未闘病記――膠原病、「混合性結合組織病」の (膠原病、「混合性結合組織病」の未闘病記)
とても、とても。よかったです。ずっとそばに、おいておきたい本。大切な人に、贈りたい本。装丁も、写真も、本の紐の色さえも。
カジュアル スポーツ ラバー ベルト 金属アレルギー OK
一般の店舗ではなかなか見つけることが出来ない発色のラバーで大満足です。長さが120センチで当然男子も余裕あり、私も切って調整しました。バックルも色違いの予備も付属しておりプラスチックの安心感も倍増。元々の強度も有りそうですが。某芸能人のミラノファッションのベルトもオレンジ色でしたキャッホー。
センスが光る ノルディック 柄 カジュアル ニット タイ ネクタイ
カーキ色よりも、紺の方が強いイメージでした。生地もニット感は少なくツルっとした感じです。が、商品はとても良いと思います。対応も丁寧で早くて助かりました。
ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)
単なる精神疾患の記録に終始せず、作者の感情や状況がうまくまとめられた本である。
作者の統合失調の症状がひどくなるにつれ、現実と妄想との区別がなくなり、
不思議と文章も少し分かりづらくなっていく。
一部文章がわかりにくいという指摘もあるようだが、(単行本、統合室長症からのレビューによる。)
この「文章がわかりにくくなっていく過程」こそが統合失調症そのものの病状(現実と妄想の区別がつかない)
を表しているように思える。
私は統合失調症という病気をよく知らなかったが、この本を読んで、いかに脳と精神、そして行動が
混乱してしまうかがよく理解できた。
このような病気を抱えた作者がこのレベルの文章を書いたのは大変なことだったと思う。
病気の記録として読むのもよいが、読み物としても十分に面白い。
正直、色川たけひろの狂人日記などよりも興味深く読み進めることができた。
また、まえがきと後書きを書いた望月氏という人物が素晴らしい。
望月氏の文章はほんのわずかであるが、
作者である小林氏と真剣に向き合い、時にはアドバイザーとして、時には仕事の先輩として
小林氏をあたかかく見守っていることがよくわかる。この望月氏の文章も必読。
作者の統合失調の症状がひどくなるにつれ、現実と妄想との区別がなくなり、
不思議と文章も少し分かりづらくなっていく。
一部文章がわかりにくいという指摘もあるようだが、(単行本、統合室長症からのレビューによる。)
この「文章がわかりにくくなっていく過程」こそが統合失調症そのものの病状(現実と妄想の区別がつかない)
を表しているように思える。
私は統合失調症という病気をよく知らなかったが、この本を読んで、いかに脳と精神、そして行動が
混乱してしまうかがよく理解できた。
このような病気を抱えた作者がこのレベルの文章を書いたのは大変なことだったと思う。
病気の記録として読むのもよいが、読み物としても十分に面白い。
正直、色川たけひろの狂人日記などよりも興味深く読み進めることができた。
また、まえがきと後書きを書いた望月氏という人物が素晴らしい。
望月氏の文章はほんのわずかであるが、
作者である小林氏と真剣に向き合い、時にはアドバイザーとして、時には仕事の先輩として
小林氏をあたかかく見守っていることがよくわかる。この望月氏の文章も必読。
闘病記専門書店の店主が、がんになって考えたこと
星野史雄氏、「がん」に関して世界最高の 体験記録を読んだ人。
妻が癌で死去。そして、おのれも癌に。
しかし、彼は、妻と己のがん体験をみごとに伝えた。「がん」への恐怖はすでにない。かれが、癌体験者の記録を読破しつづけた、そして前代未聞の『闘病記専門古書店』を主宰しつづけている。妻を看とり、そして自己も大腸癌であり、転移していた。この書は、「がん」となるであろう私たちが知っておかぬことを 多くの人の体験記を紹介しつくしている書である。
「がん」はいつも私たち生き物の中で日常的におこる現象。これを病と言っていいのかどうか既に癌患者である者としてはわからない。生まれたときから私たちは死にむかって生きている。その過程においておこる自然現象に過ぎない。それを「病」と言うべきかどうかも疑問である。星野氏の「がん」(あえて平仮名をつかっている)観は、やはり「病」として観ているようである。自然現象としてとらえていいのかもしれない。私は自然現象としてとらえている。ただ、自己の身体の細胞が「癌細胞」として、生ききったとき、それは、自己の身体全体の中で、阻止できなかった自己の生体をあらためて感じる瞬間でもある。
