サイボーグ009
漫画界の巨匠、石ノ森章太郎先生原作の同名ゲームです。
9人(正確には8人)のサイボーグたちを操って戦います。
ファンからするとあのサイボーグたちを動かす事ができるだけで興奮もの
ですが、キャラクターによって細かく特殊能力が決められている所で、
卒倒寸前です。(笑)
難易度はそんなに高い事はありませんので一度プレイする事をお薦めします。
9人(正確には8人)のサイボーグたちを操って戦います。
ファンからするとあのサイボーグたちを動かす事ができるだけで興奮もの
ですが、キャラクターによって細かく特殊能力が決められている所で、
卒倒寸前です。(笑)
難易度はそんなに高い事はありませんので一度プレイする事をお薦めします。
サイボーグ009 大解剖 (SAN-EI MOOK)
ソノシート版『火山島奇襲作戦』とか1967年の週刊サンケイの記事の再録や、
アニメ関係者や桜多吾作×シュガー佐藤の対談、石森先生本人のインタビュー発掘など、
後発ムックだけあって非常によく構成されていて、盛りだくさんで楽しめる内容でした。
全体に申し分のないムックなのですが、ただ一つ事実関係を誤って記述しているので訂正しておきます。
石森先生のインタビューが収録されていた徳間書店のロマンアルバム『サイボーグ009』を
1980年の発売としていますが、正確には昭和52(1977)年11月30日の発行です。
多分、再販時のデータを元にしたのでしょうが、堂々とアオリ文句にまで謳ってしまったのは痛かった。
文字校正以前の事実関係の確認の難しさを感じさせました。
アニメ関係者や桜多吾作×シュガー佐藤の対談、石森先生本人のインタビュー発掘など、
後発ムックだけあって非常によく構成されていて、盛りだくさんで楽しめる内容でした。
全体に申し分のないムックなのですが、ただ一つ事実関係を誤って記述しているので訂正しておきます。
石森先生のインタビューが収録されていた徳間書店のロマンアルバム『サイボーグ009』を
1980年の発売としていますが、正確には昭和52(1977)年11月30日の発行です。
多分、再販時のデータを元にしたのでしょうが、堂々とアオリ文句にまで謳ってしまったのは痛かった。
文字校正以前の事実関係の確認の難しさを感じさせました。
009 RE:CYBORG 通常版 [Blu-ray]
首から下が飛行ユニットで、ロボット的なまでに生身の肉体からかけ離れたビジュアルのジェットなど、リアル設定に見せようとすると、
揃いの赤いコスチュームにマフラーで戦う素朴さは、もはや相容れないのでしょう。
でも、肩甲骨が開いて、背中に小さな翼を付けたような姿になり、青いバーナーを噴射しながら大気圏外を全力で飛ぶジェットも、自己犠牲的な悲壮感が十分あって、私は好きです。よく考えると、素っ裸ですが。
ドバイのシーンはずっとイメージしていた通りの加速装置の表現で、これも素晴らしい。
体が次第に光芒のように尾を引いていきながら、ひたすら走るジョー。
背景は核爆発のリアルな怖さ、圧倒的な速さで伝わる熱と風圧、瞬時に壊滅する都市の阿鼻叫喚が迫るように伝わってきます。
こういう新しい世界観と、従来からのゼロゼロナンバーサイボーグのイメージの組合せが、
あっけにとられるほどには原作のテイストを損ねてはいないと思います。
監督のコメントで、フランソワーズのカチューシャはオトナの女性のファッションとしてどうなんだ?と
考えたけれど、そこはフランソワーズのアイコン的なものであるから、外せない、というような趣旨のことを
言ってらして、納得してしまいました。
カチューシャを能力増強のヘッドギア風にも変えられたのかもしれませんが、あえて、赤いカチューシャのまま、というのは、
たぶんフランソワーズを知らない人が見たら、かなり珍妙なファッションセンスかもしれませんが、
もし、なかったら落ち着かないかな、と。
ストーリーでは、ペンタゴンの一件で自らの不可解な体験により「神(彼の声)」を見定め、愕然とするジェットがうまいです。
彼の声、とは、いろいろ解釈がなりたつのですが、もしかしたら、単に脳の中で起こった無意識な働きなんじゃないか?という発想が
ジェットの身に起こったことで納得させられるのです。一種の衝動殺人みたいなものなのですが。
ここは前振りで、004が延々と仮説を語る部分もあり、一見その仮説が正しかったかのようにもみえるんです。
でも、
最後に起きたことや、エンディングの最後の最後に出てくる月の表面のアレは、それでは説明がつかない。
この、違和感を残したまま終わるところが、個人的にはツボでした。
ここは中途半端な印象を受けて、見た人の評価を分けるところでしょうけど、
天使編や神々との戦いが安易に結論付けられ、解明されるよりは、いいんじゃないでしょうか?
