ハル (文春文庫)
常に独自の路線、というかテーマを追求している瀬名秀明。今回はロボット。本作の中で書かれるロボットたちは常に何らかの形で人間と関わっている。子どもの遊び相手、科学館の案内役や、地雷探査だったり。ロボットが密接に人に関わるようになったとき、何があるのか。そしてロボットに心はあるか。心というか魂、かな。リアルとSFの混同。ただ、そう遠くはないかもしれない。
文庫版では『ハル』に改題されているが単行本版の『あしたのロボット』のほうがいい形だろう。改題した理由はあるだろうが、本作で書かれているのは現在ではなく未来。あしたの物語たちである。あした、という手が届きそうで届かないという感覚も、個人的に好きかな。
面白いと思ったのはロボットを通じて人間の存在も見つめ直しているところだろう。これは、なかなか斬新で、かつ恐くもある。「夏のロボット」で人間を見つめ直し、最後の「アトムの子」でロボットを作ろうとする。「夏のロボット」と「亜季への扉」で感じた切なさは響く。人間以上にロボットと関わろうとしながらも感じる限界。
そのような思いの抱きながらも限界を超えるところにたどり着きたいのかも知れない。それが人間の、その畑の人間としての思いなのか。
長編にしてひとつの話を書くのでなく、連作中編という形で微妙にリンクしながら読めるのがなかなか。長編じゃおそらく読み応えがなかったのだろう。様々な“あした”を書きたいからこその連作集というのは、ただの設定だけじゃないはず。あとがきでも「現在を生きる私たちがどのように未来と付き合うか」と瀬名自身が記しているが、それだけ“あした”の方向性や改めて現在を見つめ直すことは必要なのだろう。このあとがきでもなかなか面白いんじゃないかと。思ったわけだが。
これからまた小説を精力的に書いていくようで、どのような手腕を発揮してくるか、どんなテーマで書き上げるのか楽しみだ。
3・11の未来――日本・SF・創造力
9・11以降、伊藤計劃という稀有な作家の存在によって日本SF小説も変わったが、では、3・11ではどうなのか、という関心を持って読んでみた。7月に亡くなった小松左京の巻頭のメッセージは良かったが...
その小松左京を始めとして、26名のSF作家、評論家たちの文章が、現実に起きた津波による災害、そしてその後今でも継続している原発の事故の実態をとらえきれなかった小説の想像力のなさのエクスキューズになっているような気がする。
もちろん、そうではないという反論もあるし、真摯な反省ものってはいるが、失礼な言葉で言えば浮世離れしている気がする。被災地の人々や復旧にあたった人たちには、そう思われても仕方がない。
でも、そもそも「SF」というジャンルにそこまで要求すべきなのか、という点も疑問。「浮世離れ」で何が悪いのかって開き直るつもりはないけど、現実は常に人間の想像力、創造力を上回るのではないか。そして、その現実を踏まえて、さらに創造していくという繰り返しなのでは。
この災害を経験したSF作家たちが、さらに優れたSF小説を生み出してくれることを一SF小説ファンとしては期待してやまない。
ミトコンドリアのちから (新潮文庫)
食事の量(=摂取カロリー)を極端に減らしても、タンパク質やビタミンなど最低限の栄養素があれば、人間は健康に生きられる、という説があって、そのメカニズムの核心に位置するのがミトコンドリアであるという。で、ミトコンドリアについて知りたくて本書を手に取った。結果は「当たり」である。
本書は、ミトコンドリアの機能や働きのメカニズムを分子レベルまで砕いて解説する。それだけではなく、ミトコンドリア研究の歴史も詳細に紐といていて、研究者たちがどのようにしてミトコンドリアの謎を解明していったのか、時代時代の背景もあわせて非常に興味深く読んだ。一般向けの科学読み物ではあるが、分子レベルの解説は適当にはしょったりしておらず、相当歯ごたえはある。一読して理解できるようなヤワなシロモノではないが、ともあれミトコンドリアについて知りたいことはこの本にほぼ全部書かれているだろうことはわかった。さて、これからが勉強だ。
思想地図β vol.2
この思想地図β2という3.11以降をテーマとした本の巻頭言で東浩紀は、
「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」ということばを記している。
ここだけ取り出すと、主観的ともとれる文章ではある。
文章をそのまま載せるのは不味い気がするので書いておくと、ここで言う、
「ばらばらになった」というのは単純に肉体的なものだけではなく、
人と人との係わり合いや、思想的な違い、金銭的な違いなど、埋めることが
難しい部分が「より」ばらばらになってしまったことを意図して書いてあるのだと、
文章を読み進め、その後の人たちの記事を読んでいくと分かる。
それは原発問題に特化するとすれば、情報を知ろうとする層と、情報を
知ろうとしない層との溝であり、携帯電話やパソコンを扱えない最新技術に
弱い層との溝であり、その溝が地震や津波、原発事故によって、
より深まったことで、表面上の繋がりにも大きく影響しはじめた3.11以降の
日常を端的にうまく言い表していると思う。
説明が必要な言葉ではあるが、正直に「なるほど」と思える。
この本では、震災以降という考えれば考えるほど最悪な事態に対して、
正面からそれをどう捉えるべきか、この後の一歩を
(もう遅いかもしれないけど)どう踏み出せばいいかについて
それぞれの意見、取材結果などを述べている。
震災以降も常に動き続けている言論人、知識人の方たちの記事、
対談は非常に価値がある情報だと思う。
現実は、かなり厳しい。
逃げ出したほうが賢い選択とも言えるかもしれない。
実際、僕の知人でも、多くの人が関西方面か海外に一時的なものも含め、
脱出を始めている、もしくは検討している人がいる。
残念ながらその理解を得ることが難しいため、まわりに言わないだけの
人もいるだろう。
宮台真治は3.11以前の状況を「終わらない日常」ということばで示したが、
3.11は、実はこの「終わらない日常」が終わった日であり、情報との
付き合い、人との付き合い、放射能との付き合いなど、様々な物事の
あるべき方向性が変わった日でもある。
(本の中に同じようなことが書かれていたと思う)
ところが、その現実は新聞やテレビでは報じられることは、非常に少なく、
相変わらず、むしろ以前の日常の延長線上に僕たちを戻そうと
躍起になっているように見える。
レールから外れた列車を元に戻そうとしているかのように、
その中で、日々ふわっとした、うまく言葉で表せない不安感を持っている人は、
現実を直視し、自分なりに行動したいと思っている人は、
この本を読んで欲しいと思う。
この本に答えは書かれていない。あくまでも問題を提示しているだけなのだろう。
前向きに捉えたものが多いが、けして面白おかしいことは書かれていない。
また、今の状況を見ると、この本を読んだ感想をまわりと共有することは
難しいだろう。
個人的には、まわりにもお勧めしたいと思ったので、星5という高めの評価を
つけさせていただいた。
ひとつだけ、確実に言えるのは、重要な情報は道端には転がっていないし、
タダではないということ。
そして、その情報を取捨選択する義務は自分自身にあり、その結果は
直接的に自分や自分の家族、近しい人たちに返ってくるということだ。
儲けの三分の一を震災のために寄付するという太っ腹な対応からも、
むしろ、この本に対する本気ぶりが伺える。
後、本のデザインもなかなか良いと思う。
小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団
話の所々にちりばめられた他作品のエピソードは著者がしっかりとドラえもんを見ている証明と共に、上手く話を膨らましておりとてもいい出来になってたと思います。
しかしあの人物を出したのはサービス精神の出し過ぎかと…。