八日目の蝉 特別版 [DVD]
まず見応えたっぷりの名画という一言につきます。決して、気持ちの良い作品とは言い難く、見ている間に正視に堪えない程に辛い場面も多々ありますが、それでも一瞬たりとも緊張の解けない緊密な造りには、ひたすら感服しました。ネタバレにならないように、具体的なことは言いませんが、この結末が「力強い救済」の物語になっているのか、あるいは、わずかに一筋の希望の幽かな光のみを残して、依然暗澹としたなかに終わるのか、そこは「子を産む、子を育てる」ということに対する感じ方によって、違った受け止め方になるかもしれません。特に、男女で、この結末への感じ方が違う可能性があると思いますが、それも含めて面白い映画でと思います。
男女にありがちな「小さな過ち」が、多くの関係者の人生の歯車を狂わせ、取り返しのつかぬ悲劇へと発展してしまう。その意味では「ほんとうの悪役」が存在せずに、皆が皆、それぞれの立場で苦しんでいる物語。そんな物語の出演者では、永作博美が圧倒的な名演技です。「誘拐」という罪を犯し追われる身であるという、何かに常に圧迫され、緊張と不安定のなかで、いつかは破綻に至るしかない日々。そんな日々のなかで、「薫」に愛情を注ぐ母としての日常を守ろうと苦闘する希和子が、罪と愛との葛藤のなかに見せる強さと脆さを圧倒的な説得力で演じています。特に終盤で、写真館の場面での無言の演技の凄絶さは言語を絶するものがあります。井上真央は、実はこれまでノーマークで、この作品で初めて観たようなものでしたが、良い意味で予想を裏切られ(?)ました。出演者たちも皆、いい味を出しています。個人的にはエンジェルホームで、希和子と親しくなる久美を演じた市川実和子と、(ある意味ではすべての不幸の責任者ともいえる)恵理菜のだらしないダメ親父を演じる田中哲司の二人が結構味のある演技で良かったと思います。
八日目の蝉 通常版 [DVD]
小説とセットで観ると価値倍増の作品でした。
小説は前半が誘拐犯の希和子の独白、後半が誘拐されて4歳まで希和子を母親と信じて育った薫(恵理菜)の語りで進んでいくのが映画では語りがクロスします。これが良い。
映画の方が良いのが、小豆島での二人の日々。
映像ならではの迫力で、感情に訴えてくる。
恵理菜が小豆島を訪ね、写真館で希和子と撮った写真を老に引き伸ばしてもらうシーンは彼の名作「ニューシネマパラダイス」の有名なシーンを彷彿とさせてくれたけど、あれよりも泣けました。
長崎ぶらぶら節
今は東京に住んでおり、故郷を懐かしんで購入してみました。
長崎ぶらぶら節で現在、最もよく知られる歌詞「長崎名物ハタ揚げ盆祭り〜」は歌われていません。長崎ぶらぶら節には二百年の歴史とともに、歌詞が多くあると聞いていますので、往時の長崎人はぶらぶら節に(途中、古賀先生と愛八さんに拾われつつ)、その時代ごとの空気を含んだ新たな歌詞を付け、永く楽しんできたのでは? また、この原盤が作成された昭和6年当時、まだ「長崎名物ハタ揚げ盆祭り〜」の歌詞は存在していない、もしくはメジャーではなかった? こう想像して、まず楽しめました。
また、愛八さんの歌い節は、明治生まれの祖母が話していた古い長崎弁の記憶と結びつくところがあり、なんとも言えず気持ちが安らぎます。今ではほとんど使われなくなった古い長崎弁ですから、ぶらぶら節にある「甲の寅の年」という節回し一つを取っても、私(1971年生)には今の長崎弁の発音との微妙な違いを聞き分けることのみ、正確に発音することは不可能です。当時の言葉とともに風情が生きる貴重な音源、遺産ではないかと思いました。
蛇足を承知で、、
70に近い母は「海老」を「ebi」と発音せず、正確に表記できないのをお断りして、「iyebi」に近いふうに発音します。古い長崎弁は今でも長崎に、少しばかり残っているようです。
苦役列車
芥川賞を受賞作をいち早く読むという習慣もなく、『KAGEROU』のような
話題作にもまったく食指が動かない私のような人間でも、授賞式の記者会見で著者
を初めて知って以来、読まざるを得ない気持ちになった。この著者は小説を書か
ざるを得ない人だということが直感的に伝わってきたから。
私小説であるというその内容は、罪なき罰を背負った青年の、孤独と不満と諦念
の入り混じった塩辛い日常を淡々と描いたものである。もちまえの過剰な自意識
がこの青年にことさらに卑屈な態度をとらせ、せっかくできた友人も遠ざかって
いく。かといって青年は一念発起するわけでもなく、凶悪犯罪に走るでもなく、
自分を罵ったり、他人を妬んだり、もうどうでもよくなったりしつつ、日雇いの
仕事と居酒屋と風俗店のループから出ることなく日々過ぎていく。
暗くて後味の悪い小説を予想していたが、意外にも、その独特な文章からは「お
かしみ」が滲みでていて、深刻になりすぎないよう絶妙にコントロールされてい
る。語り口を変えれば、「未来を閉ざされ、友も恋人もなく、単純労働で日銭を
稼ぐ毎日」という設定のこの物語も、随所で笑えるドラマやマンガにさえなるよ
うな気がした。その「おかしみ」は、この本に収録されている短編、「落ちぶれ
て袖に涙のふりかかる」でも存分に発揮されている。著者は、尊敬してやまない
藤澤清造の作風を「滑稽だけど悲惨味もある」と評しているが、この小説は、
「悲惨だけど滑稽味もある」ふうに仕上がっている。私小説が日記や自伝と違う
のは、自分の人生や経験なりをあくまで第三者的に見て、読者目線で構成しなお
し、悲惨さなり滑稽さなりで入念に味付けをしているところだろう。