GUNSLINGER GIRL(ガンスリンガーガール) コミック 全15巻完結セット (電撃コミックス)
他の方々がコメントしているように、表紙だけなら
萌え系の漫画なのかなと敬遠しがちです。
内容として、非日常的な部分もありますが、
漫画全部が日常的な内容ではないし、漫画=
リアル重視というコトも一切ないので、
私にとって、飽きないストーリーでした。
そして、ストーリーの軸もしっかりしていて
何度読んでも面白いです。
最初、レンタルコミックで読みましたが、
迷わず全部巻大人買い♪
オススメです!
萌え系の漫画なのかなと敬遠しがちです。
内容として、非日常的な部分もありますが、
漫画全部が日常的な内容ではないし、漫画=
リアル重視というコトも一切ないので、
私にとって、飽きないストーリーでした。
そして、ストーリーの軸もしっかりしていて
何度読んでも面白いです。
最初、レンタルコミックで読みましたが、
迷わず全部巻大人買い♪
オススメです!
GUNSLINGER GIRL(15) (電撃コミックス)
(文中でネタ晴らししています。ご注意下さい。)
最初は「美少女と銃器と戦闘」という「キャラ萌え」、アクション・シーン、使用銃器への興味などの面白さで読んでいた。
だが、次第に彼女ら義体の悲しい過去、短い寿命、「条件付け」による担当官への「盲愛」などに、自然と悲しさ・哀れさを覚えるようになった。中心人物のクローチェ兄弟の宿命。テロで亡くした最愛の妹への「愛」を感じる義体へのネーミング。シチリア休暇の夜、妹の亡霊までが兄の眼前に現れる。
やがて、テロリストたちも「人間」であることが判ってくる。
フランコとフランカ、ピノッキオたちの反体制=テロリストという生き方、彼らに訪れるであろう運命を想像すると、公社の義体もテロリストも同じ哀しみに包まれた「同じもの」ではないかとさえ感じた。
最初の山場はアンジェリカの義体最初の死=犠牲。
彼女は実の両親に殺されかけた。そして義体となった。
不安定で未熟な技術ゆえ、徐々に体調を壊してしまう。
しかし「条件付け」は危機の瞬間に「担当官」の命を救い、彼女自身は最早助からない状態へ。
「担当官」の顔さえも思い出せなくなったアンジェリカがベッドで語る「パスタの国の王子様」。
「私達はみんなアンジェに支えられたのよ」と語っていた公社職員たちは、もう彼女の顔をまともに見ることも出来ない。
静かで安らかな死に顔は美しかった。
だがとてつもなく悲しく、それゆえ、最も美しかった。
映画「ブレードランナー」で人造生命体が自らの「死せる短い命」を受け入れて死んでいった姿を想起した。
この後から、ドラマは悲劇の色合いをとてつもなく濃く濃くしていく。
徐々に過去の記憶を失っていくトリエラとヘンリエッタ。
恐怖におびえるヘンリエッタを優しくトリエラが包み抱き寄せる。
ヘンリエッタとトリエラは「担当官」に最も愛された義体だ。
それを象徴するかのように、最後の戦いで、それぞれの担当官と折り重なって倒れて死ぬ。
そう、まるで「あなたなしでは生きていけない」と歌うオペラのように。
この最終巻では、最も幸せな義体だと感じていたペトルーシュカに、義体としての寿命が訪れる前に、実に人間的な「死」が訪れる。担当官・サンドロは最期まで人間として彼女を愛する。描写は極端に簡略されて短く、急ぎ足だが、ペトルーシュカの「私にとって愛は試すものではありません」という言葉に全てが込められている。
この救いの無いドラマの大団円はヒルシャーが「人倫」を破ってさえ残した「一縷の希望」で幕を閉じる。
トリエラの肌にヘンリエッタの髪型、そしてITデバイスであるメガネを掛けた天才少女は、まるで義体一期生たち全員の写し絵のような姿だ。
成長した彼女が語る「育ての母に、もう二人の母に」という言葉から、自分の出自をすべて受け入れ、なお未来への希望へとまっすぐに顔を向けていることが判る。
「未来への希望」
それこそがすべての義体に欠けていた最も大切で大事なことだった。
だから、あれほど哀れで悲しく、悲劇性を感じていたのだ。
彼女「スペランツァ(希望)」はまさしく、死んでいったすべての義体の生まれ変わりだ。
さて、最後になるが、公社を攻め落とす為に動員されたパラシュート連隊の隊長が、最後の最後まで、かつての同僚たちと義体の少女への発砲を許さず、説得を続けていた姿がじつに格好良かった。
