A [DVD]
森監督の書籍にはこうある
「テレビ的な技巧のすべてを排除したかった」
それはある程度実現していたと思う。表面的なところでは。
森監督の言うように人間が作る作品に厳密に客観的だと言えるものはありえない。
そのうえテレレビは客観ではないどころか主観を押し付けてくる。
森監督はそれを厭うたのであろう。
客観はおそらくすぐに消える。テレビカメラを構えた瞬間から。
どんどん客観はなくなって行く。素材を編集し始めた時から、字幕を入れ始めた時から、
ナレーションをつけた時から。
そして、実は一番大きな主観は、音楽なのである。
音楽はこの作品の大きな傷である。
「テレビ的な技巧のすべてを排除したかった」
それはある程度実現していたと思う。表面的なところでは。
森監督の言うように人間が作る作品に厳密に客観的だと言えるものはありえない。
そのうえテレレビは客観ではないどころか主観を押し付けてくる。
森監督はそれを厭うたのであろう。
客観はおそらくすぐに消える。テレビカメラを構えた瞬間から。
どんどん客観はなくなって行く。素材を編集し始めた時から、字幕を入れ始めた時から、
ナレーションをつけた時から。
そして、実は一番大きな主観は、音楽なのである。
音楽はこの作品の大きな傷である。
美少女戦士セーラームーン 決戦/トランシルバニアの森~新登場!ちびムーンを護る戦士達~ [VHS]
この作品の注目点は、劇中で披露される数々の音楽にあるのではないでしょうか。ダイナミックな曲、静かで優しい曲、それぞれの曲が場面にとてもよく合っていて、変化に富んだ作品といえます。
しかし、ほかのレビューで言われている通り、ストーリーが少し複雑です。そこのところで☆ひとつマイナスにさせていただきました。
しかし、ほかのレビューで言われている通り、ストーリーが少し複雑です。そこのところで☆ひとつマイナスにさせていただきました。
A2 [DVD]
ドキュメンタリー映画『A』は、1996年頃のオウム真理教の信者の様子を写したものでした。
『A2』は、時期的には3−4年後の1999年から2000年頃を収めています。
途中で、外報部長の上祐史浩さんが出所し、メンバーに加わります。
やがて、オウムは「アレフ」に変わってゆきます。
『A』の中心人物であった荒木さんの登場場面が減って、いろんなタイプ(現場?)の信者が登場するのが今回の特徴と言えます。
地下鉄サリン事件が起きて、オウム真理教を去らない信者が大勢いるという報道を聞いた時に、全く理解することができませんでした。
リーダーたる麻原彰晃の異常な性格や行動が明るみに出ているのに、なぜだろうと思ったことはよく覚えているのですが、そのうち気にならなくなってきました。
全国で起きるオウムへの反対運動や拒絶行動に対しては、当然だろうと見ていました。
近くにオウムがいたら嫌だろうな、と思います。直接知っているわけではなくても、いつの間にかイメージが植え付けられていたのですね。
『A』を見た時に、オウムの問題は日本社会にビルトインされた相当深い問題の蓋を開けてみせたのではないかと感じました。
そして『A2』を見たわけですが、その考えはより確実になりました。
オウムの側に立って意見を述べるということは、日本社会では絶対的に困難になってしまいました。
しかし、この映画をみると、どちらが加害者でどちらが被害者なのかよくわからなくなってきます。
オウムの拠点周辺の住民が、オウム信者と仲良くなってゆく様子が写されています。
一方で、盆踊り大会に集まったようにシュプレヒコールを挙げてデモをしている人たちもいます。
オウム真理教のアジトに詰め寄る右翼団体とそれを阻止する警察の押し問答。そこに加わってクダをまく酔っ払い。
確かに麻原彰晃は前代未聞の殺人者なわけですし、修行として麻原の命に従った弟子たちは、これ以上ないほどの不気味さがあります。
しかし、ここに登場する若者は、この世で執着を捨てることにすべてを犠牲にして修行する道を選んだ人たちのようなのです。