私たちは常に癌になる細胞により生きているのだ。癌を病とみるか、あるいは自然現象として観るか。さらに、早期ならば癌化した細胞を切除可能かもしれない。それは、ラッキーと言うべき。早期発見・早期対応が可能ならば、現代の医学で処理可能であるかもしれない。「病い」ということで、脅えてしまうのが常人。しかし、自然現象であれば受け入れざるをえない。
著者は、この「身体を構成している細胞群の変化」をどう見ているのであろうか。病とみるか、自然現象として確率的にあらわれる現象としてとらえているのか。そこが少し不鮮明。
この書のすばらしさは「病い」としてとらえ、『死』への接近が早い身体の現象を、不安と怯えで生きてきた人たちの体験記をみごとに読み続けてきたこと。
この書の価値は、この書一冊で、過去の「がん」となった肉体と見合ってきた諸氏の経験を十分に知ることができることである。そして、医療なるモノへの期待をいだく私たちの弱さを知ることができることである。是非とも この書を 読まれることを 祈る。
著者が今、いかなる事態で、いかなる心境で、「がん」をとらえられているのかを知ることは 多くの諸氏に参考になるであろう。涙がでるような 冷静な 視点で著者は今生きておられるであろう。
著者がさらに自己の体験を率直に語って下さる続篇を私たちにプレゼントして下さることを切実に祈っています。
ありがとう。このような書物を出して下さったことを。同病者として感謝します。
妻が癌で死去。そして、おのれも癌に。
しかし、彼は、妻と己のがん体験をみごとに伝えた。「がん」への恐怖はすでにない。かれが、癌体験者の記録を読破しつづけた、そして前代未聞の『闘病記専門古書店』を主宰しつづけている。妻を看とり、そして自己も大腸癌であり、転移していた。この書は、「がん」となるであろう私たちが知っておかぬことを 多くの人の体験記を紹介しつくしている書である。
「がん」はいつも私たち生き物の中で日常的におこる現象。これを病と言っていいのかどうか既に癌患者である者としてはわからない。生まれたときから私たちは死にむかって生きている。その過程においておこる自然現象に過ぎない。それを「病」と言うべきかどうかも疑問である。星野氏の「がん」(あえて平仮名をつかっている)観は、やはり「病」として観ているようである。自然現象としてとらえていいのかもしれない。私は自然現象としてとらえている。ただ、自己の身体の細胞が「癌細胞」として、生ききったとき、それは、自己の身体全体の中で、阻止できなかった自己の生体をあらためて感じる瞬間でもある。
私たちは常に癌になる細胞により生きているのだ。癌を病とみるか、あるいは自然現象として観るか。さらに、早期ならば癌化した細胞を切除可能かもしれない。それは、ラッキーと言うべき。早期発見・早期対応が可能ならば、現代の医学で処理可能であるかもしれない。「病い」ということで、脅えてしまうのが常人。しかし、自然現象であれば受け入れざるをえない。
著者は、この「身体を構成している細胞群の変化」をどう見ているのであろうか。病とみるか、自然現象として確率的にあらわれる現象としてとらえているのか。そこが少し不鮮明。
この書のすばらしさは「病い」としてとらえ、『死』への接近が早い身体の現象を、不安と怯えで生きてきた人たちの体験記をみごとに読み続けてきたこと。
この書の価値は、この書一冊で、過去の「がん」となった肉体と見合ってきた諸氏の経験を十分に知ることができることである。そして、医療なるモノへの期待をいだく私たちの弱さを知ることができることである。是非とも この書を 読まれることを 祈る。
著者が今、いかなる事態で、いかなる心境で、「がん」をとらえられているのかを知ることは 多くの諸氏に参考になるであろう。涙がでるような 冷静な 視点で著者は今生きておられるであろう。
著者がさらに自己の体験を率直に語って下さる続篇を私たちにプレゼントして下さることを切実に祈っています。
ありがとう。このような書物を出して下さったことを。同病者として感謝します。