ピアノへ―10人のピアニストたちが語る20世紀のピアノの名盤そして私がピアニストになるまで
矢野顕子さん、小山実稚恵さんなど10名のピアニストのピアノへの思い入れが書かれています。中でもピアノを習うきっかけや、幼少の頃は練習がいやで一度は親と喧嘩してやめてしまった。とか、スパルタの親に一生懸命ついていった。コンクール出場の話なども・・・
全員が恵まれた環境で挫折なく過ごしたわけでは無いと感じる場面も多々あります。
子供と一緒にピアノを頑張っている方々にはとてもためになるお話しが沢山ありました。
全員が恵まれた環境で挫折なく過ごしたわけでは無いと感じる場面も多々あります。
子供と一緒にピアノを頑張っている方々にはとてもためになるお話しが沢山ありました。
姿なき殺人者 [DVD]
この1965年に公開された「姿なき殺人者」は、これまでに5度、映画化されている「そして誰もいなくなった」の2度目の映画化作品であり、DVD化されるのも、第1作の1945年版に次いで、これが、2度目となる。
原作が、誰もが知っているような超有名作だけに、製作者側も、目先を変えて、新鮮味を出すのに必死なようで、原作のイングランドの孤島から、1975年版ではイランの砂漠に、1989年版ではアフリカのサファリに、それぞれ舞台を移しているのだが、この1965年版でも、舞台をアルプス山頂の山荘に置いている。
ちなみに、この1965年版の監督は、度が過ぎた脚色と演出でアガサの怒りを買ったMGMのミス・マープル物四部作( 「ミス・マープル ムービー・コレクション」)と同じジョージ・ポロックなのだが、製作と脚本を、この「そして誰もいなくなった」に格別の愛着を示し、後に前記1975年版でも製作と脚本を、1989年版でも製作を担当することになるハリー・アラン・タワーズ(別名ピーター・ウェルベック)が担当しているため、ミス・マープル物四部作と比べると、ずっと「まとも」になっている。
なお、1945年版同様、この1965年版も、アガサ自身が執筆した舞台用の戯曲に基づいて製作されているため、我々が慣れ親しんだあの有名な小説とは、一部、異なったところがある。この1965年版では、それに付け加えて、人物設定と、舞台をアルプス山頂の山荘に移したことを生かした一部の改変が見られるので、より原作に忠実なのが、1945年版ということになる。この「そして誰もいなくなった」は、何度、接しても、飽きが来るという作品ではないので、小説と2種類の映画版を比較しながら見てみるのも、一興かもしれない。
原作が、誰もが知っているような超有名作だけに、製作者側も、目先を変えて、新鮮味を出すのに必死なようで、原作のイングランドの孤島から、1975年版ではイランの砂漠に、1989年版ではアフリカのサファリに、それぞれ舞台を移しているのだが、この1965年版でも、舞台をアルプス山頂の山荘に置いている。
ちなみに、この1965年版の監督は、度が過ぎた脚色と演出でアガサの怒りを買ったMGMのミス・マープル物四部作( 「ミス・マープル ムービー・コレクション」)と同じジョージ・ポロックなのだが、製作と脚本を、この「そして誰もいなくなった」に格別の愛着を示し、後に前記1975年版でも製作と脚本を、1989年版でも製作を担当することになるハリー・アラン・タワーズ(別名ピーター・ウェルベック)が担当しているため、ミス・マープル物四部作と比べると、ずっと「まとも」になっている。
なお、1945年版同様、この1965年版も、アガサ自身が執筆した舞台用の戯曲に基づいて製作されているため、我々が慣れ親しんだあの有名な小説とは、一部、異なったところがある。この1965年版では、それに付け加えて、人物設定と、舞台をアルプス山頂の山荘に移したことを生かした一部の改変が見られるので、より原作に忠実なのが、1945年版ということになる。この「そして誰もいなくなった」は、何度、接しても、飽きが来るという作品ではないので、小説と2種類の映画版を比較しながら見てみるのも、一興かもしれない。
