VOICE OF HEAVEN
赤い鳥のコンプリート・アルバムを所有していますので、渡辺俊幸氏の登場は知っていますし、さだまさしのファンでもありますので、70年代の一連のアルバムを手掛けた彼の美しいアレンジは脳裏に横たわっています。それほど渡辺俊幸という名前はJ−POPの歴史と一緒に刻まれたものでした。
このCDは、そんな渡辺俊幸氏が手掛けたテレビ番組のメインテーマを集めたような企画です。特に日本のサラ・ブライトマンのようなクロスオーバー・ソプラノの増田いずみさんの澄んだ声を4曲で聞くことができますし、オリガのソプラノもまた美しいものでした。
抒情性への強い指向は過去のアレンジや作品を聴くと如実に伝わってきます。決して声高に叫ぶことなく、美しい世界を楽器と声とで紡いでいき、聞くものを魅了するようなメロディとハーモニーを残してきたと思います。
テーマ音楽であり、ヒーリング・ミュージックのようでもあります。繊細でどこか懐かしく押しつけがましくない音楽というのも貴重です。日常に疲れた時、人は癒しを求めます。さりげなく、傍らに寄りそうに存在する音楽だからこそ、万人に愛される音楽としてテレビで取り上げられているのでしょう。
『ヴォイス・オブ・ヘブン』というアルバムタイトルがこのCDの内容や音楽性を浮き彫りにしているようです。天上の音楽とも言えるでしょうね。癒されました・・・・・・。
心のケア――阪神・淡路大震災から東北へ (講談社現代新書)
阪神・淡路大震災での経験をどのように実践するかについて本章で詳細に語った加藤寛氏は、
『おわりに』でこのようにまとめる。
その中で繰り返し痛感したのは、心のケアはあまり歓迎されないということです。...受け入れて
もらうためには、心のケアを強調しすぎないこと、現実的な支援をしながら地道な関係作りをする
こと、そして何よりも害を与えないこと、これらの基本的な態度が重要でした。(P198)
そして、
仙台市宮城野区に派遣された、「兵庫県・心のケアチーム」とその受け入れ先となった仙台市と
住民の方々による三ヶ月間の活動の様子を最相氏がレポートした『巻末ルポ』はこう語る。
救急医療隊も通常ニ泊三日で交代する。被災地に害を与えず迷惑をかけず、任務を果たし、
健康も損なわずに帰還する。そうでなければ次の支援が続かない。(PP2124-215)
支援者はたいそうなことをする必要はない。テーブルが汚れていたらそっと拭き取るような
あたりまえの気遣いがあればいいんです。...そっと見守る。なにもしないでいるということは
結構勇気がいることなんですよ。(P222)
安心できる場所も確保されていないうちから、PTSD、PTSDといわんほうがいいと思うよね。
...、といいながら感情が出てくることでしょう。そういうことができて初めて、医療が
関与するかどうかを考えていくことが大切なんじゃないか。(P226)
阪神・淡路の経験と元に東日本大震災で実践されたことを、インタビュー形式で記した本なので、
内容が具体的で、地に足がついた説得力があります。
「心のケア」にたずさわろうとする者の『善意』や『使命感』だけでは、
惨事を経験した人をケアできないむずかしさもとてもよくわかります。
現実の厳しさやむずかしさは、想像以上であることを思い知らされました。
勉強になりました。
神戸新長田鉄人28号モニュメント 1/60スケールフィギュア
私は子供の頃から鉄人が好きで20年程前に復刻版のプラモデルを手にしたあたりから鉄人28号
に関してのフィギュア・グリコのおまけ等数多くの鉄人を集めだすようになりました。
私の鉄人コレクション40体以上はありますが、このモニュメントフィギュア鉄人28号の顔が一番かっこいいです。本当に価格以上の
存在感があり(思っていた以上に大きくてコレクションラックに飾るのに苦労しました^^;)いろんな思いの伝わるすばらしい作品だ と思っています。飾って見るとその重量感、存在感がリアルに伝わってきます。
災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録
東日本大震災からまもなく五十日を迎えようとしている。第一次世界大戦の時の記録によると、戦争のプロでも四〇〜五〇日たつと、戦闘消耗と呼ばれる状況に陥り、武器を投げ捨てて、わざと弾に当たろうとするような行動に出るものが現れたという。そろそろ新たなステージに入るべき時が、来ているのかもしれない。
本書は阪神淡路大震災の時に神戸大学で精神科医を務めていた中井 久夫氏による五十日間の記録がベースである。ことは今回の震災の際、ノンフィクションライター最相 葉月さんが自宅にて落下してきた本の中に『1995年1月・神戸』を見つけ、著者にネット上での全文公開を要請したことに端を発した。そこに、今回の震災の記録を追記して生まれた一冊が、本書である。
◆本書の目次
東日本巨大災害のテレビをみつつ 2011年3月11日ー3月28日
災害がほんとうに襲った時 付・私の日程表 1995年1月17日ー3月2日
二つの記録は、一つは被災に対しての外部としての立場、もう一つは内部としての立場である。しかし、いずれの立場においても共通しているのは、著者による俯瞰の目線であり、背景を観察する能力である。著者自身、被災後に病院へ出向きすぐに行ったことは、医局の整理、電話番、ルートマップの作成だった。そして、その後も、隙間を埋めること、盲点に気づくこと、連絡のつくところにいることの三点にに徹し、自身の役割を「隙間産業」と定義したそうである。だからこそ、次の災害にも活かされるアーカイヴを残すことができたのであろう。
このような視点は、著者が精神科医であることによるものが大きいのではないかと感じる。目に見える患者の症状そのものに着目するのではなく、その背景にある要因や環境を観察しなければ、真の解決は望めない。被災という悲惨な現状に直面しても、その視点は同様である。神戸という街や、日本そのものが持つ精神を踏まえて行った数々の指摘には、ハッとさせられるものが実に多い。
その一つに「デブリーフィング」というものが挙げられている。ブリーフィングが任務内容説明であるのに対し、デブリ―フィングとはその解除のことである。これを解除宣言として行うのではなく、緊張をほどいてゆき、心理的に肯定し、達成を認めるという儀式が必要なのである。重要な任務についた人たちに、デブリーフィングを行わずに家に返すと、不和の原因になりかねないそうだ。
本書が最も読まれるべきなのは、今回の震災において外部でも内部でもなかった、首都圏に住むような人たちであるだろう。直接的に被災を受けているわけ ではなく、どこか申し訳なく思いながら、さまざまな不安やストレスを抱えている人も多い。そういった人たちこそが、お互いをデブリーフィングしあう必要があるのではないだろうか。本当の戦いは、これからである。
Dear Sister
なかなかいい〜です。
成人式での「生ライブ」を見て・・・よかったので購入したのですが、生ライブで聞いた曲以外もいいです。
逆境を乗り越えて、音で「音(恩)がえし」って、素晴らしいと思いますよ