ネアンデルタール
初めてネアンデルタール人たちが登場する場面はかなり刺激的でどきどきしました。
が、物語が進むにつれて、かなりはちゃめちゃになってゆく印象です。
この作者は絵画的な表現が得意なようですが、他人の目がリモート・コントロールのカメラのような役割をして自分に見える、という設定は、面白くするためとは言え、やりすぎだと思いました。人はカメラ付きのロボットじゃないんですから…。
この術を習得しようとして修行に励む場面は、映画のスター・ウォーズあたりを連想させます。
で、最後はインディー・ジョーンズその他の映画と同様、すべてはガラガラと崩れてしまう、というアメリカの伝統芸能の決め事通りです。
現生人類はずる賢いから彼らに勝てた、という解釈も、ものごとを故意に悲観的に見るポーズのように感じられます。(彼らの能力の設定がかなり空想的なので、その結末にもいまいち説得力がない)
が、物語が進むにつれて、かなりはちゃめちゃになってゆく印象です。
この作者は絵画的な表現が得意なようですが、他人の目がリモート・コントロールのカメラのような役割をして自分に見える、という設定は、面白くするためとは言え、やりすぎだと思いました。人はカメラ付きのロボットじゃないんですから…。
この術を習得しようとして修行に励む場面は、映画のスター・ウォーズあたりを連想させます。
で、最後はインディー・ジョーンズその他の映画と同様、すべてはガラガラと崩れてしまう、というアメリカの伝統芸能の決め事通りです。
現生人類はずる賢いから彼らに勝てた、という解釈も、ものごとを故意に悲観的に見るポーズのように感じられます。(彼らの能力の設定がかなり空想的なので、その結末にもいまいち説得力がない)
そして最後にヒトが残った―ネアンデルタール人と私たちの50万年史
科学の進歩により、自然界に隠された多くの謎が解き明かされる一方、「何か意味があるに違いない」と思われていたことが、そうでもなかったということもわかってきた感がある。
なぜネアンデルタール人は滅び、私達は生き残ったのか?神の恩寵か?私達の祖先の努力の成果か?
本書では、それを「たまたま適切な時に適切な場所にいたから」と結論付ける。つまり偶然である。
そこには特に何の意味もない。結果があるだけだ。
このような視点で自然界を眺めてみると、私達を含む生物すべてが、非常に自由であるということに気づく。
何かの意思や、何かの法則に縛られるのではなく、気ままに環境への適応を試み、たまたま成功すれば生き延び、失敗すれば死に絶える。
日常の小さなアップダウンに翻弄される中で、「自分が何をしても、どうであっても、人類という種全体としては、運がすべてを決めるのだ」と考えるのは、たまには悪くない。
なぜネアンデルタール人は滅び、私達は生き残ったのか?神の恩寵か?私達の祖先の努力の成果か?
本書では、それを「たまたま適切な時に適切な場所にいたから」と結論付ける。つまり偶然である。
そこには特に何の意味もない。結果があるだけだ。
このような視点で自然界を眺めてみると、私達を含む生物すべてが、非常に自由であるということに気づく。
何かの意思や、何かの法則に縛られるのではなく、気ままに環境への適応を試み、たまたま成功すれば生き延び、失敗すれば死に絶える。
日常の小さなアップダウンに翻弄される中で、「自分が何をしても、どうであっても、人類という種全体としては、運がすべてを決めるのだ」と考えるのは、たまには悪くない。