冒険クラブ
日本のロディ・フレイム=古賀森男のフェビアンの記念すべきデビュー作。
古賀森男といえば、レベッカのギタリストとして、「friends」のギターソロは今でも語り継がれるほどだし、それが古賀さんのプロフィールを親しみやすく分かりやすいものにしているのも事実だ。または、初期の遊佐未森作品でのギタリストとして決定的な仕事をしたこともよく知られている(これはフェビアンと並行しての仕事)。
しかし、そんな前歴はどうでもいいくらい、このデビュー作はフェビアンこそ古賀森男だということを決定づけている。
永遠の決定的名曲「冒険クラブ」で始まる宝石のような10曲は、今でも変わらぬ煌きを放つ素晴しいサウンドプロダクションも手伝い、永遠の光を保ち続けている。
なぜこのアルバムがヒットしなかったのか、それどころか今や忘れられた一枚になってしまっているのか、不思議でならない。少なくとも、大ヒットはしなくとも、きちんとした評価の元に、時代が変わっても聴き継がれていくべきアルバムである。
ネオアコからハードロック、ジャズまでいろんな要素をきちんと消化して、誰も真似できないオリジナリティを確立している楽曲はもちろんのこと、古賀さん以外には誰も成し得ない領域に到達しているギター。
幾千万の洋邦問わず様々なギターポップを聴いてきたが、「冒険クラブ」で経験した胸の高鳴りを超えるものはいまだ聴いたことがない。
2008年新作「Innocent note」発表時のライブでギター一本の弾き語りによる「冒険クラブ」を聴いたが、あまりの素晴しさに涙が溢れるのを止めることが出来なかった。
その後、メジャーで「colors」「dream world」の二枚のアルバムでも「トム・ソーヤ」や「jangly guitar」という決定的名曲を生み出し、ソロに移ってからも名盤「古賀森男図鑑」収録の「ストロベリーにあいさつ」や「迷宮」、「僕は太陽」収録の「わがまま」、「GULLIVER」収録のタイトル曲やシングル収録の「boy」といった永遠のギター少年ポッパーぶりを見せつけてきた。
しかし、それらもこのアルバムがその全ての原点であり、「冒険クラブ」なしには決して語ることは出来ない。
超個人的にはこの「冒険クラブ」から名曲「boy」(「GULLIVER」からのシングル「勇気がいる」のカップリング曲で、そのシングルのみに収録)までは一人の少年の成長物語として捉えることが出来るので、この間のアルバムは全て必聴だといえる。
1.冒険クラブ
2.きみにとどかない
3.逃亡者
4.雨
5.big boys
6.バレリーナ
7.危険な世界
8.Heaven
9.Blue Guitar
10.僕のオートバイ
の10曲から物語は始まった。
(2002年に「アンティークス・イン・ジ・アティック」というタイトルのセルフカバーベストアルバムで「冒険クラブ」を含む名曲たちをリ・レコーディングしており、そこでも生まれ変わったこれらの名曲を聴くことができるが、古賀さん本人をもってしても、正直やはりオリジナルを超えることはできておらず、初めて聴く人は絶対にこのオリジナルアルバムから聴いてほしい。この時代のこのときの空気、このときの古賀さんの年齢、といった必然的要素からしか生まれ得なかった奇跡的マジックがこのアルバムには間違いなく存在している)
long.ps.
上記の2008年ギター1本による古賀さんのライヴの様子はMMレコードよりDVDとしてその翌年に発売され、現在もMMレコードのサイトのみで通販により買うことができます。(これは本当にMMさん、快挙といっていいくらい。よくぞ作品化してくれましたという感じ!!)
