牛を屠る (シリーズ向う岸からの世界史)
屠殺場というのはなかなか外部から見ることができない。特に、生きている牛が枝肉になるまでの具体的な作業の詳細をこのように科学的、客観的に自らの人生観も含めながら淡々と記述された文章は感動的であった。
写真は事情もあり添付されていないが、イラストは非常に味があった。
「こうして僕は猟師になった」
という本とも共通するが、獣を解体して肉として食べることは命をもらうことであり、自分が食べる食肉を大切に思う気持ちが強くなった。
おれのおばさん
痛快なストーリーで一気読みしたのだが、あとで考えてみると
複雑な気持ちになった。
主人公の中学生は抜群に優秀で、この子なら逆境でも大丈夫!と
安心して読み通したのだが、「頭脳明晰すなわち善」という物語を
読んだのは、ずいぶん久しぶりであることに気がついた。
開成から東大というエリートコースとは無縁の読者であっても、
感情移入ができてしまうのは、誰しも自分のことを本当は賢いなどと
自惚れているからかもしれない。
タイトルである恵子おばさんの最大の魅力もまた北大医学部合格という
頭脳明晰さである。人間性は頭脳に比例するという著者の考えが色濃く
反映された作品なのか。
おれたちの青空
札幌にある小さな児童養護施設「魴'舎(ほうぼうしゃ)」を運営する恵子おばさんと、そこに世話になる中学生他十数人、それぞれの物語。
個々別々の過去、生い立ちを持ち、この施設に辿り着き、そして、高校入学と伴にここを出、あちこちへ巣立っていく。
養護施設に入る訳だから、親にトラブルを抱えた子達ばかり。来たくてここに来ている訳ではない。
しかし、恵子おばさんの実直でエネルギーに満ちた人柄や、関係者達の助けによって、ひねくれた衣を脱ぎ捨て、明るい光を真っ直ぐに目指し、出ていく。
そして、その恵子おばさんも、逆境を生きてきた。
そんな、それぞれの物語が、特殊な構造で描き出される。
第1章「小石のように』は、児童虐待を受けてここにやってきた卓也が、ある事をきっかけにして魴'舎を脱け出す。
雪が次第にひどくなる北海道のあちらこちらをふらつきながら、自分の幼少時代や、実の両親だと思っていたのが養父母だった事等を想い出し、物語る。
人称は「おれ」である。
第2章は「あたしのいい人」で、恵子おばさんの語りになる。人称は、タイトル通り「あたし」。
どうしてこの養護施設を開く事になったのか、その訳は、彼女の子供時代から語り起こされる。そして、北大の医学部を中退して迄深入りした演劇。
第3章が、小説全体の題となった「おれたちの青空」。
やはり魴'舎に世話になる中学生、陽介の物語。
人称は、やはり「おれ」。
異なる人称で語られる事で、養護施設が、そこに住む人たちが、より立体的に、読者の頭の中に構成される事となる。
他の2章が100ページ前後あるのに対して、第3章は20ページ程しかない。
それは、第1章で卓也が、第2章で恵子おばさんが、彼等自身の物語の中で、少しずつ陽介について語っているからでもあるが、敢えて充分には語り切らないようにした、という側面もあるかもしれない。
その訳は、後で少しばかり触れる事になるだろう。
前知識なしにこの小説を開くと、目次には3つの題が並べられていて、そこには1章とか2章だとかの表記がない。
だから、3つの別の物語が入った短編集なのかとも思ってしまう。
語り手が違うから、取り敢えず何処から読み始めてもいいかもしれない。
例えば第3章からページをめくり始めた人は、しかし、やはり、第1章からもう一度読み直すだろう。
同じような意味で、この本には、先立つ書が1冊ある。
2010年に書かれた『おれのおばさん』だ。同年に、坪田譲治文学賞を受賞した。
タイトルの「おばさん」が、恵子おばさんである事は、容易に想像がつく。
私は知らずに『おれたちの青空』を読み始めたから、『おれのおばさん』も読んでみようという気に、今はなっている。
そして、この『おれたちの青空』も、”これでお終い”という風でなく、魴'舎に世話になる少年少女のまた別の人物から語られたり、ここを出た彼等が、どう世の中とぶつかり、どういう答えを見出していくか、その人生と心の成長の様子が物語られていくのに違いない、と、勝手に思ってしまう。
卓也は青森の高校にバレーボール選手として、陽介は仙台の私立に特待生として、彼等の人生はまだ始まったばかり。
そして、恵子おばさんも、波乱に満ちた人生の半ば、答えを出さずに中途で放っている事柄が・・・。
順序は読者の都合と偶然でいいだろう。
人と本の出会いも、人生と同じで、偶然に支配されているのだから。
勿論この書単独で読み終える事も許されていて、作者は、単体としての評価も甘んじて受けなければならない。
そういう観点で言うと、この『おれたちの青空』は、第1章が出色だ。
人間を衝き動かす不分明なものが物語に潜んでいて、それが卓也の行動と心理を引き摺り回している。
このありさまには、読者も暴力的な迄に胸を衝き動かされる。
それに比し、第2章の恵子おばさんの語りは、平板な説明が多く、自己正当化が感じられる。
全体の基礎になる部分としてまずそこを固めてしまい、彼女よりも、少年少女の物語をその礎の上に羽ばたかせたかったのか、それとも、この続篇で、おばさんも、自分の平板な語りでは済まなくなるのか。
それは判らない。
ぼくたちは大人になる (双葉文庫)
高校生の潔癖さと、驕りと、決意と、忘却と、自己嫌悪と、自信と。
この本は主人公の心情描写にそのほとんどを費やしている。非常にリアリティのある描写だった。
単純に高校生が失敗を経て成長していく、といったものではない。一度失敗をして、それを糧に成長したはずが、失敗を忘れてまた誤り、乗り越えたはずが、乗り越えられていない。自信を得たと思ったら自分の愚かさを思い知らされる。
揺れる心をとてもよく書き出していて、自分でもいくつも思い当ってしまう。
「おれのおばさん」の主人公はいい意味でも悪い意味でも素直でまっすぐだったが、この主人公はより人間くさく、自信過剰だったり、失敗を都合よく忘れてしまったり、より等身大の人間を描いているように思う。
また、この作者の作品はどれもそうなのかもしれないが、主人公の心情描写を軸とする一方で、それだけでなく現実にある社会の問題を提起してくる。考えさせられる部分も多い。
そういう意味でも充実した小説ではあるが、ストーリーも出来事がいくつも起こって飽きず、特にラストの展開は引き込まれた。
また主人公をふくめ、人物造形がうまく、登場人物がみな好きになれる。
単純にとても面白く、いい小説だった。
虹を追いかける男 (双葉文庫)
正直、この作品も作者もまったく知らずに読みました。率直な感想、素晴らしい作家に出会えた、と思いました。純文学スタイルですが、読者を引き込ませる文体で、久しぶりに文体をじっくり味わいながらよむ作品に出会えたという感じです。近い将来ブレイクの予感を漂わせる作家だと思いました。