Led Zeppelin 4: Zoso
やっぱり僕がこのアルバムで一番ぶっ飛んだのはWhen The Levee Breaksのドラムです。凄すぎというか、一体どうやったらこんな音が出るんでしょうか………
またこの曲はオープニングにもってきてもぴったりはまりそうな感じですが(開戦の合図みたいな)あえてラストに配置することでミステリアスさが増しててかっこいいです。
話の終わり
小池昌代氏が日経新聞の書評で「恐ろしいほどの面白さ」と絶賛だったので
期待して手にしたけれど、私には特別面白くはなかった。つまらなくもなかったけれど。
三十代半ばの大学教師(文学専攻)が、直接の教え子ではないけれど文学志望の大学生の青年と
関係を持つ。女は年甲斐もなく純な気持ちで青年に心を傾けていくが、青年の方はジゴロ的な人物である。ただし作家志望で詩なんか書いてるもんだから、完璧なジゴロにはなりきれない。好意的に解釈すれば、あくまでも貧しさゆえの性向なのである。つまり女の恋情を受け止める素地はあるから厄介なのだ。
それでもというか、当然というか、2人の蜜月は短く、男は自分の年齢に相応しいガールフレンドが出来て女の許を去っていく。女はなかなか諦めきれない。男が生活に逼迫すると、捨てた女に未練のありそうなそふりを見せたりするものだから、いつまでもうじうじ男に纏いつき、会えなくなっても昔の住まいを探し訪ねたりする。
歳月が経ち、女は再婚し夫の親を介護し、そして過去の恋愛を小説に仕立てようとしている。
私たちは創作の現場にリアルタイムに立ち会うようにして、上記の恋物語を読み進んでいく。
たしかにこの小説には、恋する私、恋しつつそれを時を経て検証する私、(以上は小説内小説の中の私)
そして小説内小説の書き手である私、もし私小説なら、この作品を書いてるリディア、と、複数の私が折り重なっている。だからって読んでいて、ああ、複数の私が交錯してるぅ! とはならない。
素直にすいすい読み進んでいける。あえてそんな事を念頭に置かなくても楽しめるのだ。
小説の構造というのは、こうでなくちゃ、と思う。
器だけ凝って中身が陳腐だったり、豊穣な中身を器に凝らずに盛り付けたり、
とはなっていないところがとても好感が持てる。
作家の企みと情感とが融和しているということは、とても上等なことなのだと、改めて思う。
インディ・ジョーンズ レイダース 失われたアーク《聖櫃》 [DVD]
スピルバーグの監督としてのピークはこの作品が製作された80年代前半だったと思います。それ以降はこの時代で磨いたテクニックの惰性と派手な画面で何とか評価を保っているというところだと思います。一般的に当時からスピルバーグはお子様ランチみたいな批判があったが、本作を見ると、演出テクニックはかなり正統的で、過去の監督の技を消化して効果的に使っていることがよく分かる。とくに本作ではマカロニウェスタンかと突っ込みたくなるような、効果的な人物の表情のズームアップの多用と、影を使った演出が印象的で、現在のCG画面のために演出が制限されたような堅い画面がなく、非常に古典的な映像テクニックを駆使してあまり画面を派手にしなくても素晴らしい効果を上げることが実証されている。この時代のスピルバーグ作品は演出の教科書と言ってもいいだろう。実はこの1作目は後の続編ほど金のかかったものではなく、はっきり言って豪華なB級映画のプロダクションなのだが、やはり本作の地味ながら壷を押さえた大人のアドベンチャー風味はシリーズのなかでも最高傑作と言えるだろう。
Led Zeppelin
俺はたとえば、ツェッペリンもドアーズも
もう過ぎた時代であって、過ぎた音だとおもってた
そこらのオヤジらが夜スコッチ揺らしながら聴いて
ひたってる寂しい音楽だとおもってた
でもそんなの全部クソだったんだよ俺の考えはクソだった
カッコよすぎだって
IDMもニューウェーブもハードコアもヒプホプもノイズもフォークも全部通過した耳で
この音はあまりにも古典的すぎるってことはまったく無かった
斬新でさえあったし、俺はツェッペリンに溺愛してしまったよもう乾杯!!
これ以上なに聴いたらいいんだよ?って人間にぜひ聴いてもらいたい
案外ドアーズとか、ここを疎かにしてるひとって多いんじゃないか