これは現在に至るまで唯一の公式フェビアンライブ映像であり、パフォーマンス、選曲的にもベストの一つ。(ただし、DVD−R作品であることを付け加えておきます。)
個人的にはガリバー発売時のバンドでのライブ映像などはぜひ残しておいて発売してほしかったが、当時のレコード会社もつぶれてしまい、おそらく残っていないだろう。
それはともかくとして、当日会場で音を実際に聴いたものとしては、音圧そのほかの面で、正直音楽ライブDVDとしては少しサウンド的に「もう少しいい機材でしっかりと録音してほしかった!!」という気持ちがかなりある(特に、低音域がカットされており、実際に聴いたも時に比べると低音の迫力が再現されていない)が、貴重な記録としても、そして古賀さんのギタープレイを研究する意味でもこれは超がいくつついても足りないくらい貴重である。
古賀さんが当日使ったのはデビューして一貫して古賀さんの相棒を務めている購入当時10万程度というタカミネのファンにはお馴染みのペイントギター。しかしライブ直前に本来メンテナンスをしなくてはならない欠陥箇所が発覚したというもので、応急処置をしてプレイしたものらしい。だから他の人が弾いたら、とてもまともな音すら出せないだろう。しかし、このライブはどうしてもこのギターでやるという古賀さん本人の希望でそのギターでライブを敢行!!実際、当日のライブ会場で聴いたあの低音の迫力や音の切れ味は古賀さんのその日のライブにかける並々ならぬ気合とも相俟って最高のパフォーマンスであった。
全曲レギュラーチューニングのノーカポのピック弾きのみで、あれだけ飽きさせずに全曲を圧倒的な音力で聴かせることができる人はプロギタリストの中にもそういないだろう。
(普通、一流レベルのギタリストでも、ギター1本で10数曲こなすステージでは、退屈になるのを避けるため、チューニングを変えたり、カポ(キーを変える道具)を使ったり、アルバムとは違うアレンジしたりする(例えばボサノヴァちっくにしてみたり、ロックな曲を指弾きでしっとりしたり)のがほとんどだが、このライブの古賀さんは全曲直球のレコードアレンジで挑んでおり、これは古賀さんのギタリスト、アーティストとしての圧倒的な実力を示している)
最高レベルのパフォーマンスであり、「弾き語り」の概念さえ軽く超えており、ギター1本で曲を作った段階ですでにほとんどレコードで聴ける音世界と同じものになっているんだなと言う事が分かる。ロックとかフォークとかポップとかで言い表すことの出来ない、まさに「フェビアン」としか言いようのない世界である。
psとしては長々と申し訳ないのだが、このライブは一人でも多くの人に見て聴いてほしい。(音響が許すなら、少しでもいい音で聴いてほしい。)
特に「冒険クラブ」でのパフォーマンスは、涙無しには見れない。
このときのパフォーマンスは、今現在残っている音源で唯一このアルバムのオリジナル音源に勝るとも劣らないプレイだと断言できる。
だから一人でも多くの人に見てほしいと思う。
溜息が漏れるほどカッコいい。
まさに音楽の素晴しさが記録されている。
古賀森男といえば、レベッカのギタリストとして、「friends」のギターソロは今でも語り継がれるほどだし、それが古賀さんのプロフィールを親しみやすく分かりやすいものにしているのも事実だ。または、初期の遊佐未森作品でのギタリストとして決定的な仕事をしたこともよく知られている(これはフェビアンと並行しての仕事)。
しかし、そんな前歴はどうでもいいくらい、このデビュー作はフェビアンこそ古賀森男だということを決定づけている。
永遠の決定的名曲「冒険クラブ」で始まる宝石のような10曲は、今でも変わらぬ煌きを放つ素晴しいサウンドプロダクションも手伝い、永遠の光を保ち続けている。
なぜこのアルバムがヒットしなかったのか、それどころか今や忘れられた一枚になってしまっているのか、不思議でならない。少なくとも、大ヒットはしなくとも、きちんとした評価の元に、時代が変わっても聴き継がれていくべきアルバムである。
ネオアコからハードロック、ジャズまでいろんな要素をきちんと消化して、誰も真似できないオリジナリティを確立している楽曲はもちろんのこと、古賀さん以外には誰も成し得ない領域に到達しているギター。
幾千万の洋邦問わず様々なギターポップを聴いてきたが、「冒険クラブ」で経験した胸の高鳴りを超えるものはいまだ聴いたことがない。
2008年新作「Innocent note」発表時のライブでギター一本の弾き語りによる「冒険クラブ」を聴いたが、あまりの素晴しさに涙が溢れるのを止めることが出来なかった。
その後、メジャーで「colors」「dream world」の二枚のアルバムでも「トム・ソーヤ」や「jangly guitar」という決定的名曲を生み出し、ソロに移ってからも名盤「古賀森男図鑑」収録の「ストロベリーにあいさつ」や「迷宮」、「僕は太陽」収録の「わがまま」、「GULLIVER」収録のタイトル曲やシングル収録の「boy」といった永遠のギター少年ポッパーぶりを見せつけてきた。
しかし、それらもこのアルバムがその全ての原点であり、「冒険クラブ」なしには決して語ることは出来ない。
超個人的にはこの「冒険クラブ」から名曲「boy」(「GULLIVER」からのシングル「勇気がいる」のカップリング曲で、そのシングルのみに収録)までは一人の少年の成長物語として捉えることが出来るので、この間のアルバムは全て必聴だといえる。
1.冒険クラブ
2.きみにとどかない
3.逃亡者
4.雨
5.big boys
6.バレリーナ
7.危険な世界
8.Heaven
9.Blue Guitar
10.僕のオートバイ
の10曲から物語は始まった。
(2002年に「アンティークス・イン・ジ・アティック」というタイトルのセルフカバーベストアルバムで「冒険クラブ」を含む名曲たちをリ・レコーディングしており、そこでも生まれ変わったこれらの名曲を聴くことができるが、古賀さん本人をもってしても、正直やはりオリジナルを超えることはできておらず、初めて聴く人は絶対にこのオリジナルアルバムから聴いてほしい。この時代のこのときの空気、このときの古賀さんの年齢、といった必然的要素からしか生まれ得なかった奇跡的マジックがこのアルバムには間違いなく存在している)
long.ps.