暴力ではない。話し合いで、相手を同じ人間として扱うことで、悲劇は避けられる、それを最前線の指揮官が身を持って示していた。
イタリア文学のテーマは永遠に「愛」なのだという。
この長い物語には、哀しい最期を迎える「愛」が散りばめられていた。
嗚呼、イタリアなのだな、と思いつつも、「スペランツァ(希望)」で結ぶことで、物語はようやくカタルシスを迎えることが出来た。
付録の冊子は「作者あとがき」のつもりで読みました。
付録付きの方を選んで良かったなあ、と思った次第です。
最初は「美少女と銃器と戦闘」という「キャラ萌え」、アクション・シーン、使用銃器への興味などの面白さで読んでいた。
だが、次第に彼女ら義体の悲しい過去、短い寿命、「条件付け」による担当官への「盲愛」などに、自然と悲しさ・哀れさを覚えるようになった。中心人物のクローチェ兄弟の宿命。テロで亡くした最愛の妹への「愛」を感じる義体へのネーミング。シチリア休暇の夜、妹の亡霊までが兄の眼前に現れる。
やがて、テロリストたちも「人間」であることが判ってくる。
フランコとフランカ、ピノッキオたちの反体制=テロリストという生き方、彼らに訪れるであろう運命を想像すると、公社の義体もテロリストも同じ哀しみに包まれた「同じもの」ではないかとさえ感じた。
最初の山場はアンジェリカの義体最初の死=犠牲。
彼女は実の両親に殺されかけた。そして義体となった。
不安定で未熟な技術ゆえ、徐々に体調を壊してしまう。
しかし「条件付け」は危機の瞬間に「担当官」の命を救い、彼女自身は最早助からない状態へ。
「担当官」の顔さえも思い出せなくなったアンジェリカがベッドで語る「パスタの国の王子様」。
「私達はみんなアンジェに支えられたのよ」と語っていた公社職員たちは、もう彼女の顔をまともに見ることも出来ない。
静かで安らかな死に顔は美しかった。
だがとてつもなく悲しく、それゆえ、最も美しかった。
映画「ブレードランナー」で人造生命体が自らの「死せる短い命」を受け入れて死んでいった姿を想起した。
この後から、ドラマは悲劇の色合いをとてつもなく濃く濃くしていく。
徐々に過去の記憶を失っていくトリエラとヘンリエッタ。
恐怖におびえるヘンリエッタを優しくトリエラが包み抱き寄せる。
ヘンリエッタとトリエラは「担当官」に最も愛された義体だ。
それを象徴するかのように、最後の戦いで、それぞれの担当官と折り重なって倒れて死ぬ。
そう、まるで「あなたなしでは生きていけない」と歌うオペラのように。
この最終巻では、最も幸せな義体だと感じていたペトルーシュカに、義体としての寿命が訪れる前に、実に人間的な「死」が訪れる。担当官・サンドロは最期まで人間として彼女を愛する。描写は極端に簡略されて短く、急ぎ足だが、ペトルーシュカの「私にとって愛は試すものではありません」という言葉に全てが込められている。
この救いの無いドラマの大団円はヒルシャーが「人倫」を破ってさえ残した「一縷の希望」で幕を閉じる。
トリエラの肌にヘンリエッタの髪型、そしてITデバイスであるメガネを掛けた天才少女は、まるで義体一期生たち全員の写し絵のような姿だ。
成長した彼女が語る「育ての母に、もう二人の母に」という言葉から、自分の出自をすべて受け入れ、なお未来への希望へとまっすぐに顔を向けていることが判る。
「未来への希望」
それこそがすべての義体に欠けていた最も大切で大事なことだった。
だから、あれほど哀れで悲しく、悲劇性を感じていたのだ。
彼女「スペランツァ(希望)」はまさしく、死んでいったすべての義体の生まれ変わりだ。
さて、最後になるが、公社を攻め落とす為に動員されたパラシュート連隊の隊長が、最後の最後まで、かつての同僚たちと義体の少女への発砲を許さず、説得を続けていた姿がじつに格好良かった。
暴力ではない。話し合いで、相手を同じ人間として扱うことで、悲劇は避けられる、それを最前線の指揮官が身を持って示していた。
イタリア文学のテーマは永遠に「愛」なのだという。
この長い物語には、哀しい最期を迎える「愛」が散りばめられていた。
嗚呼、イタリアなのだな、と思いつつも、「スペランツァ(希望)」で結ぶことで、物語はようやくカタルシスを迎えることが出来た。
付録の冊子は「作者あとがき」のつもりで読みました。
付録付きの方を選んで良かったなあ、と思った次第です。
