新装版 法隆寺 (日本人はどのように建造物をつくってきたか)
以前のハードカバー仕様の本も持っていますが、かなりくたびれてきたので、買い直しました。子供にもわかりやすく書かれていて、イラストも素晴らしい。これを読んでから法隆寺に行ってみると感動が増しますね。
隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)
現在見る法隆寺が再建されたものであることは、明らかであるが、いつ、誰が、何のために再建したのか日本書紀は何も語らない。そこで謎が生まれる。
哲学の徒である梅原猛氏は、法隆寺『資財帳』の記録を見てデルフォイの神託を受けたが如く「聖徳太子の怨霊鎮魂仮説」が脳裏に閃めいた。その仮説によると、今まで謎とされてきた多くの事実が合理的に説明できることに気がついて本書が執筆された。
ソフィストに立ち向かうソクラテスの如く、氏の筆は勇猛果敢である。結構、厚い本にもかかわらず読者を引付けて止まず一気に読ませる。特に圧巻は夢殿の救世観音。「怨霊史観」によるおどろおどろしい世界が現出する。本書の初出は1970年代初め。古代史ファンを大いに増やした貢献を評価して星4つとした。
尚、他のレビュアーも触れているが、最近の知見を踏まえた武澤秀一著「法隆寺の謎を解く」を合わせて読むことをお勧めする。
哲学の徒である梅原猛氏は、法隆寺『資財帳』の記録を見てデルフォイの神託を受けたが如く「聖徳太子の怨霊鎮魂仮説」が脳裏に閃めいた。その仮説によると、今まで謎とされてきた多くの事実が合理的に説明できることに気がついて本書が執筆された。
ソフィストに立ち向かうソクラテスの如く、氏の筆は勇猛果敢である。結構、厚い本にもかかわらず読者を引付けて止まず一気に読ませる。特に圧巻は夢殿の救世観音。「怨霊史観」によるおどろおどろしい世界が現出する。本書の初出は1970年代初め。古代史ファンを大いに増やした貢献を評価して星4つとした。
尚、他のレビュアーも触れているが、最近の知見を踏まえた武澤秀一著「法隆寺の謎を解く」を合わせて読むことをお勧めする。
1/75 法隆寺 五重の塔(レーザーカット)
数ある木造建築の中でも一際存在感のある法隆寺の五重塔が忠実に再現されています。個々の部品がレーザーカットによって正確に成型されているので組み立てやすくなっています。切り口がレーザーによる切断時に焦げているので気になる方は削った方が良いかもしれません。
法隆寺の謎を解く (ちくま新書)
本書は、タイトルのとおり世界最古の木造建築である法隆寺の謎を解き明かそうと試みている。多くの人々が関心を持つ中門の中央にある柱の謎のみならず、塔の心礎の謎、金堂本尊の謎、柱の伐採年から推定される創建や再建の年代、誰が何の目的で再建したのか、太子信仰が生まれた背景などについても、復元図や法隆寺内部の写真なども掲載して、当時の他の寺と比較しながら、実証的に法隆寺の謎を解き明かそうとしている。とりわけ、「中門の柱の謎」に多くの頁をさいている。
飛鳥時代から1300年以上経った21世紀の現代人には、寺の門の中央が開いているのは当たり前のことだし、その中央に柱が立っていたら、「邪魔だ」と思うか、入口と出口の区別ぐらいにしか思わないだろう。数十年前に梅原猛氏はそれを「聖徳太子の怨霊を封じ込めるため」と解釈した。当時は、「聖徳太子架空説」がもてはやされていた時期なので、逆説的に聖徳太子実在論を展開したのかなと思ったものである。読者受けのするセンセーショナルな説は興味深いが、「深読み過ぎ」ということもあるのではないだろうか。
本書の著者は冷静な建築家の視点からのみならず、個人的に何十回もインドを見て回った経験や知見に基づいて、また飛鳥時代の人々の価値観(道教の影響等)や信仰心に沿って「法隆寺の謎」に迫って行く。これまで「中央の柱の謎」について発表された諸説についても、それぞれの説について著者の考えを披露している。著者自身の考えを読者に押しつけることなく、ひとつひとつ疑問を解いていこうとする真摯な態度に好感が持て、じっくり最後までつきあうことができた。新書版という手ごろさもあるが、内容が充実していて示唆に富んでいる。
仏教の生まれたインドでは、プラダクシナー・パタという祈りの作法があり、祈りの対象となる仏舎利を納めた塔の周りを右回りにまわりながらお祈りをするそうである。このことから、法隆寺など寺院の回廊の意味を明らかにする。
