断作戦―戦争文学三部作〈1〉 (文春文庫)
古山高麗雄、その名前を耳にすればなつかしい気がするけれど実際に作品に触れたことがなかった。きっかけはNHKのドキュメンタリー。そこでは第二次世界大戦中の中国雲南地方の泥沼の戦いを古山の作品を中心に取り上げていた。「ああ、満州でもなく、南方でもなくこんなところにもこんなむちゃくちゃな戦争があったんだ」と思った。そんな番組があったのは古山が2002年に亡くなったからでもあったのだろうか、享年81歳だった。彼が雲南の戦争を題材に書いた長編が3つ。その第一作が本書「断作戦」だ。
ぎりぎりの戦争の現場とそれを回想する現代の生存者、微妙にからんだ時間軸、ときどきリフレインされる思い出話。すべてが語気やわらかく淡々と語られる。そこには明確な反戦や、懐古趣味はない。思い出にとまどう、過去の意味づけや否定もできない経験、それが淡々と語られる。
古山自身のあとがきが彼の思いをもっともよく表現している-「戦争とは何であったか?国とは何か?私は、そういう問いにはうまく答えられない。しかし、そういうことに答えることができる気でいる人、私と同じように答えられないと思っている人、そういうことに関心もない人にも、ひとしく親しんで生きていきたい。」-短いがあとがきの傑作だ。心にしみた。
ぎりぎりの戦争の現場とそれを回想する現代の生存者、微妙にからんだ時間軸、ときどきリフレインされる思い出話。すべてが語気やわらかく淡々と語られる。そこには明確な反戦や、懐古趣味はない。思い出にとまどう、過去の意味づけや否定もできない経験、それが淡々と語られる。
古山自身のあとがきが彼の思いをもっともよく表現している-「戦争とは何であったか?国とは何か?私は、そういう問いにはうまく答えられない。しかし、そういうことに答えることができる気でいる人、私と同じように答えられないと思っている人、そういうことに関心もない人にも、ひとしく親しんで生きていきたい。」-短いがあとがきの傑作だ。心にしみた。
二十三の戦争短編集 (文春文庫)
古山高麗雄氏は競馬番組の解説やNHKのドキュメンタリーで何度かお見かけしましたが
小柄ながら眼光炯々、雰囲気も一筋縄でいかない不羈なものを感じさせる方でした。
併合時代の新義州、今話題の従軍慰安婦の生態描写など極めて興味深い
小柄ながら眼光炯々、雰囲気も一筋縄でいかない不羈なものを感じさせる方でした。
併合時代の新義州、今話題の従軍慰安婦の生態描写など極めて興味深い
龍陵会戦―戦争文学三部作〈2〉 (文春文庫)
万年一等兵であった古山高麗雄が自らの体験を一人称で綴ったノンフィクション小説。古山氏は軍から見ればのろまな兵士であったかもしれないが、それゆえにわれわれ一般人が共感しやすいのではないかと思う。戦場の真実を描くというよりは、戦後、兵士たちがどのように自分たちの思いを整理しているのかということを中心に描かれており、古山氏が龍陵で戦った元兵士をたずね、戦争に対する兵士たちの思い、そして古山氏自身の思いが描かれていく。戦争を肯定も否定もしない古山氏独特の戦争小説である。