大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇 【DVD 】
竹野内さんのファンで観てみたんですが、
主人も小学生の娘たちも、ケラッケラ笑いました。
キャストが・・・(笑)そこにいるだけで笑えてしまう。
夫婦って、実はこんなゆるーいテンションで会話をしてるもんなんだよなぁって
リアル感がありました。
よそのうちだから、くすっと笑えるけど、自分ちだとため息。
決して、かっこいい〜竹野内さんがいる訳じゃないけど、
ラストの夫婦の笑顔が大好き。
ノブさん(竹野内さん)のファンになってしまいました。
なんかつまんないなぁって時に、また見ちゃう気がします。
大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇 【Blu-ray】
本作はどこをどう見ても「おちゃらけ」系の映画だと思うだろう。
確かにシュールでおバカな作品なのだが、思いのほか「深い」のだ。
本田監督も「GSワンダーランド」以降メジャー作を撮るようになってきた。
現世で同棲からそのまま結婚し、早くも倦怠期のふたりが、怪しい占い師に
導かれて1泊2日の「地獄旅行」に出かける。
主演の竹之内豊&水川あさみの「けだるい」芝居が最初は「?」なのだが、
これが地獄に行くと個性豊かな俳優たちに囲まれて、だんだん「精気」を取り戻して
くる過程が素晴らしい。
地獄で待ち受けるのは「青い顔をした人たち」と「赤い顔をした人たち」だ。
赤い人たちは凶暴だが、青い人たちは優しい。これは「地獄」といいながら「赤」=地獄
「青」=天国をイメージした設定になっており、まさかの感動巨編に繋がっていく。
地獄の俳優陣は久々の「良々」ワールド炸裂の荒川良々をはじめ、柄本明にでんでん、地獄案内人の
樹木希林に片桐はいりまで、もうこれ反則技に近いぞ(笑)。
地獄はまさにワンダーランドで、400階建てホテルにビーフシチュー温泉、ヘンテコなディナーまで
とにかく大笑いできる。
それから橋本愛である。
「告白」でブレイクしたあと「アバター」のような類似作品に主演したが、そこでは生彩がなかった。
ところが本作はどうだろう。青い顔の運転手として大木家夫婦を救助&案内していくうちに生まれる
「絆」。とにかく「目力」が強い女優なので、ラストで水川と交わすセリフは本作のテイストに
あるまじき(笑)感動を呼ぶのだろう。
特典映像もHDで監督の対談とメイキングが収録されているが、これ短かすぎである。
良々のバカ芝居に何度もNGを出す水川あさみが可笑しい。もうちょっと観たかったなあ・・・
本作は個人的に2011年の日本映画で最高作品です(ちなみに2010年は「春との旅」、その前は
「女の子ものがたり」)。騙されたと思って観てください。星は文句なく5つ。
愛でもない青春でもない旅立たない (講談社文庫)
前田司郎さんという人は全く知らなかったけど、群像に収められていた愛でもない青春でもない旅立たないは秀逸だった。
愛でもないし青春もしてないし旅立たないんだけど、作者と同世代の若者(少し前の大学生。今も同じなのかな?)の姿をよく描けてると思う。適当にアルバイトして、友達となんとなくつるんで、その中の一人と浮気しちゃって、彼女を失ってちょっと後悔する、そんな主人公の毎日はゆらゆらしながら続いていく。
すごい共感できた。そうだ、俺らはこんなんだって。特に何もないけど、思って感じて動いて話して生きてたぞって。意味なんてなかった毎日。
でも僕らの世代にしてみたら、このゆらゆらした毎日が「青春」だったのかもしれないって思った。愛でもない旅立たないけど青春だったかも。
濡れた太陽 高校演劇の話 (上)
この本の作者の前田司郎さんの仕事は、
劇作家であり
演出家であり
俳優であり
小説家でもあります。
演劇に関して言えば、劇団「五反田団」の主宰者でもありますから、もろにその世界の人って言う感じ。
そんな演劇の専門家が、演劇の小説を書いたんだから、面白くないはずない、ですよね。
『濡れた太陽』を読んでいると、「ああ、この人はほんとに演劇の世界で生きてる人なんだなぁ」って思う場面がいたるところにあります。
この小説の舞台になっているのは、高校生の演劇部ですから、その練習方法や演出方法、それに配役をどうするかとか、セリフをどうするかとか、いたるところに未熟な部分があって、その未熟さ故に、部員が衝突したり劇にまとまりが生まれなかったり、けっこう問題が起きちゃうんです。
これは当然っちゃ当然の話ですよね。
前田さんは、なんでこういう問題が起こるのか、うまーく文章の合間で説明してくれます。
そしてその言葉が、優しくて分かりやすい。
「この役は、ストーリーの展開に都合が良過ぎるから、逆に気持ち悪くて、役者は演じ辛かったりする。まだ太陽たちは、こういうことには気付けないけど、これからやっていくうちに分かるようになるのさ」
みたいな感じ。
買おうかどうか迷っている人は、
http://yuasasyacho.blogspot.jp/2012/06/blog-post_08.html
で検索してみて下さい。
ここよりももっと詳しく書いているので、きっと参考になると思います。
誰かが手を、握っているような気がしてならない
全知全能の神と、神の言葉が聞こえる少女、その姉と父母の物語。
誰かの会話と思考の声だけで物語は進行する。
ぼーと読んでいると、いつのまにか語り手が変わっていてびっくりするが、
そのくらい語り手の移り変わりが突然で、しかも前の語り手から、うまくスライドしている。
それが誰かと誰かの境界があいまいで、誰かに手を握られているという感覚につながる。
ただやはり、神とか存在とか時間とか、そういうことを扱うと、
登場人物の父親も言っているが、言語という限界が見えてしまう。
とても難しいことにトライしている小説ではないだろうか。