが目的となってしまったのでは、
とても残念なことですよね。
山は「やっつけ」たり、「片づけ」たりするものでは
ありませんからね。
百名山を登り終えたら、もう、山はお終い、とならないよう、
そんな気持ちでじっくり読んで頂ければと思います。
当時の山登りを巡る、時代の空気を知るには、興味深く
面白い内容だと思います。
百名山巡りの方が、今日はどこそこの山を…、と
自慢気に話されているのを耳にします。
山登りに目標を持つことは、とても良いことです。
ただ、数稼ぎそのものが目的となってしまったのでは、
とても残念なことですよね。
山は「やっつけ」たり、「片づけ」たりするものでは
ありませんからね。
百名山を登り終えたら、もう、山はお終い、とならないよう、
そんな気持ちでじっくり読んで頂ければと思います。
深田久弥の日本百名山 6 [DVD]
御岳を除けば全てが北アルプスの山々です。
黒部五郎岳 一度登りました。巨大なカールが有名です。山上の楽園ですね。しかしアプローチが長い。新穂高温泉から片道13時間以上歩きました。それでも素敵な山です。
黒岳 裏銀座コースからわずかにはずれています。そのため訪れる人は相当のマニアです。新穂高温泉から縦走しましたが片道12時間以上もかかりました。雲の平が眼下に見えます。
鷲羽岳 二回登りました。最初は裏銀座の縦走で二回目は黒岳の帰りによりました。黒部川の源流です。鷲が羽を広げたような美しい姿です。また登りたい山ですね。
槍岳 日本のマッターホルンと言われています。槍のようにとがった頂上はどこから見ても間違えることがありません。わたしも二回登りました。最初は西鎌尾根から二回目は東鎌尾根からです。いずれも高度差がありきつい難路でした。
穂高岳 北アルプスを代表する超人気の山です。北穂、奥穂、前穂、西穂と4つの穂高があります。最高峰の奥穂に人気が集中しています。私は涸沢から登りました。もっともポピュラーなコースです。北穂も涸沢から登りました。こちらも人気があります。前穂は上高地から直登しました。重太郎新道の登りがとてもきつかったことを思い出します。
常念岳 安曇野から見えます。通常は一の沢から登りますが私は横尾から登りました。高度差があり、きついルートです。ガイドブックでもほとんど紹介されていません。ピラミッドのような美しい姿が印象的でした。
笠が岳 新穂高温泉から登りました。笠新道を登る体力がないので小池新道をあがって鏡平経由で縦走しました。何といってもとてつもなくきつい山です。日程に余裕をもって登って下さい。槍や穂高をながめるには最高の山です。
焼岳 上高地に行く途中に現れます。ながめて美しい山ですが登る山としてはいまいちですね。西穂から縦走すると良いと思います。
乗鞍岳 九合目の畳平までバスがあります。ついにマイカーでは行けなくなりました。いつか登ろうと思うのですが実現していません。
御岳 独立峰で霊山です。飛行機の窓からも簡単にわかります。遠くから見ると猫の頭のようにも見えます。いずれ登らないといけない山ですが思案中です。
黒部五郎岳 一度登りました。巨大なカールが有名です。山上の楽園ですね。しかしアプローチが長い。新穂高温泉から片道13時間以上歩きました。それでも素敵な山です。
黒岳 裏銀座コースからわずかにはずれています。そのため訪れる人は相当のマニアです。新穂高温泉から縦走しましたが片道12時間以上もかかりました。雲の平が眼下に見えます。
鷲羽岳 二回登りました。最初は裏銀座の縦走で二回目は黒岳の帰りによりました。黒部川の源流です。鷲が羽を広げたような美しい姿です。また登りたい山ですね。
槍岳 日本のマッターホルンと言われています。槍のようにとがった頂上はどこから見ても間違えることがありません。わたしも二回登りました。最初は西鎌尾根から二回目は東鎌尾根からです。いずれも高度差がありきつい難路でした。
穂高岳 北アルプスを代表する超人気の山です。北穂、奥穂、前穂、西穂と4つの穂高があります。最高峰の奥穂に人気が集中しています。私は涸沢から登りました。もっともポピュラーなコースです。北穂も涸沢から登りました。こちらも人気があります。前穂は上高地から直登しました。重太郎新道の登りがとてもきつかったことを思い出します。
常念岳 安曇野から見えます。通常は一の沢から登りますが私は横尾から登りました。高度差があり、きついルートです。ガイドブックでもほとんど紹介されていません。ピラミッドのような美しい姿が印象的でした。
笠が岳 新穂高温泉から登りました。笠新道を登る体力がないので小池新道をあがって鏡平経由で縦走しました。何といってもとてつもなくきつい山です。日程に余裕をもって登って下さい。槍や穂高をながめるには最高の山です。
焼岳 上高地に行く途中に現れます。ながめて美しい山ですが登る山としてはいまいちですね。西穂から縦走すると良いと思います。
乗鞍岳 九合目の畳平までバスがあります。ついにマイカーでは行けなくなりました。いつか登ろうと思うのですが実現していません。
御岳 独立峰で霊山です。飛行機の窓からも簡単にわかります。遠くから見ると猫の頭のようにも見えます。いずれ登らないといけない山ですが思案中です。