快楽としての読書 日本篇 (ちくま文庫)
丸谷才一が、1970年代から2000年頃までの30年間に、週刊朝日に書き続けた書評から、120編くらいを集めたものである。最初の部分には、書評なるものがいかにして日本に定着してきたかが書かれているが、この3編は同じようなテーマであちこちに書き散らしたものを集めたもので、内容はかなり重複している。収められている書評は、週刊朝日に掲載したときには、それぞれ、その時々の時節に合わせて取り上げられたものだろうが、それらから拾い出して、「快楽としての読書」という刺激的なタイトルで、再度出版するというのはいかがなものだろうか。文庫本で1050円という価格も、ちょっと高すぎる。やがて1円の古本で出まわれば、まあ購入しても良いかもしれないが。
ユリシーズ 1 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
新潮文庫に収録されている『若い芸術家の肖像』の主人公、スティーヴン・
ディーダラスの話から本書は始まる。カレッジを出た彼は学校の臨時教師を
つとめつつ、いまいちイヤなやつマリガンと同居している。スティーヴンは、
信仰の問題から母の臨終の願いを拒んだことで良心の呵責を感じている。
一方、途中から登場の主人公レオポルド・ブルームは広告とりのユダヤ系の男。
歌手の妻モリーがいて、娘は15にして早くも働きに出ている。
1904年6月16日というたった一日の話である。スティーヴンはマリガンとの
会話・食事を経て、散策しつつ学校に給料をもらいに行き、新聞社にいって
飲みに誘う。
ブルームは朝食をつくったりしたあと、街へ出て、手紙を読み、風呂屋へ行き、
友人の葬式に出席し、新聞社へいき、仕事のために図書館へむかう。彼は、
今日の午後家をたずねてくるというボイランがモリーと寝るのではないかと
感じている。
朝から午後1時までの物語。それでもうこの厚さである。手が痛くなるぐらい。
物語自体はダブリンの一日で、まだビッグなことは何も起こらない。
会話も多く物語の筋は追ってゆけるが、難解なのは「内的独白」。
普通に、一貫して悩んでいることなどを書いてあるのならわかりやすいのだが、
この作品では、街を歩きながら、人に会いながら、次々に心に浮かぶことを
そのまま記述しているのだ。とりとめもない頭の中の思いを、すべて書き綴った感じだ。
こういうわけで「意識の流れ」と呼ぶのか!と、文学史でいやというほど
習った事柄がやっと実感として納得できた。
巻末には本一冊ぶんくらいの訳注(よくまあここまで調べたものだ)と、
ジョイスの年譜、登場人物解説、ダブリン地図つき。
国語入試問題必勝法 (講談社文庫)
清水氏の作品の特徴である「パスティーシュ」。もともとの意味はフランス語の美術用語で「模造品」を意味する。英語で言えば"Pasted"で、「こね合わせた」「ペースト状の」というような訳になる。これを文学作品に当てはめると、「文体模倣」「模写」「パロディ」ということになるのだろうが、清水氏はそれをさらに拡大させて、人間生活のあらゆる事象にユーモアを交えて味付けした文章と、ウィットに富んだ斬新な切り口で迫っている。
確かに国語入試問題必勝法などというものは存在しない。あるはずがない。でも、存在しないものを、ユーモアとウィットにあふれた文章で、あたかもあるように見せるのである。本当はあるかもしれないと思わせるのである。これこそが清水氏の世界なのであり、面白さなのだろう。
思考のレッスン (文春文庫)
敬愛するN先輩から『思考のレッスン』(丸谷才一著、文春文庫)を薦められた時は、正直言って、困惑してしまった。なぜならば、丸谷才一がジェイムズ・ジョイス大好き人間であり、丸谷訳の『ユリシーズ』を悪戦苦闘の末、読み終えたものの、どうしてもこの小説を好きになれなかったという苦い経験をしていたからである。
ところが、この『思考のレッスン』には、考えるためのヒントが詰まっていたのである。丸谷式考え方のこつを私なりに5つにまとめてみよう。●先ず大事なのは「問いかけ」である。つまり、「いかに、よい問いを立てるか」ということ。他人から与えられた問いではなく、自分自身が発した問いであるべきだ。●定説と違っても構わないと「度胸」を決めて考える。●考える際は「比較と分析」を行う。比較によって分析が可能になり、分析によって比較が可能となる。●「仮説」は大胆不敵に立てる。その際は自分の直感と想像力を信頼することだ。●仮説を検討するときは「大局観」を重視する。
あいさつは一仕事
本書は著者による『挨拶はむずかしい』、『挨拶はたいへんだ』に続くスピーチシリーズの3冊目。
もとより文壇の重鎮が披露するスピーチの極意を一般人が応用できるはずもなく、従来このシリーズは挨拶の姿をまとった文芸評論、随筆等として楽しんできた。今回作では特に弔辞・偲ぶ会での挨拶における故人の業績評価、とりわけ「大野晋氏葬儀での弔辞」と「井上ひさしさんお別れ会での挨拶」を興味深く読ませたもらった。
巻末収録の和田誠との対談で、著者はこれら3冊に収録していない「失敗作がいっぱいある」ことや、「準備したってなかなかうまくいくもんじゃないですよ。まして準備しなきゃだめですよ。」と語っている。一般人においてをや、であろう。