モノノ怪 四之巻 「鵺」 [DVD]
前編だけだと、色彩・背景は深夜ということを最大限利用しているなと。声優も相変わらず豪華。作画の崩れはゼロです。
OPがちょっと変わってて「おおおw」っとなりました。
あと毎回毎回そうですが、御札や天秤といったワンパターンと思われる中にも、ちょっと違いがありました。回をかさねるごとに少しずつ難しくなっているのが分かります。
そういったちょっとした違いを「楽しめる」アニメはそんなにないのではないでしょうか?
私はすでに全作品予約済みですが、この鵺は怪~ayakashi~の化猫のときのような新鮮も味わえます。
次はどうなるのか?これは何の伏線なのか?毎回考えるのが楽しい作品です。
OPがちょっと変わってて「おおおw」っとなりました。
あと毎回毎回そうですが、御札や天秤といったワンパターンと思われる中にも、ちょっと違いがありました。回をかさねるごとに少しずつ難しくなっているのが分かります。
そういったちょっとした違いを「楽しめる」アニメはそんなにないのではないでしょうか?
私はすでに全作品予約済みですが、この鵺は怪~ayakashi~の化猫のときのような新鮮も味わえます。
次はどうなるのか?これは何の伏線なのか?毎回考えるのが楽しい作品です。
モノノ怪 弐之巻 海坊主 [DVD]
TVシリーズ「モノノ怪」初となる三部構成の本作「海坊主」。
今回の舞台は海を進む船上・そらりす丸。相変わらずきらびやかな装飾と浮世絵表現を多用した船内は「美しい」の一言。
この船に乗り合わせた人々も坊主、剣士、町娘、修験者など個性的なキャラクターで魅力的。
しかしそこで起こるのは突如出現したモノノ怪による船の襲撃。皆はただうろたえるが、そこに現れたのは誰あろう謎の男・薬売り!
薬売りの術によりことなきを得たが、誰かが船の進路を操作したということが判明する。一体誰が犯人なのか。
そしてこの海に現れるモノノ怪の過去の因果は何なのか。
それを不適に笑いながら解決する薬売りがとてもカッコいい!
今回は三部構成なのでとても重厚で深いストーリー展開と薬売りの探偵劇が見所ではあるが
キャラクターも多くそれぞれの個性が強烈なのでそれだけでも楽しめる。
そしてなによりもモノノ怪の醍醐味である映像美に酔いしれよう!
今回の舞台は海を進む船上・そらりす丸。相変わらずきらびやかな装飾と浮世絵表現を多用した船内は「美しい」の一言。
この船に乗り合わせた人々も坊主、剣士、町娘、修験者など個性的なキャラクターで魅力的。
しかしそこで起こるのは突如出現したモノノ怪による船の襲撃。皆はただうろたえるが、そこに現れたのは誰あろう謎の男・薬売り!
薬売りの術によりことなきを得たが、誰かが船の進路を操作したということが判明する。一体誰が犯人なのか。
そしてこの海に現れるモノノ怪の過去の因果は何なのか。
それを不適に笑いながら解決する薬売りがとてもカッコいい!
今回は三部構成なのでとても重厚で深いストーリー展開と薬売りの探偵劇が見所ではあるが
キャラクターも多くそれぞれの個性が強烈なのでそれだけでも楽しめる。
そしてなによりもモノノ怪の醍醐味である映像美に酔いしれよう!