上記の2008年ギター1本による古賀さんのライヴの様子はMMレコードよりDVDとしてその翌年に発売され、現在もMMレコードのサイトのみで通販により買うことができます。(これは本当にMMさん、快挙といっていいくらい。よくぞ作品化してくれましたという感じ!!)
これは現在に至るまで唯一の公式フェビアンライブ映像であり、パフォーマンス、選曲的にもベストの一つ。(ただし、DVD−R作品であることを付け加えておきます。)
個人的にはガリバー発売時のバンドでのライブ映像などはぜひ残しておいて発売してほしかったが、当時のレコード会社もつぶれてしまい、おそらく残っていないだろう。
それはともかくとして、当日会場で音を実際に聴いたものとしては、音圧そのほかの面で、正直音楽ライブDVDとしては少しサウンド的に「もう少しいい機材でしっかりと録音してほしかった!!」という気持ちがかなりある(特に、低音域がカットされており、実際に聴いたも時に比べると低音の迫力が再現されていない)が、貴重な記録としても、そして古賀さんのギタープレイを研究する意味でもこれは超がいくつついても足りないくらい貴重である。
古賀さんが当日使ったのはデビューして一貫して古賀さんの相棒を務めている購入当時10万程度というタカミネのファンにはお馴染みのペイントギター。しかしライブ直前に本来メンテナンスをしなくてはならない欠陥箇所が発覚したというもので、応急処置をしてプレイしたものらしい。だから他の人が弾いたら、とてもまともな音すら出せないだろう。しかし、このライブはどうしてもこのギターでやるという古賀さん本人の希望でそのギターでライブを敢行!!実際、当日のライブ会場で聴いたあの低音の迫力や音の切れ味は古賀さんのその日のライブにかける並々ならぬ気合とも相俟って最高のパフォーマンスであった。
全曲レギュラーチューニングのノーカポのピック弾きのみで、あれだけ飽きさせずに全曲を圧倒的な音力で聴かせることができる人はプロギタリストの中にもそういないだろう。
(普通、一流レベルのギタリストでも、ギター1本で10数曲こなすステージでは、退屈になるのを避けるため、チューニングを変えたり、カポ(キーを変える道具)を使ったり、アルバムとは違うアレンジしたりする(例えばボサノヴァちっくにしてみたり、ロックな曲を指弾きでしっとりしたり)のがほとんどだが、このライブの古賀さんは全曲直球のレコードアレンジで挑んでおり、これは古賀さんのギタリスト、アーティストとしての圧倒的な実力を示している)
最高レベルのパフォーマンスであり、「弾き語り」の概念さえ軽く超えており、ギター1本で曲を作った段階ですでにほとんどレコードで聴ける音世界と同じものになっているんだなと言う事が分かる。ロックとかフォークとかポップとかで言い表すことの出来ない、まさに「フェビアン」としか言いようのない世界である。
psとしては長々と申し訳ないのだが、このライブは一人でも多くの人に見て聴いてほしい。(音響が許すなら、少しでもいい音で聴いてほしい。)
特に「冒険クラブ」でのパフォーマンスは、涙無しには見れない。
このときのパフォーマンスは、今現在残っている音源で唯一このアルバムのオリジナル音源に勝るとも劣らないプレイだと断言できる。
だから一人でも多くの人に見てほしいと思う。
溜息が漏れるほどカッコいい。
まさに音楽の素晴しさが記録されている。