GUNSLINGER GIRL(1) (電撃コミックス)
南北対立が激化しテロリズムの巷となっているイタリアを舞台に、福祉事業を隠れ蓑にして人体改造を施された子どもを使って組織された対テロ部隊『社会福祉公社』。さまざまないきさつから、ここで戦闘要員『義体』としてつかの間の生を生きる少女とパートナーである『担当官』との絆を描く物語。
何度も読み返しているとても好きな作品だが、この作品のすばらしさを一言で説明するのは容易ではない。
ただ、一見相反するような仕掛けが重層的に施されていることによって、作品の奥深さに繋がっていることは指摘できると思う。
例えば、テロによる被害を抑止するために少女を洗脳し戦わせるというハードな設定ながら、絵柄や少女たちのキャラクターから醸しだされる雰囲気はとてもあたたかく柔らかい感じになっている、というアンビバレント。
萌え要素満載の作品と相似するように個性豊かな『義体』の少女たちが配され、読者は彼女たちの中からお気に入りの子を見つけられるような「親切設計」でありながら、それらキャラクターは設定上最初から短命であることが予告され、さながら物語全体が彼女たちが命を削りながら紡ぎ出す仄暗さに彩られている、というアンビバレント。
30代男性の担当官とミドルティーンの『義体』の少女との恋模様は明らかにアブノーマルなものなのに、彼ら彼女らの心のひだが詳細にわたって描き出され、感情移入した読者は切ない気持ちにならざるを得ない、というアンビバレント。
…これら相矛盾するものを一気に詰め込んでいることから、エンターテイメント性とテーマ性・作品性を高水準でバランスさせているという評価はできるだろう。
テーマ性ということで言えば、つかの間の生を懸命に生きる彼女たちの人生は短いがさりながら、ただ過ぎ去るだけの日々を送っている読者自身のそれは長いと言えるか。『義体』とは人生の価値を問いかけるためのメタファーであるのだろう。
あるいは洗脳が施されながらも、人間としての感情は消されていない彼女たちの恋ごころは偽りのものだろうか。果たして「正しい」恋愛感情とは何なのか。何が正常で何が異常かという境界はいつでも恣意的で、それに従っている限り、私たちは人生の満足は得られないのではないか…?
一見ライトでありながら、これらのテーマをきちんと描き出している本作。設定から嫌悪感を抱かれる方もいるかもしれないが、できれば食わず嫌いをせずに多くの人に読んでもらいたい作品である。
何度も読み返しているとても好きな作品だが、この作品のすばらしさを一言で説明するのは容易ではない。
ただ、一見相反するような仕掛けが重層的に施されていることによって、作品の奥深さに繋がっていることは指摘できると思う。
例えば、テロによる被害を抑止するために少女を洗脳し戦わせるというハードな設定ながら、絵柄や少女たちのキャラクターから醸しだされる雰囲気はとてもあたたかく柔らかい感じになっている、というアンビバレント。
萌え要素満載の作品と相似するように個性豊かな『義体』の少女たちが配され、読者は彼女たちの中からお気に入りの子を見つけられるような「親切設計」でありながら、それらキャラクターは設定上最初から短命であることが予告され、さながら物語全体が彼女たちが命を削りながら紡ぎ出す仄暗さに彩られている、というアンビバレント。
30代男性の担当官とミドルティーンの『義体』の少女との恋模様は明らかにアブノーマルなものなのに、彼ら彼女らの心のひだが詳細にわたって描き出され、感情移入した読者は切ない気持ちにならざるを得ない、というアンビバレント。
…これら相矛盾するものを一気に詰め込んでいることから、エンターテイメント性とテーマ性・作品性を高水準でバランスさせているという評価はできるだろう。
テーマ性ということで言えば、つかの間の生を懸命に生きる彼女たちの人生は短いがさりながら、ただ過ぎ去るだけの日々を送っている読者自身のそれは長いと言えるか。『義体』とは人生の価値を問いかけるためのメタファーであるのだろう。
あるいは洗脳が施されながらも、人間としての感情は消されていない彼女たちの恋ごころは偽りのものだろうか。果たして「正しい」恋愛感情とは何なのか。何が正常で何が異常かという境界はいつでも恣意的で、それに従っている限り、私たちは人生の満足は得られないのではないか…?
