高部あい Ai~DOLCE [DVD]
色とりどりの衣装と、様々な髪型が楽しめる素敵な作品です。
また、柔らかく語りかける声や、視聴者を恋人に見立ててデートの一日を再現した
ドラマ仕立てのパートなど、彼女の魅力がどのシーンでも溢れています。
これまでにない大人っぽさと、これまで通りの可愛らしさの
どちらも感じられる作品でもあります。
彼女は見た目だけでなく心までとても美しく、自然体で親しみやすい女性です。
胸に抱えた荷物が重くて困ってる方もこの作品を見ればきっと、
優しい笑顔の魔法に癒されてしまう事でしょう。
また、柔らかく語りかける声や、視聴者を恋人に見立ててデートの一日を再現した
ドラマ仕立てのパートなど、彼女の魅力がどのシーンでも溢れています。
これまでにない大人っぽさと、これまで通りの可愛らしさの
どちらも感じられる作品でもあります。
彼女は見た目だけでなく心までとても美しく、自然体で親しみやすい女性です。
胸に抱えた荷物が重くて困ってる方もこの作品を見ればきっと、
優しい笑顔の魔法に癒されてしまう事でしょう。
高部あい 天使のKiss [DVD]
高部あいの魅力は折り紙付き。
ルックスは言うまでもなく、愛くるしい話し声や美しい髪。
はじける様な笑顔や透き通るような肌・・・等々、
美少女の要素を余すところなく持ち合わせている。
かつ、彼女が持っている品の良さや清潔感は、他の美少女達のそれとは明らかに別格。
残念なのは、製作側のこだわりの足りなさ。
設定や衣装は取って付けたようだし、
全体を通して、時間をかけて作っていない感じ。
モデルの魅力を引き出そうとする意欲が全く感じられない。
素材の良さに頼りっきりで、ただ作ってリリースしました、という印象。
商売にはなるのかも知れないが、演じているほうが可哀そう。
次回は高部あいの魅力をしっかり引き出した作品になると嬉しいです。
個人的には、彼女は艶っぽいシーンや過度な露出とかは必要ないと思う。
それよりも、色んな表情を色んな角度から、自然な形で映してほしい。
そういった意味では、ファーストのDVDは素晴らしかったな…
ルックスは言うまでもなく、愛くるしい話し声や美しい髪。
はじける様な笑顔や透き通るような肌・・・等々、
美少女の要素を余すところなく持ち合わせている。
かつ、彼女が持っている品の良さや清潔感は、他の美少女達のそれとは明らかに別格。
残念なのは、製作側のこだわりの足りなさ。
設定や衣装は取って付けたようだし、
全体を通して、時間をかけて作っていない感じ。
モデルの魅力を引き出そうとする意欲が全く感じられない。
素材の良さに頼りっきりで、ただ作ってリリースしました、という印象。
商売にはなるのかも知れないが、演じているほうが可哀そう。
次回は高部あいの魅力をしっかり引き出した作品になると嬉しいです。
個人的には、彼女は艶っぽいシーンや過度な露出とかは必要ないと思う。
それよりも、色んな表情を色んな角度から、自然な形で映してほしい。
そういった意味では、ファーストのDVDは素晴らしかったな…
中沢厚子ファーストアルバム(紙ジャケット仕様)
吉田拓郎の「男の子女の娘」でデュエット相手を務めているのがこの中沢厚子である。
アングラ・フォーク系レーベルの再評価は、“メジャーな叙情派フォークとは違ったちょっと変なフォーク”という文脈がメインだったため、CD化が後回しになったのはしかたがないが、だからといってなかったことにしてしまうのはもったいない。むしろヤマハのポプコンかというような美しい声とまっすぐな歌唱を聴かせている。オリジナル・ライナーには森山良子からの影響について言及されているが、それは一聴すればすぐ判ることであって、あの素直な音楽性を素直に自分のものとしている。吉田拓郎や泉谷しげるのような強い“個”を期待した向きには物足りないかもしれないが、こういった歌謡フォークもエレック・レコードのひとつの側面ではあると言える。
