キャラクター小説の作り方
著者は『多重人格探偵サイコ』でお馴染みの大塚英志さん。キャラクター小説を「スニーカー文庫のような小説」と呼び、それはフィクションのフィクションであると定義する。すなわち、「『スニーカー文庫のような小説』とは以下のように定義されます。
1)自然主義的リアリズムによる小説ではなく、アニメやコミックのような全く別種の原理の上に成立している。
2)『作者の反映としての私』は存在せず、『キャラクター』という生身ではないものの中に『私』が宿っている。
」(28ページ)――
本書を読んだのは、「スニーカー文庫のような小説=キャラクター小説=ライトノベル(ラノベ)」の中に、どうしても読了できないものが何冊か出てきたためである。いわゆる純文学は、それが難解であっても我慢して読み終わらせることができる。ところが、それもできないラノベがある。
本書を読んで気づいた。
ラノベにおいては「『世界観』とは読者がキャラクターの目を通じて『観』る『世界』でなくては」(221ページ)ならないのだが、べつに主人公でなくてもいいのだが、登場人物の中に自分を投影できないラノベを、私は最後まで読み切ることができなかった。
「『世界観』の細部に『テーマ』という神を宿らせなくては」(257ページ)いけないのだが、そのテーマを読み切ることができないため、私は読書を放棄したのだ。
このように、本書はラノベの書き方について、少々厳しい視点をもった入門書になっている。
冒頭で述べたように、ラノベは既存のコミック、アニメ、ゲームをインスパイアして作られる。これは、いわゆるパクりではないと著者は主張する。
既存のキャラクターを「『7つの顔を持つ探偵』であるとか『頭がスケルトンの男』といった程度のキャラクターの固有性が消滅するレベルにまで抽象化します。その上で、そこに改めて元ネタとは全く異なる外見や性別や名前や時代背景を与えてあげれば」(54ページ)、まったくのオリジナル・キャラクターgできあがるという。
手塚治虫もそうしていたし、古来、和歌や連歌にもそうしたパターンがあった。それがなくなったのは明治期の自然文学運動によるものという。
ラノベの組み立てには、『ロードス島戦記』がそうであったように、TRPG(テーブル・ロール・プレイング・ゲーム)の手法が有効だという。
つまり、「3つの異なる立場」(181ページ)で組み立てることが必要で、それは「世界観及びルールを作るゲームデザイナー、その中で成立する具体的な1本1本のお話を管理するゲームマスター、ゲームマスターにリードされて役割を演じるキャラクターたちの3つ」だ。
ゲームデザインに重点を起きすぎてはいけない。読者がキャラクターになりきることができるように、キャラクターにカメラを持たせるようにして書くのがいいという。また、キャラクターに目的探しをさせると、生き生きしてくるとも。
最終的にはゲームマスターがおもしろさを決める。面白い話のパターンは昔話に求めるといいとアドバイスしている。民話や神話のズレた世界観というのは、読者がキャラクターの目を通してみた世界だからズレて見えるという。
最後に著者はこう指摘する――「そしてあなた方の小説がしばしば欠いているのは『主題の宿る細部』なのです」(257ページ)。
田舎教師 (新潮文庫)
志は挫け恋にも破れた主人公の孤独の心情、その寂しさをあの手この手で遣り過ごそうとする悪足掻き(友人への嫉妬、生活に安穏とする同僚への軽蔑、日々の労働とは無関係の素人研究への熱中、上級資格の検定試験を受けて何とか成り上がろうとする試み、幼いがゆえに純粋な者たちと接する中に見出す慰め、商売女との仮初の交わり、遠いところへの憧憬、世捨人然とした生活、諦念と沈黙・・・)、それが今までの自分の姿と重ねられる。
"あゝわれ終に堪えんや、あゝわれ遂に田舎の一教師に埋れんとするか。明日! 明日は万事定るべし。"
自己の内面に一度でも沈潜してしまった者は、その深淵に比して自らを捕り囲む実生活の尺度が余りに卑小であることに、軽蔑と戦慄を覚える。唾棄すべき俗世の中で何者かとして固定され埋れてしまうことへの恐怖。つまらぬ日常は、それこそ毎日、補給され続ける。
内的な理念によって自らを吊り支えることも能わず、他者と情愛を遣り取りする合せ鏡の間に自己の居場所を見つけることも叶わず、かといって世俗の汚泥に頭まで浸かりせいぜい実利計算にばかり長けた小賢しい愚鈍の俗物に堕することも潔しとしない。自殺もできぬ、発狂もできぬ、宗教にも走れぬ。せいぜいが、束の間、生理的快楽に孤独を紛らわせるくらいしかできない。
内的な信念への重苦しい誠実さを抱え続けること、実生活の尺度に合わせて「小さく生きる」こと――ルカーチならば、節制 Haltung と呼ぶだろうか――、如何にしてその折り合いをつけていけるものだろうか。執着か妥協か、何が本当なのか分からない。
嘗ての教え子である女生徒の中に清三の影が残っていることが、救いだ。
恋する日曜日 文學の唄 ラブストーリーコレクション [DVD]
恋する日曜日シリーズでは今までコミックが原作の作品はありましたが、本格的な文学作品を映像化したのはこのシリーズが初めてです。そして、ただ映像化するだけでなく現在に置き換えてアレンジしてあります。そのためか原作の主題を映像化するのに重きを置き、原作とはかけ離れた表現の作品になっているのが多いです。
ただ作品のチョイスは考えられていて、武田麟太郎 佐左木俊郎 林芙美子など玄人好みの、まず商業ベースではドラマ化されないだろうという作品ばかりです。また出演者も粟田麗 橘実里 千葉哲也 他、書ききれないほどの本当の実力派をそろえていて、見ている人をその作品世界にぐいぐい引き込んでいきます。
内容は地味な作品が多いので手をたたいて笑えるような作品はありませんが、じっくりと文学の世界に浸りたいときには最適の作品で、優れた短編集を呼んでいるような錯覚に陥ります。とてもお勧めできるDVDです。
温泉めぐり (岩波文庫)
私は温泉めぐりが好きで、この本の存在を最初に知ったのは新聞での紹介記事です。その後、本屋さんでこの本に再会し、実際に開いてみました。すると、歯に衣着せぬ表現で日本各地の名湯がずばり評されているところに大いに惹かれ、即買いました。
100年ほど前の温泉の旅が、当時の世の中の様子とともにここに蘇ります。