フランソワーズの聴力視力以外の能力もカッコよく、004(ちょっとダニエル・クレイグっぽい)のニヤリとしながら応戦する隠しきれない好戦的な部分もいい。
お利口なイワンが実業家006と交わす世間話もなかなか楽しいし、
006や005の個性的な戦闘時の動きもいちいちカッコイイと思いました。
もし、続編を作るなら、今度こそ、007と008も能力発揮できるシーンを!
それから、コメンタリーの監督の話が興味深かったです。
3D技術をあえてセルアニメ風に見せる面白さ、
セルアニメを見慣れていると、ディズニーの枠取り線がないアニメより、輪郭を描いて中を塗ったようなイメージの絵の方が好きかな。
キャラクターの細かい所作へのこだわり、
音楽やサウンドエフェクトの使い方、
そういうものが、とってもよく理解できて、
飛躍的な技術より、むしろ根気のいるモノつくりの凄まじさを知りました。
揃いの赤いコスチュームにマフラーで戦う素朴さは、もはや相容れないのでしょう。
でも、肩甲骨が開いて、背中に小さな翼を付けたような姿になり、青いバーナーを噴射しながら大気圏外を全力で飛ぶジェットも、自己犠牲的な悲壮感が十分あって、私は好きです。よく考えると、素っ裸ですが。
ドバイのシーンはずっとイメージしていた通りの加速装置の表現で、これも素晴らしい。
体が次第に光芒のように尾を引いていきながら、ひたすら走るジョー。
背景は核爆発のリアルな怖さ、圧倒的な速さで伝わる熱と風圧、瞬時に壊滅する都市の阿鼻叫喚が迫るように伝わってきます。
こういう新しい世界観と、従来からのゼロゼロナンバーサイボーグのイメージの組合せが、
あっけにとられるほどには原作のテイストを損ねてはいないと思います。
監督のコメントで、フランソワーズのカチューシャはオトナの女性のファッションとしてどうなんだ?と
考えたけれど、そこはフランソワーズのアイコン的なものであるから、外せない、というような趣旨のことを
言ってらして、納得してしまいました。
カチューシャを能力増強のヘッドギア風にも変えられたのかもしれませんが、あえて、赤いカチューシャのまま、というのは、
たぶんフランソワーズを知らない人が見たら、かなり珍妙なファッションセンスかもしれませんが、
もし、なかったら落ち着かないかな、と。
ストーリーでは、ペンタゴンの一件で自らの不可解な体験により「神(彼の声)」を見定め、愕然とするジェットがうまいです。
彼の声、とは、いろいろ解釈がなりたつのですが、もしかしたら、単に脳の中で起こった無意識な働きなんじゃないか?という発想が
ジェットの身に起こったことで納得させられるのです。一種の衝動殺人みたいなものなのですが。
ここは前振りで、004が延々と仮説を語る部分もあり、一見その仮説が正しかったかのようにもみえるんです。
でも、
最後に起きたことや、エンディングの最後の最後に出てくる月の表面のアレは、それでは説明がつかない。
この、違和感を残したまま終わるところが、個人的にはツボでした。
ここは中途半端な印象を受けて、見た人の評価を分けるところでしょうけど、
天使編や神々との戦いが安易に結論付けられ、解明されるよりは、いいんじゃないでしょうか?
フランソワーズの聴力視力以外の能力もカッコよく、004(ちょっとダニエル・クレイグっぽい)のニヤリとしながら応戦する隠しきれない好戦的な部分もいい。
お利口なイワンが実業家006と交わす世間話もなかなか楽しいし、
006や005の個性的な戦闘時の動きもいちいちカッコイイと思いました。
もし、続編を作るなら、今度こそ、007と008も能力発揮できるシーンを!
それから、コメンタリーの監督の話が興味深かったです。
3D技術をあえてセルアニメ風に見せる面白さ、
セルアニメを見慣れていると、ディズニーの枠取り線がないアニメより、輪郭を描いて中を塗ったようなイメージの絵の方が好きかな。
キャラクターの細かい所作へのこだわり、
音楽やサウンドエフェクトの使い方、
そういうものが、とってもよく理解できて、
飛躍的な技術より、むしろ根気のいるモノつくりの凄まじさを知りました。