ハイデッガーの建築論―建てる・住まう・考える
哲学者マルティン・ハイデッガーの講演録「建てる 住まう 考える」の全訳に、非常に詳細な解説がついた、充実の内容です。
訳者が建築家ということあり、哲学者の言葉が建築的視点から捉えられているのが面白いと思います。
もう10年以上も前になりますが、大学院(建築学科)在籍時代に修士論文を書きながらゼミで皆で一生懸命翻訳し、議論し合った内容が、満を持して出版されたということもあり、個人的にも思い入れのある逸品です。
当時共にゼミに参加した諸先輩方の懐かしい名前も挙がっており、かつての雰囲気を思い出します。
訳者が建築家ということあり、哲学者の言葉が建築的視点から捉えられているのが面白いと思います。
もう10年以上も前になりますが、大学院(建築学科)在籍時代に修士論文を書きながらゼミで皆で一生懸命翻訳し、議論し合った内容が、満を持して出版されたということもあり、個人的にも思い入れのある逸品です。
当時共にゼミに参加した諸先輩方の懐かしい名前も挙がっており、かつての雰囲気を思い出します。
ハリ系 DVD-BOX
評判通りの秀作。深夜ドラマとは思えない(逆に深夜ドラマだから?)作り込みの深さ。
ハリネズミ人間とワニ人間の特殊衣装(?)の自然な感じ、脚本、演出、制作、キャストの演技、本作品に関わった全ての人々が作品への愛情と熱意を持って作ったのが伝わってくる。
ストーリーも、下町×人情・友情・愛情×ファンタジーが上手く掛け合わされており、日本から失われつつある古き良き価値観を再現している。だが本作品が単なる懐古趣味で終わらないのは、ベースとなる価値観に「異なる人種同士の相互理解」という挑戦的なテーマを嫌み無く加えているところ。心温まったり、ハッとしたり、一作品の中で多様な瞬間を味わえる。
ハリネズミ人間とワニ人間の特殊衣装(?)の自然な感じ、脚本、演出、制作、キャストの演技、本作品に関わった全ての人々が作品への愛情と熱意を持って作ったのが伝わってくる。
ストーリーも、下町×人情・友情・愛情×ファンタジーが上手く掛け合わされており、日本から失われつつある古き良き価値観を再現している。だが本作品が単なる懐古趣味で終わらないのは、ベースとなる価値観に「異なる人種同士の相互理解」という挑戦的なテーマを嫌み無く加えているところ。心温まったり、ハッとしたり、一作品の中で多様な瞬間を味わえる。
<東映オールスターキャンペーン>俺は、君のためにこそ死ににいく [DVD]
この映画を見て、その世代、価値観、国籍、または映画という娯楽に対するそれぞれの期待によって、色々評価が分かれるだろう。
私は、プライベートライアンの冒頭のDデイの30分にわたる連合軍のオマハビーチ上陸作戦のシークエンスを観て、戦争の恐ろしさを疑似体験し、戦争そのものを憎悪する人間の一人である。
しかし、事実この国は敗戦する60年前までは、政治・外交の手段として戦争を行える国であったし、その戦争に多くの若者(多くは大正生まれ)が好む好まざるに関わらず、前線へと送り込まれた。
当時の事は古いニュースフィルムや数多くの文献で知ることが出来るが、果たして半世紀以上前の事をリアルに感じることは難しい。
だから、靖国神社に併設されている遊就館に掲げられている多くの英霊達の写真を見た時の衝撃は今でも忘れられない。
自分と同世代の、いや今の自分の年齢から考えると遥かに若い人たちの、凛々しい表情や若者らしい笑顔、そして残された者たちへの遺書の数々。
こんな顔の友人いるよなぁ、などと感慨にふけっていると、急にかつての戦争が実際のものであったこと、そして多くの人々が亡くなっていったことがリアルなものとして実感できたのだった。
それは、価値観や思想を超越して、尊い何か(それは命や残されたものへの思い)を犠牲にして、
はかなくも散って行った若者に対して、レスペクトの気持ちを持つのは自分にとって自然であった。
彼らは、自らの尊い命を散らしてこの国を救おうとしたのだ。
映画を観るという行為は、その2時間そこそこの間、ある種の疑似体験をする行為という事もできる。
まさに、この映画を見ている間、特に一番制作にコストがかかっているであろう、クライマックスの特攻のシークエンスは、若いかつての日本人が味わった戦争という現実にさらされている自分、特攻隊として後戻りができない状況にいる自分、雲を抜けた瞬間目の前で米軍の空母がまさに自分の機を打ち落とさんと機銃を向けられている究極の瞬間を疑似体験が出来る。
どんなに恐ろしく、どのように自分を奮い立たせ、向かっていったのか。
作品の良い悪いよりも、多くの明治、大正生まれの若者が、味わざるを得なかった戦争というものを考える作品として心に残った。そして、今、鬼籍にいる戦死者の冥福を心から祈りたい、そういう気持ちになった、というのが率直な感想である。
私は、プライベートライアンの冒頭のDデイの30分にわたる連合軍のオマハビーチ上陸作戦のシークエンスを観て、戦争の恐ろしさを疑似体験し、戦争そのものを憎悪する人間の一人である。
しかし、事実この国は敗戦する60年前までは、政治・外交の手段として戦争を行える国であったし、その戦争に多くの若者(多くは大正生まれ)が好む好まざるに関わらず、前線へと送り込まれた。
当時の事は古いニュースフィルムや数多くの文献で知ることが出来るが、果たして半世紀以上前の事をリアルに感じることは難しい。
だから、靖国神社に併設されている遊就館に掲げられている多くの英霊達の写真を見た時の衝撃は今でも忘れられない。
自分と同世代の、いや今の自分の年齢から考えると遥かに若い人たちの、凛々しい表情や若者らしい笑顔、そして残された者たちへの遺書の数々。
こんな顔の友人いるよなぁ、などと感慨にふけっていると、急にかつての戦争が実際のものであったこと、そして多くの人々が亡くなっていったことがリアルなものとして実感できたのだった。
それは、価値観や思想を超越して、尊い何か(それは命や残されたものへの思い)を犠牲にして、
はかなくも散って行った若者に対して、レスペクトの気持ちを持つのは自分にとって自然であった。
彼らは、自らの尊い命を散らしてこの国を救おうとしたのだ。
映画を観るという行為は、その2時間そこそこの間、ある種の疑似体験をする行為という事もできる。
まさに、この映画を見ている間、特に一番制作にコストがかかっているであろう、クライマックスの特攻のシークエンスは、若いかつての日本人が味わった戦争という現実にさらされている自分、特攻隊として後戻りができない状況にいる自分、雲を抜けた瞬間目の前で米軍の空母がまさに自分の機を打ち落とさんと機銃を向けられている究極の瞬間を疑似体験が出来る。
どんなに恐ろしく、どのように自分を奮い立たせ、向かっていったのか。
作品の良い悪いよりも、多くの明治、大正生まれの若者が、味わざるを得なかった戦争というものを考える作品として心に残った。そして、今、鬼籍にいる戦死者の冥福を心から祈りたい、そういう気持ちになった、というのが率直な感想である。
WA OH!〜自遊美presents TOPCOAT LIVE2008 OFFICIAL BOOK〜 (ワニムックシリーズ 110)
とても美しいビジュアルが満載です。映像もあればもっとうれしいですが。