源義経 (岩波新書)
義経についてよく知らない私の最大の疑問は、平家追討の先頭に立って武勲を挙げた人物が、なぜ兄の頼朝に攻められることになったかだ。それから東国が根拠地だったはずの源氏の息子が、幼少時(?)に京の五条橋で弁慶と戦うのか。
義経の逸話のいくつかはこのように断片的に知っているのだが、全体像としてうまくまとまらないし、その虚実もよくわからない。
本書は歴史資料としての「吾妻鏡」と「玉葉」、物語である「平家物語」、「平治物語」、「義経記」を素材として、歴史的事実と説話を区別し並列させて読み解いてくれる点で、義経の話への入門として役に立った。
義経の逸話のいくつかはこのように断片的に知っているのだが、全体像としてうまくまとまらないし、その虚実もよくわからない。
本書は歴史資料としての「吾妻鏡」と「玉葉」、物語である「平家物語」、「平治物語」、「義経記」を素材として、歴史的事実と説話を区別し並列させて読み解いてくれる点で、義経の話への入門として役に立った。
源義経 [DVD]
源九郎判官義経の一代記。
平治の乱で平清盛と敵対した源氏の棟梁・源義朝は敗れ、殺される。
源氏は壊滅し、義朝の側室であった義経の母親は子供たちと共に捕らえられるが、清盛の義理の母の命乞いで九死に一生を得る。
鞍馬山に預けられた義経だが、母の愛を受けられない身はどこか屈折した心を身に宿して成長する。
そんな京都で夜な夜な五条大橋の袂で刀剣を強奪される事件が続く。その数何と999本にも及んだという。
強奪していた犯人は「武蔵坊弁慶」。そしてその1000本目の刀の所持者となったのが源九郎義経。
襲撃は失敗。弁慶は義経に惚れ込み、かくてその死まで共にする主従関係が始まる。
平家の討っ手の手を逃れた一行は奥州の平泉へ。
藤原秀衡は奥州で4代に渡って栄華を極めていた。その後ろ盾を得て義経は成長する。
やがて世は反平家で染め上げられる。法皇の勅命を受け、驕る平家を討つべく源氏は全国で兵を挙げる。
そんな中に伊豆に流罪になっていた義経の異母兄・頼朝がいた。義経は兄の下に馳せ参じる。
そこからは壇ノ浦の戦いまで話は一気に進みます。平家滅亡に至るまでが第1部。
平家討伐の英雄・義経の運命が暗転する兆候は第1部でさえもそこかしこに見られる。
・兄「頼朝の再会の際の態度の豹変。上辺だけの感動」
・頼朝の側近の梶原景時との不仲。
・後白河院と頼朝との間に板挟みになる義経。
・持ち上げるだけ持ち上げて保身のために掌を返す後白河院。
これらの不安が収束していく第2部こそが今なお語り継がれる「判官びいき」へと繋がる義経の悲劇である。
そういった意味でやはり登場人物の中では一際目立つ弁慶に「里見浩太郎」。
そして、天才的武将と呼ぶにはあまりにも純粋かつ儚げな風体の義経は「野村宏伸」。
源氏の政権確立のためには只管非情な頼朝に「榎木孝明」。
そして、兄弟の不仲を利用して武士の力を削ごうとする老獪なる後白河法皇に「平幹二朗」。
この四者のそれぞれの立場の対比こそがこの作品の面白さであり、現代に生きる我々も学ぶべき点である。
だが、やはりこの中では主役の義経以上に弁慶の存在感が強烈である。
有名な奥州への逃避行の途中で安宅の関で勧進帳を読み上げる場面こそが最大の山場といっていい。
役人の富樫泰家と弁慶のやり取りは正に「丁々発止」。必見である!
