ローマ人の物語〈43〉ローマ世界の終焉〈下〉 (新潮文庫)
「第三部 帝国以後」では、紀元476年に「滅亡」したその後の西ローマ帝国の断末魔が描かれている。東ローマビザンツ帝国を治めるユスティニアス帝が、何を血迷ったか西ローマ帝国の再興を図ったからだ。したがって、本書では、西ローマ再興にかけて何度も呼び戻されることになる東ローマ帝国史上最高の武将ベリサリウスが紀元565年に65歳で死に、同年に83歳で死ぬユスティニアヌス帝の最後まで描かれることになるのだ。
以後、ローマはしばらくの間は蛮族ロンゴバルドが支配することになる・・・・・。
本書で「ローマ人の物語」は終わる。
著者が本書を書き始めた理由は、ただ一つ、「ローマ人をわかりたいと思ったから」だそうだ。
著者はわかったそうだが、果たしてわれわれ読者に塩野氏の想いは伝わったか・・・・。
チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)
少し前に読んだマキアヴェリの君主論から本書に興味を持ちました。君主論の体現者というよりは、むしろ君主論に大きな影響を与えた人物というのが正しいのかもしれません。チェーザレ・ボルジアは、父親であるローマ法王の権力を背景に、10年という短い期間でイタリア中部を権力下においた凄まじい人物です。冷酷なまでの判断力と烈火のごとき行動力、そして数々の疑惑をもったこの君主の物語は強く人をひきつけるものと思います。
本書の特徴は、チェーザレの心情にまでは踏み込まず、あくまで史実と多くの資料によって彼がどのような人物なのか書き出していることにあります。苛烈な野心は彼の行動から、状況を見極める冷静さは敵味方を区別する彼の政策やマキアヴェリとの会話から読み取ることができます。
また解説の沢木氏も触れているように、塩野女史はチェーザレに強い愛着を持っていることも読み取れます。これは妹のルクレツィアとのダンスの場面や最後の戦いの場面に見ることができ、いずれもチェーザレの容姿や振る舞いなどから男性としての攻撃的な魅力を感じます。
悪評の多い人物であり、私も心情的には肩入れしにく部分があります。しかしどこか心引かれる強力な熱をもった作品だと思います。
ピエタ
18世紀のベネティアの物語とは思えず、すんなりと感情移入でき、心地よく読める。
楽譜を探すことからミステリーの要素も含むという紹介もあるが、これは、謎解きではなく、物語の大事な核。楽譜はどうなったのだろうという疑問の解決だけでない深い意味がある。
語り手であるエミーリアをはじめとして、ピエタという慈善施設になんらかのかたちで関わった人たちの、またそのまわりで生きた人々の物語。
どの時代、どの場所であろうとも、誠実に生きた人々の善意に心洗われる思いがする。
そこに音楽がある。
窓辺で、ゴンドラで聞くゴンドリエーレの唄ううたに、その場にいるかのような感動を覚える。
とても素敵な深いお話。
ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉〈上〉 (新潮文庫)
自分の利害ではなく、自分のスタイルに準じて死を選ぶ
最後のローマ人・スティリコ。日本の武士道の美意識も
かつてはこうだったと思う。現代日本では完全に失われている
が、日本人の共感は呼ぶはず。
ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)
いままで歴史を少しは「知って」いるつもりになっていたけれど、例えてみればそれは繊細な細密画を、
太いクレヨンでなぞっていたようなものだったと
気づかされた。それも意味もわからず、テストに出るぞーなどと言われながらおーざっぱに。
本書は、これから長い時を刻むローマ帝国の、まさに誕生の時を記した本だ。
いわゆる歴史書なのだけれど、これが文句無く面白く、また分かり易い。
たぶん、膨大な資料を参考にしながら、最も分かり易くしかも自分の
意図が伝わるようにと著者が苦心した結果なのだろう。
そして臨場感がある。小説家としての本領発揮ということなのか、
学校の教科書ではけっして感じられないような
当時のローマ市民の息吹のようなものが感じられる。
これを読まなきゃ人生損しちゃうような一冊。