14曲中5曲が自作。他者の提供曲も含めて、非常に誠実な内容が多く、真面目な歌い方と相俟ってポップ・ソング的な飛躍には欠けるかもしれない。しかしこれはこれで中庸の良さであり、繰り返し聴くうちに心に染みてくる素朴な良さであると思う。こういう“あざとくなさ”は、例えばユーミンの御洒落な感じや中島みゆきの身も蓋もなさがトゥーマッチだと感じる層にアピールするのではないか。
「歩いて行きたいところは」はさわやかな歌謡ロック。
「あじさいの歌」はもしや佐藤公彦の「通りゃんせ」第二弾を狙ったのか。
「鐘が鳴る前に」は歌謡曲テイストが映える失恋の歌。自身による(?)コーラスが印象的。
「セピア色のバラード」は、かぐや姫の「加茂の流れに」の東京版、と言っては言い過ぎか。
そういえば同時期のエレックの女性シンガー丸山圭子とは全体的に共通するムードが感じられるが、「道草」は彼女の作品。
と、そんな中で、珍しく歪な感じの歌詞を、まっすぐなヴォーカルのまま歌い上げた「あやつり人形」は危うげな妙な輝きを放っていると思う。
更に、「あじさいの花の下で」は前述の佐藤公彦の作曲。彼のヴァージョンは『落書き』('75年)に収録されており、“21才の時ってぼくにとって暗い年でした(中略)でもこの唄はそんな泥沼の中に咲いた一輪の花です”とコメントしている名曲である。
アングラ・フォーク系レーベルの再評価は、“メジャーな叙情派フォークとは違ったちょっと変なフォーク”という文脈がメインだったため、CD化が後回しになったのはしかたがないが、だからといってなかったことにしてしまうのはもったいない。むしろヤマハのポプコンかというような美しい声とまっすぐな歌唱を聴かせている。オリジナル・ライナーには森山良子からの影響について言及されているが、それは一聴すればすぐ判ることであって、あの素直な音楽性を素直に自分のものとしている。吉田拓郎や泉谷しげるのような強い“個”を期待した向きには物足りないかもしれないが、こういった歌謡フォークもエレック・レコードのひとつの側面ではあると言える。
14曲中5曲が自作。他者の提供曲も含めて、非常に誠実な内容が多く、真面目な歌い方と相俟ってポップ・ソング的な飛躍には欠けるかもしれない。しかしこれはこれで中庸の良さであり、繰り返し聴くうちに心に染みてくる素朴な良さであると思う。こういう“あざとくなさ”は、例えばユーミンの御洒落な感じや中島みゆきの身も蓋もなさがトゥーマッチだと感じる層にアピールするのではないか。
「歩いて行きたいところは」はさわやかな歌謡ロック。
「あじさいの歌」はもしや佐藤公彦の「通りゃんせ」第二弾を狙ったのか。
「鐘が鳴る前に」は歌謡曲テイストが映える失恋の歌。自身による(?)コーラスが印象的。
「セピア色のバラード」は、かぐや姫の「加茂の流れに」の東京版、と言っては言い過ぎか。
そういえば同時期のエレックの女性シンガー丸山圭子とは全体的に共通するムードが感じられるが、「道草」は彼女の作品。
と、そんな中で、珍しく歪な感じの歌詞を、まっすぐなヴォーカルのまま歌い上げた「あやつり人形」は危うげな妙な輝きを放っていると思う。
更に、「あじさいの花の下で」は前述の佐藤公彦の作曲。彼のヴァージョンは『落書き』('75年)に収録されており、“21才の時ってぼくにとって暗い年でした(中略)でもこの唄はそんな泥沼の中に咲いた一輪の花です”とコメントしている名曲である。