原発のウソ (扶桑社新書)
多くの読者が評しておられるように、原発についてのわかりやすく的確な情報を得るのには最適な教科書と言えよう。
原発にかかわる総合的な「ウソ」と「欺瞞」、「非合理性」が穏やかな文体ながらしっかりと伝わってくる。福島第一原発の事故後原発の恐ろしさを初めて認識した人々の多くは、同時にこれまで妄信してきたテレビ、大手メディアの頼りなさを感じ始めた。「直ちに健康に影響はない」「大丈夫です」を連発する東大教授達。本当にそうなのか?と素朴な疑問がわく中で、何故か他の学者や研究者と声色においても分析にしても異なった波長、だが確実にこちらの方が信頼できそうだ、そう感じさせる小出氏からの発信にようやく人々は気づいた。
今日では多くの人の知る所となったが、本書の冒頭にもある通り「40年間一貫して」専門家の立場から原発に反対・警鐘を鳴らしてきたのが小出氏だ。何事にも「反対」するのには勇気もエネルギーもいる。日常の些細なことですら近年は意義が唱えにくい社会になっているきらいすらある。研究者として40年原発に反対を続けるということは「40年間個として国と闘ってきた」事を意味し、それは今日小出氏の穏やかな人柄・語り口から想像もしえないほどの困難の連続だったに違いない。闘争の歴史である!
小出氏は専門家として「原発に反対する」だけではなく根本に「不正や差別は許せない」という鍛え抜かれた思想を持っている。他の多くの専門家との決定的な違いがここにあるのだ。「原発に賛成するか反対するかはその人の生き方の問題だ」とある場所で小出氏は言っている。その言葉に御用学者は一言も反論できまい。小出氏は携帯電話を持たないそうだ。基本的にテレビも見ないし、クーラーも使わない。この国の政治を全く信用していないし、常に「弱者に寄り添いたいと思う」人だ。専門的に正しい知識を得られることも当然ながら、小出氏の人間としての希有さ、偉大さこそ今日の危機的状況で我々が学ぶべきかもしれない。彼の思想は奥深い。貴重な研究者と同時代を共にできたことをせめてもの救いと感じる。
原発事故を問う―チェルノブイリから、もんじゅへ (岩波新書)
東日本大震災が起き、福島の原発事故が起きた。一週間も経たない、まだ物不足・ガソリン不足が深刻だったときに図書館に行って真っ先に手にとり借りて読ませていただいたのがこの本です。
福島に先立つこと25年前のチェルノブイリの原発事故がなぜ起きたのか。放射能はどのように拡がり大地の汚染を作り出していったのか。当時のソ連政府はこの事故にどのように対応していったのか、IAEAは、アメリカは、西ヨーロッパの国々はどういう思惑を持って立ちまわったのか。そして、チェルノブイリ原発によって空気や土壌を汚染され、故郷を追われた人々はどのように生きているのか。非常に興味深いレポートが並んでいました。
国や政府形態、時代、原子炉の設計や事故の形態・原因も、福島原発の事故とは明らかに違いますが、その官僚主義的隠蔽・無責任体質が、事故そのものや、後手後手に回ってしまい広範囲に及んで住民の健康被害を広げてしまった事故後の対応の背景にあることがあぶり出されており、たった今の日本の姿と重なる部分も多いようにも思われます。
チェルノブイリ原発事故は原子炉の設計が古く、最新技術によりきちんと改良され管理されている日本の原発は安全だとして、問題の本質を自らのものとして学ぶこと無かった日本は結局は同じ轍を踏んでしまった。ということなのでしょう。
最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか
世に浜の真砂が尽きるとも…事故がなくなることはないだろう。
しかし事故は防げるものだということも真実だ。多くの事故が同じような類型や過程が繰り返されているからだ。スリーマイル島原発事故のように、昔から繰り返されてきた蒸気ボイラーの圧力弁の固着と熱暴走が引き起こしたものだし、同時に、そのものの事象が目に見えず計器に頼った判断が人間の認知を固定させてしまい他の原因に思い至らないようにしてしまう(「認知をロックし固定する」)現象は、幾多の航空機事故を引き起こしてもいるという。
身のまわりや自分自身の日常の失敗にも通ずることばかりで思わず暗澹としてしまう。世の中では事故というと、自分のことは棚に上げてすぐに犯人さがしをして特異な個人の責任にしてしまうが、事故というのは日常的な人間心理や集団錯誤と隣り合わせなのだ。
豊富な事例と多岐にわたる示唆が面白い。あまりに、各種の事故が登場し、時代を超えた類似例が飛躍し交錯するので、読んでいて多少疲れる。体系的、権威的、追求的でないところが読み物として良い面でもあるが、人間ドラマや真相究明的な「事故もの」を期待する向きにはややわずらわしくもあり物足りなくもある。
福島原発の真実 (平凡社新書)
収賄で逮捕された前福島県知事の著者が書いた東京電力、国とのせめぎ合いの記録である。
3・11以前にも福島県に届いていた内部告発の具体例が生々しい。
・タービンのローターがひび割れている
・タービン建尾のコンクリート壁がおかしい
・東電の社員は監督していない
・第一原発3号機で発生した爆発が公表されない
・コストダウンし過ぎで作業員のスキルが落ちている
・作業ノウハウが伝わらない労働システムはおかしい
・作業員は疲れ切っている
・第二原発3号機の制御棒ハウジングにヒビがある
・湿分分離器の欠陥が放置されている
・計器を不正操作しデータをごまかしている
下請けを協力会社と呼び、輪番停電を、さも整然と行うかの印象の計画停電に言い換える東電。
原発は必要だから「正しい」必要だから「安全だ」という「欺瞞」
「直ちに健康に影響はない」を繰り返す政府。ああ。