ウロボロスの純正音律 (講談社ノベルス)
作者は現在隆盛を極める変則ミステリの祖と言ってよいだろう。思春期に『匣の中の失楽』の影響を受けたミステリファン(現ミステリ作家も含む)は数知れない(かくいう私もそのひとりである)。『匣の中の失楽』は、反ミステリの金字塔である先行作・中井英夫『虚無への供物』へのオマージュであるが、後者は道徳的・人間論的な形で(いわば神学的に)ミステリの不可能性を開示したのに対して、前者は語りの構造を通してその不可能性を示した。穿っていえば、『匣の中の失楽』はゲーデルの不完全性定理のような衝撃をミステリ界に引き起こしたのである。
アナロジカルに見て面白いのは、(一部で誤解されているように)ゲーデルの定理によって通常の数学が崩壊したわけではなくむしろ発展したように、ミステリは『匣―』式の変則ミステリを含みこむことで、以前の時代に比して驚くほど多様になっていったということだ。例えば綾辻行人はごりごりの正統派に見えるが、かつての古典をモデル(イデア)として立てたミステリ観から書かれてはいない。あくまで平行線公理の否定も成り立つことを認めた上での平行線公理の使用である。今では「正統ミステリ」とは、いつでも変更可能で廃棄可能な、一定の「公理」を採用したミステリの意にほかならない。
竹本健治は『匣の中の失楽』の神話性を自ら破壊するかのごとく、その構築的脱ミステリ性自体をパロディ化して、現実のミステリ作家やミステリ関係者を多数登場させた、現実と虚構の決定不可能性を試行する『ウロボロスの偽書』を上梓した。当初は賛否両論あったかと思うが、続編『ウロボロスの基礎論』あたりでは、その作法はおおむね好意的に受け入れられ、さらなる続編の期待が高まっていった。そのウロボロスシリーズの三作目にして最終作として満を持して出版されたのが、この『ウロボロスの純正音律』である。
前作では二つの系、前々作では三つの系と、複数の系が絡み合ってストーリーが進行した(つまり多重世界的であった)のに対して、今作はストーリーが一本化している。それに呼応するかのように、シリーズ中もっとも正統ミステリ感が濃い。定番の薀蓄も残っている(純正律についてのそれには感心した)が、はっきりストーリーの伏線になっている。そもそも謎の洋館の中で生じる「見立て」連続殺人という時点で、ばりばりの正統派である(もちろん上記の通り、今日のミステリファンはそれを文字通り取るわけではない)。探偵役もいつもの綾辻行人に、作品中の京極堂さながらの京極夏彦、意外な伏兵北村薫と揃っている。
竹本健治のストーリーテーラーぶりが遺憾なく発揮されており、ミステリファンはもちろんそうでないひとにも、躊躇なくお勧めできる、娯楽小説になっている。
アナロジカルに見て面白いのは、(一部で誤解されているように)ゲーデルの定理によって通常の数学が崩壊したわけではなくむしろ発展したように、ミステリは『匣―』式の変則ミステリを含みこむことで、以前の時代に比して驚くほど多様になっていったということだ。例えば綾辻行人はごりごりの正統派に見えるが、かつての古典をモデル(イデア)として立てたミステリ観から書かれてはいない。あくまで平行線公理の否定も成り立つことを認めた上での平行線公理の使用である。今では「正統ミステリ」とは、いつでも変更可能で廃棄可能な、一定の「公理」を採用したミステリの意にほかならない。
竹本健治は『匣の中の失楽』の神話性を自ら破壊するかのごとく、その構築的脱ミステリ性自体をパロディ化して、現実のミステリ作家やミステリ関係者を多数登場させた、現実と虚構の決定不可能性を試行する『ウロボロスの偽書』を上梓した。当初は賛否両論あったかと思うが、続編『ウロボロスの基礎論』あたりでは、その作法はおおむね好意的に受け入れられ、さらなる続編の期待が高まっていった。そのウロボロスシリーズの三作目にして最終作として満を持して出版されたのが、この『ウロボロスの純正音律』である。
前作では二つの系、前々作では三つの系と、複数の系が絡み合ってストーリーが進行した(つまり多重世界的であった)のに対して、今作はストーリーが一本化している。それに呼応するかのように、シリーズ中もっとも正統ミステリ感が濃い。定番の薀蓄も残っている(純正律についてのそれには感心した)が、はっきりストーリーの伏線になっている。そもそも謎の洋館の中で生じる「見立て」連続殺人という時点で、ばりばりの正統派である(もちろん上記の通り、今日のミステリファンはそれを文字通り取るわけではない)。探偵役もいつもの綾辻行人に、作品中の京極堂さながらの京極夏彦、意外な伏兵北村薫と揃っている。
竹本健治のストーリーテーラーぶりが遺憾なく発揮されており、ミステリファンはもちろんそうでないひとにも、躊躇なくお勧めできる、娯楽小説になっている。