一行は無事に関を抜けることが出来た。
だが、逃れた奥州の藤原家も秀衡の死後、頼朝の圧力に屈することになり、義経の命運もここに尽きる。
父に死なれ、母を知らず育ち、実の兄に利用された義経。
一方、身内を信用せず利用し尽くした頼朝の血筋も僅か3代で断絶する。
骨肉相争う世でははやり「栄華には繋がらなかった」ということだろう。
一族の仲が良かったことが平家の凋落に繋がったと頼朝は反面教師としたつもりだったのかもしれないが、
実際はすべからく「真逆」であったようだ。
平治の乱で平清盛と敵対した源氏の棟梁・源義朝は敗れ、殺される。
源氏は壊滅し、義朝の側室であった義経の母親は子供たちと共に捕らえられるが、清盛の義理の母の命乞いで九死に一生を得る。
鞍馬山に預けられた義経だが、母の愛を受けられない身はどこか屈折した心を身に宿して成長する。
そんな京都で夜な夜な五条大橋の袂で刀剣を強奪される事件が続く。その数何と999本にも及んだという。
強奪していた犯人は「武蔵坊弁慶」。そしてその1000本目の刀の所持者となったのが源九郎義経。
襲撃は失敗。弁慶は義経に惚れ込み、かくてその死まで共にする主従関係が始まる。
平家の討っ手の手を逃れた一行は奥州の平泉へ。
藤原秀衡は奥州で4代に渡って栄華を極めていた。その後ろ盾を得て義経は成長する。
やがて世は反平家で染め上げられる。法皇の勅命を受け、驕る平家を討つべく源氏は全国で兵を挙げる。
そんな中に伊豆に流罪になっていた義経の異母兄・頼朝がいた。義経は兄の下に馳せ参じる。
そこからは壇ノ浦の戦いまで話は一気に進みます。平家滅亡に至るまでが第1部。
平家討伐の英雄・義経の運命が暗転する兆候は第1部でさえもそこかしこに見られる。
・兄「頼朝の再会の際の態度の豹変。上辺だけの感動」
・頼朝の側近の梶原景時との不仲。
・後白河院と頼朝との間に板挟みになる義経。
・持ち上げるだけ持ち上げて保身のために掌を返す後白河院。
これらの不安が収束していく第2部こそが今なお語り継がれる「判官びいき」へと繋がる義経の悲劇である。
そういった意味でやはり登場人物の中では一際目立つ弁慶に「里見浩太郎」。
そして、天才的武将と呼ぶにはあまりにも純粋かつ儚げな風体の義経は「野村宏伸」。
源氏の政権確立のためには只管非情な頼朝に「榎木孝明」。
そして、兄弟の不仲を利用して武士の力を削ごうとする老獪なる後白河法皇に「平幹二朗」。
この四者のそれぞれの立場の対比こそがこの作品の面白さであり、現代に生きる我々も学ぶべき点である。
だが、やはりこの中では主役の義経以上に弁慶の存在感が強烈である。
有名な奥州への逃避行の途中で安宅の関で勧進帳を読み上げる場面こそが最大の山場といっていい。
役人の富樫泰家と弁慶のやり取りは正に「丁々発止」。必見である!