一見ライトでありながら、これらのテーマをきちんと描き出している本作。設定から嫌悪感を抱かれる方もいるかもしれないが、できれば食わず嫌いをせずに多くの人に読んでもらいたい作品である。
GUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO- Vol.5【初回限定版】 [DVD]
第8話はアニメならではの演出が非常に優れており、二期で最も私のお気に入りの回です。
ビデオを20回以上見返してしまいました。
担当官を失ったクラエスの「いつも通り」の毎日は、一見無機質で悲しみの中にあるように
描かれたところから話は始まります。でもそれは鏡のように、表裏一体のもので、実は幸せ
の欠片があちこちにある様がわかります。
彼女がアンジェと二人でプリシッラにスクーターで乗せられ、三人乗りで夕日をバックに
走る落ち着いた場面は、義体と言う悲しき運命を持つ彼女達の生きる毎日が、時に幸せな積
み重ねの中であることを示しています。
積み重ねられてゆくそういった「いつも通り」の風景の中で彼女は、幸せと悲しみの交差の中
を、精一杯生きることで失った担当官に教えられた生き様を、体現しています。
名曲「スカボロー・フェア」をテーマにした爽やかな物語と共に、私達は学ぶでしょう。
第9話は、一転してに美しいドレスに身を包み、担当官のために暗殺と言う汚れ仕事をこなす
義体の姿が描かれています。
第8話と9話二つの回での小さく光った共通のテーマは、ベアトリーチェ(愛称:ビーチェ)。
漫画ではほとんどキャラクター性がわからないビーチェですが、二期ではこの子に少しですが
スポットが当てられています。メインヒロイン達は担当官を溺愛し、生きる意味に全く
迷いがありませんが、彼女らと違ってビーチェは、まだ模索している最中にあります。
何の興味もなしに淡白に生きる彼女が、同じく淡々と生活しながらも充実して生きるクラエスと
共にするうちに生きる意味を見つけようとし始めます。少ないカットではありますが、微笑まし
い場面です。
そして私達もビーチェでもあります。
「それって‥‥楽しい?」
一見馬鹿にしているような台詞です。でも‥‥教えてほしい。そんなおぞおずと聞くビーチ
エの問いを私達は持っているのですから。
ビデオを20回以上見返してしまいました。
担当官を失ったクラエスの「いつも通り」の毎日は、一見無機質で悲しみの中にあるように
描かれたところから話は始まります。でもそれは鏡のように、表裏一体のもので、実は幸せ
の欠片があちこちにある様がわかります。
彼女がアンジェと二人でプリシッラにスクーターで乗せられ、三人乗りで夕日をバックに
走る落ち着いた場面は、義体と言う悲しき運命を持つ彼女達の生きる毎日が、時に幸せな積
み重ねの中であることを示しています。
積み重ねられてゆくそういった「いつも通り」の風景の中で彼女は、幸せと悲しみの交差の中
を、精一杯生きることで失った担当官に教えられた生き様を、体現しています。
名曲「スカボロー・フェア」をテーマにした爽やかな物語と共に、私達は学ぶでしょう。
第9話は、一転してに美しいドレスに身を包み、担当官のために暗殺と言う汚れ仕事をこなす
義体の姿が描かれています。
第8話と9話二つの回での小さく光った共通のテーマは、ベアトリーチェ(愛称:ビーチェ)。
漫画ではほとんどキャラクター性がわからないビーチェですが、二期ではこの子に少しですが
スポットが当てられています。メインヒロイン達は担当官を溺愛し、生きる意味に全く
迷いがありませんが、彼女らと違ってビーチェは、まだ模索している最中にあります。
何の興味もなしに淡白に生きる彼女が、同じく淡々と生活しながらも充実して生きるクラエスと
共にするうちに生きる意味を見つけようとし始めます。少ないカットではありますが、微笑まし
い場面です。
そして私達もビーチェでもあります。
「それって‥‥楽しい?」
一見馬鹿にしているような台詞です。でも‥‥教えてほしい。そんなおぞおずと聞くビーチ
エの問いを私達は持っているのですから。