幾度目かの最期 (講談社文芸文庫)
目次
・四年のあいだのこと
・落ちてゆく世界
・灰色の記憶
・幾度目かの最期
・女
・鋏と布と型
・南窗記
1952年の大みそかの日に満21歳と9カ月で自死した女流作家:久坂葉子。
その短篇五篇と戯曲「鋏と布と型」、エッセイ「南窗記」を収めた作品集である。解説は作家の久坂部羊が書いている。
この作品集の妙味はなんといっても若い作者の痛々しく、生々しい、一方通行の感性である。
それがフルスロットルで貫かれている点、非常に読み応えがある。
収録作品中で最も分量の多い「灰色の記憶」は作者の自伝的な小説である。
幼年時代から「負」のほうへ向かってゆく主人公の姿勢が特徴的で、
誰のせいでもなく、生まれ以ての性から「不良少女」的な小さな悪を重ねる様子には、真に迫る感じがした。
共感できる読者も多いのではなかろうか。
主人公はあくまでも自分の好き勝手に生きることを望み、家族や学校と自分との間に不調和をしばしば見出すのだが、
その不調和を学校や家族のせいにしないところが実に潔い。「嫌い」だとは感じても、「悪い」とは言わないのだ。
遺作「幾度目かの最期」は、信頼する小母さんに作者が寄せた手紙という体であり、
完成したのが文字通り1952年の大みそかの日であるというのが壮絶である。つまり作者は遺書で予告した通りに逝った訳だ。
戯曲「鋏と布と型」は、自伝的な本作品集内で一番フィクションめいている作品と言える。
服飾デザイナーとマネキンの奇妙な会話を描いた劇である。
人間の不合理さが散々指摘されてはいるものの、その不合理さを生きるしかないことも指摘されており、
内容的には結構ポジティブなのではないかと思う。
・四年のあいだのこと
・落ちてゆく世界
・灰色の記憶
・幾度目かの最期
・女
・鋏と布と型
・南窗記
1952年の大みそかの日に満21歳と9カ月で自死した女流作家:久坂葉子。
その短篇五篇と戯曲「鋏と布と型」、エッセイ「南窗記」を収めた作品集である。解説は作家の久坂部羊が書いている。
この作品集の妙味はなんといっても若い作者の痛々しく、生々しい、一方通行の感性である。
それがフルスロットルで貫かれている点、非常に読み応えがある。
収録作品中で最も分量の多い「灰色の記憶」は作者の自伝的な小説である。
幼年時代から「負」のほうへ向かってゆく主人公の姿勢が特徴的で、
誰のせいでもなく、生まれ以ての性から「不良少女」的な小さな悪を重ねる様子には、真に迫る感じがした。
共感できる読者も多いのではなかろうか。
主人公はあくまでも自分の好き勝手に生きることを望み、家族や学校と自分との間に不調和をしばしば見出すのだが、
その不調和を学校や家族のせいにしないところが実に潔い。「嫌い」だとは感じても、「悪い」とは言わないのだ。
遺作「幾度目かの最期」は、信頼する小母さんに作者が寄せた手紙という体であり、
完成したのが文字通り1952年の大みそかの日であるというのが壮絶である。つまり作者は遺書で予告した通りに逝った訳だ。
戯曲「鋏と布と型」は、自伝的な本作品集内で一番フィクションめいている作品と言える。
服飾デザイナーとマネキンの奇妙な会話を描いた劇である。
人間の不合理さが散々指摘されてはいるものの、その不合理さを生きるしかないことも指摘されており、
内容的には結構ポジティブなのではないかと思う。