麻原達犯罪者は、逮捕され裁判で法の裁きが進んでいる一方で、残された信者達には、善意の人たちによる社会的なリンチが待っていました。
犯罪を犯した汚らしく気持ちの悪い集団には、被害者の代わりにどんなことをしても構わない、といった意識が社会の広い範囲で醸成されていたのは間違いでしょう。
平和の社会の暴力の姿を『A2』を見て初めて確認することができました。
オウム信者は盛んにマスコミ報道について「信用できない」と言います。
社会の暴力となりうる装置として、一つにはマスコミがいるわけです。
オウムと地元住民の親密な情景はまったく報道されず、地元住民がオウムと対立しているという構図の報道でなければ記事にならないというのです。
簡単に終わりにしてはならないことでしょう。森さんも語っておられますが。
『A2』は、時期的には3−4年後の1999年から2000年頃を収めています。
途中で、外報部長の上祐史浩さんが出所し、メンバーに加わります。
やがて、オウムは「アレフ」に変わってゆきます。
『A』の中心人物であった荒木さんの登場場面が減って、いろんなタイプ(現場?)の信者が登場するのが今回の特徴と言えます。
地下鉄サリン事件が起きて、オウム真理教を去らない信者が大勢いるという報道を聞いた時に、全く理解することができませんでした。
リーダーたる麻原彰晃の異常な性格や行動が明るみに出ているのに、なぜだろうと思ったことはよく覚えているのですが、そのうち気にならなくなってきました。
全国で起きるオウムへの反対運動や拒絶行動に対しては、当然だろうと見ていました。
近くにオウムがいたら嫌だろうな、と思います。直接知っているわけではなくても、いつの間にかイメージが植え付けられていたのですね。
『A』を見た時に、オウムの問題は日本社会にビルトインされた相当深い問題の蓋を開けてみせたのではないかと感じました。
そして『A2』を見たわけですが、その考えはより確実になりました。
オウムの側に立って意見を述べるということは、日本社会では絶対的に困難になってしまいました。
しかし、この映画をみると、どちらが加害者でどちらが被害者なのかよくわからなくなってきます。
オウムの拠点周辺の住民が、オウム信者と仲良くなってゆく様子が写されています。
一方で、盆踊り大会に集まったようにシュプレヒコールを挙げてデモをしている人たちもいます。
オウム真理教のアジトに詰め寄る右翼団体とそれを阻止する警察の押し問答。そこに加わってクダをまく酔っ払い。
確かに麻原彰晃は前代未聞の殺人者なわけですし、修行として麻原の命に従った弟子たちは、これ以上ないほどの不気味さがあります。
しかし、ここに登場する若者は、この世で執着を捨てることにすべてを犠牲にして修行する道を選んだ人たちのようなのです。
麻原達犯罪者は、逮捕され裁判で法の裁きが進んでいる一方で、残された信者達には、善意の人たちによる社会的なリンチが待っていました。
犯罪を犯した汚らしく気持ちの悪い集団には、被害者の代わりにどんなことをしても構わない、といった意識が社会の広い範囲で醸成されていたのは間違いでしょう。
平和の社会の暴力の姿を『A2』を見て初めて確認することができました。
オウム信者は盛んにマスコミ報道について「信用できない」と言います。
社会の暴力となりうる装置として、一つにはマスコミがいるわけです。
オウムと地元住民の親密な情景はまったく報道されず、地元住民がオウムと対立しているという構図の報道でなければ記事にならないというのです。
簡単に終わりにしてはならないことでしょう。森さんも語っておられますが。
NHKおかあさんといっしょ ファミリーコンサート 40周年 うたのパーティ [VHS]
50周年のDVDに勝るとも劣らない内容です。
名曲、懐かしい歌がたくさんつまってます!
個人的には、おさむお兄さんとゆうこお姉さんの掛け合いが好きです。
一才の子どもに見せてあげたいので、ぜひDVD化を望みます。
名曲、懐かしい歌がたくさんつまってます!
個人的には、おさむお兄さんとゆうこお姉さんの掛け合いが好きです。
一才の子どもに見せてあげたいので、ぜひDVD化を望みます。