一行は無事に関を抜けることが出来た。
だが、逃れた奥州の藤原家も秀衡の死後、頼朝の圧力に屈することになり、義経の命運もここに尽きる。
父に死なれ、母を知らず育ち、実の兄に利用された義経。
一方、身内を信用せず利用し尽くした頼朝の血筋も僅か3代で断絶する。
骨肉相争う世でははやり「栄華には繋がらなかった」ということだろう。
一族の仲が良かったことが平家の凋落に繋がったと頼朝は反面教師としたつもりだったのかもしれないが、
実際はすべからく「真逆」であったようだ。
GENJI
小柄で素早い義経と大柄で怪力をもつ弁慶の2人を使い分けながら敵を倒して進むアクションゲーム。「スト2」「鬼武者」等でおなじみの岡本氏がカプコン独立後に初めて手がける、まさにルーキータイトルである。
敵の攻撃をギリギリまで引きつけてタイミング良くボタンを押す「神威」「心眼」のシステムや、「雅」を意識したという明るめで煌びやかな配色、和楽器を中心に取り入れたBGM(生録)が特徴。
ボタン1つで多彩な斬撃が繰り出せたり、死亡後経験値を引き継げたりとライトユーザー向けの遊び易さになっている点も見逃せない。
...と、一見すると、何だか巷で氾濫するただのヌルゲーのようにしか見えないのだが、そこはさすが岡本氏。
2周目からの難易度...もう鬼無茶(笑)。
LV(ステータス)上昇廃止、全装備品・回復アイテムの売買禁止、道中での装備品・回復アイテムの入った全宝箱の中身が空(つまり初期装備&回復アイテム無し縛り)...若干の抜け道はあるが、これはまさに激ヤバ。
某誌のインタビューにて、岡本氏は「間口の広さとやり込み要素の共存」(ライト&ハードユーザー各々に対する棲み分け)について語っている。
...それは決して難易度の高低だけではないという。前述のようなゲームシステムへの配慮や、1周遊んだだけではなかなか気づきにくい細かな要素にも及ぶ。例えば「神威」によって出る技が(敵の種類はおろか)コンマ数秒単位で幾通りにも分けられている事に、大抵の人は一見では気付かないだろう。
確かに、2年の開発期間の中で、捨てた要素もあるのだろう。もしかしたら、ストーリーの短さや、お世辞にも奇抜とは言えないゲームジャンルなんかは、氏の配慮の内(又は営業戦略)なのかも知れない。
しかしそれは、岡本氏が、「プレイする人全員の気持ちに応えること」を捨てなかったからだ。
ライトユーザーでもエンディングに辿り着く感動を感じられるように(未完だが)、ヘビーユーザーには奥深いシステムややり込み要素を味わい尽くせるようにという考え...
氏はそれを「ユーザー第一主義」であると説明した。
...流血表現の切替がない等どうにも疑問な部分もあるが、「GENJI」の根幹には間違いなく、岡本氏なりのゲーム哲学が凝縮されている。そこに、本質を見出せないだろうか。
敵の攻撃をギリギリまで引きつけてタイミング良くボタンを押す「神威」「心眼」のシステムや、「雅」を意識したという明るめで煌びやかな配色、和楽器を中心に取り入れたBGM(生録)が特徴。
ボタン1つで多彩な斬撃が繰り出せたり、死亡後経験値を引き継げたりとライトユーザー向けの遊び易さになっている点も見逃せない。
...と、一見すると、何だか巷で氾濫するただのヌルゲーのようにしか見えないのだが、そこはさすが岡本氏。
2周目からの難易度...もう鬼無茶(笑)。
LV(ステータス)上昇廃止、全装備品・回復アイテムの売買禁止、道中での装備品・回復アイテムの入った全宝箱の中身が空(つまり初期装備&回復アイテム無し縛り)...若干の抜け道はあるが、これはまさに激ヤバ。
某誌のインタビューにて、岡本氏は「間口の広さとやり込み要素の共存」(ライト&ハードユーザー各々に対する棲み分け)について語っている。
...それは決して難易度の高低だけではないという。前述のようなゲームシステムへの配慮や、1周遊んだだけではなかなか気づきにくい細かな要素にも及ぶ。例えば「神威」によって出る技が(敵の種類はおろか)コンマ数秒単位で幾通りにも分けられている事に、大抵の人は一見では気付かないだろう。
確かに、2年の開発期間の中で、捨てた要素もあるのだろう。もしかしたら、ストーリーの短さや、お世辞にも奇抜とは言えないゲームジャンルなんかは、氏の配慮の内(又は営業戦略)なのかも知れない。
しかしそれは、岡本氏が、「プレイする人全員の気持ちに応えること」を捨てなかったからだ。
ライトユーザーでもエンディングに辿り着く感動を感じられるように(未完だが)、ヘビーユーザーには奥深いシステムややり込み要素を味わい尽くせるようにという考え...
氏はそれを「ユーザー第一主義」であると説明した。
...流血表現の切替がない等どうにも疑問な部分もあるが、「GENJI」の根幹には間違いなく、岡本氏なりのゲーム哲学が凝縮されている。そこに、本質を見出せないだろうか。