張込み (新潮文庫―傑作短篇集)
松本清張初期の短編が八つ収められています。「張込み」「顔」「声」「地方紙を買う女」「鬼畜」「一年半待て」「投影」「カルネアデスの舟板」。
なかでも、「鬼畜」と「投影」の二作品が印象に残ります。陰と陽とでもいった味わいが好対照なんですが、作品の根っこの部分で通じているところがあるように感じました。どこが?っていうと、「鬼畜」に出てくる三人の子供の長男と、「投影」に出てくる主人公の男。虐げられし者が鬱々として、「今に見てろよ」と怨念を抱くところ、そこに“復讐する者”が持つ共通した匂いを感じたのです。
「鬼畜」は読んでいて、どうしようもなく暗い思いにとらわれました。血のつながっていない三人の子供を目の前から消し去ろうとする夫婦の話、それが「鬼畜」です。黒い汚点のように心にしみついて離れない、そんなやりきれない話ですが、これが読後、じわじわと効いてくるんですよ。ぞおっとします。
それから、関係がないと思われるところを結びつけて、そこに旨味を出す面白さが清張作品にはあるように思います。“一緒に見なされないものを一緒に結びつけて考える”ということ。これはミステリの面白味のひとつですが、この妙味を出す手際の巧さが清張作品にはありますね。「地方紙を買う女」では、主人公の作家が読者からの葉書を読んで、それをあることと結びつけて考える件りがあります。一見なんのつながりもなさそうに見えたところに、ある関連性が浮かび上がってくる。離れた点と点を結んで、ひとつの絵に仕立ててしまう面白さがある。そこに、著者ならではの芸の旨味があると思うのです。
Inspector Imanishi Investigates (Soho crime)
松本清張ミステリー『砂の器』の米国版。思っていたより読み易い翻訳でした。
アメリカ映画の警察ものや犯罪ものなんかと較べると、俗語や業界用語のような
厄介な語彙もほとんど出てきません。それに、文化的背景に対する理解度という
障壁もない分、余計に簡単に感じるのかもしれませんね。
文章も概して平明なので、それなりに真面目に勉強してきた学生さんなら、
それ程ストレスなく読み進められる事でしょう。
また描写の繁雑さを避け、簡略化して翻訳されている場面が多い為、結果
として300ページ程に納まっています。原作そのままだと相当長い作品なので、
とくにこだわりのない人には、この方がいいのかもしれません。
日本での出版が1961年。いろんな点で古さは否めませんが、それが逆に
タイムトリップ感を生んで楽しかったりするものですね。
50年前の日本人の暮らしを垣間見る事ができます。
少し例を挙げてみましょう。
' the Izumo limited express ' ・・新幹線がない時代。島根県亀嵩へ急行で出張
' worked on their abacuses ' ・・PCどころか電卓も無い。計算は算盤で
' wearing kimono ' ・・今西刑事は家では着物。着流しが親父たちの部屋着
他にも、妻が妙に献身的だったり、アパートの住人宛に電話がかかってきた時は、
管理人がその人の部屋まで呼びに来たり・・・そんなふうな時代だったんですね。
私の若い頃は著者がまだ現役だったので、現代の作家という印象が強いのですが、
気がつけば古色蒼然。文化遺産として、後世まで読み継がれてほしいものです。
日本の黒い霧〈上〉 (文春文庫)
当時の様子を知らない私でも、時代背景等を調べながら苦労する事無く読み進める事ができました。文章的なものもそうだし、結論ありきではなく事実の積み重ねから最後に足りない部分を推理によって埋めて行く様子は、並みの陰謀論系書物と比較するのが申し訳ない出来。
終戦後の米軍の政策や組織、動きについて興味がない人でも止まる事無く読み勧める事ができると思います。戦後今に続くまで「黒い霧」は数多く有ったんでしょうけど、このような形で描ける著者はもういないでしょうね。
砂の器〈上〉 (新潮文庫)
蒲田操車場で残虐な殺され方をした身元不明の死体が見つかる。今西刑事の地道で謙虚な捜査活動は犯人へとじりじりと近づくかのように見えるが先がなかなかみえず、一方、怪しき若き人物達の性格、日常が見えてくる。 ドラマ化され2004年のドラマでは和賀側の視点でよく描かれ原作と異なる趣があり斬新な印象がある。原作は今西刑事の思考、論理、焦燥、閉塞感、手がかりを掴んだかに思えた時の喜びなどが描かれ、推理小説の醍醐味が味わえるようで面白い。 しかし、事件はどうして起こってしまったのだろうか?事件を起こした人物が抱えていた思いは何だろうか?下巻がまさに楽しみだ。