伽藍の配置について、金堂と塔が南北方向に一直線に並ぶタテ配置(四天王寺や創建当時の法隆寺など)から東西方向に横一列に並ぶヨコ配置(百済大寺や再建後の法隆寺から後世の寺のほとんど)への転換がなぜ起こったのかについても考察する。そして再建後の法隆寺(著者は新創建法隆寺と言う)より前に舒明天皇の発願で建てられた百済大寺には、横並びの金堂と塔のそれぞれに門があったという復元案を紹介する。となると、再建された法隆寺の中門はそれら2つの門を合体したものなのか。特別に大きく造られた中門の広いスペースが礼拝など儀式のために設けられた可能性にも言及している。
現代では観光客でも寺の境内や建物内部に入って拝観するのが当たり前になっているが、飛鳥時代には、関係者など極限られた人にしか立入りが許可されなかったそうである。法隆寺の中門が礼拝所の役割を担っていたとしたら、仏舎利を納めた塔と仏像を安置した金堂をそれぞれ遠くから礼拝するために、独立性をもたせつつどちらにも行き来できるように「仕切り壁のない柱」が中央に必要であったと考えることもできる。
当時はまだ仏教伝来から100年余りしか経っておらず、寺建立の過渡期にあったと見ることができ、その後の寺の位置づけ、礼拝の作法、中門の役割あるいは建築技法などが変化したことから、左右を仕切る「中央の柱」が不要になり、法隆寺だけ「謎の柱」が残ったという可能性もあるのではないだろうか。本書でこの点をもう少し深く掘り下げていれば、「中央の柱の意味」がもっと明確になったのではないかと思う。
飛鳥時代から1300年以上経った21世紀の現代人には、寺の門の中央が開いているのは当たり前のことだし、その中央に柱が立っていたら、「邪魔だ」と思うか、入口と出口の区別ぐらいにしか思わないだろう。数十年前に梅原猛氏はそれを「聖徳太子の怨霊を封じ込めるため」と解釈した。当時は、「聖徳太子架空説」がもてはやされていた時期なので、逆説的に聖徳太子実在論を展開したのかなと思ったものである。読者受けのするセンセーショナルな説は興味深いが、「深読み過ぎ」ということもあるのではないだろうか。
本書の著者は冷静な建築家の視点からのみならず、個人的に何十回もインドを見て回った経験や知見に基づいて、また飛鳥時代の人々の価値観(道教の影響等)や信仰心に沿って「法隆寺の謎」に迫って行く。これまで「中央の柱の謎」について発表された諸説についても、それぞれの説について著者の考えを披露している。著者自身の考えを読者に押しつけることなく、ひとつひとつ疑問を解いていこうとする真摯な態度に好感が持て、じっくり最後までつきあうことができた。新書版という手ごろさもあるが、内容が充実していて示唆に富んでいる。
仏教の生まれたインドでは、プラダクシナー・パタという祈りの作法があり、祈りの対象となる仏舎利を納めた塔の周りを右回りにまわりながらお祈りをするそうである。このことから、法隆寺など寺院の回廊の意味を明らかにする。
伽藍の配置について、金堂と塔が南北方向に一直線に並ぶタテ配置(四天王寺や創建当時の法隆寺など)から東西方向に横一列に並ぶヨコ配置(百済大寺や再建後の法隆寺から後世の寺のほとんど)への転換がなぜ起こったのかについても考察する。そして再建後の法隆寺(著者は新創建法隆寺と言う)より前に舒明天皇の発願で建てられた百済大寺には、横並びの金堂と塔のそれぞれに門があったという復元案を紹介する。となると、再建された法隆寺の中門はそれら2つの門を合体したものなのか。特別に大きく造られた中門の広いスペースが礼拝など儀式のために設けられた可能性にも言及している。
現代では観光客でも寺の境内や建物内部に入って拝観するのが当たり前になっているが、飛鳥時代には、関係者など極限られた人にしか立入りが許可されなかったそうである。法隆寺の中門が礼拝所の役割を担っていたとしたら、仏舎利を納めた塔と仏像を安置した金堂をそれぞれ遠くから礼拝するために、独立性をもたせつつどちらにも行き来できるように「仕切り壁のない柱」が中央に必要であったと考えることもできる。
当時はまだ仏教伝来から100年余りしか経っておらず、寺建立の過渡期にあったと見ることができ、その後の寺の位置づけ、礼拝の作法、中門の役割あるいは建築技法などが変化したことから、左右を仕切る「中央の柱」が不要になり、法隆寺だけ「謎の柱」が残ったという可能性もあるのではないだろうか。本書でこの点をもう少し深く掘り下げていれば、「中央の柱の意味」がもっと明確になったのではないかと思う。