堺利彦伝 (中公文庫)
まさか堺利彦の伝記を新刊の文庫本で読むことになるとは思ってもみませんでした。
堺利彦といえば、日本で最初の探偵小説『無惨』を書いたり『鉄仮面』や『巌窟王』など数々の外国小説を翻案(原作を直訳ではなく意訳・創作する方法)して私たちが幻想・怪奇・冒険小説を読めるように種をまいてくれた黒岩涙香が創刊した日刊新聞『萬朝報(よろずちょうほう)』の記者として活躍し、たまたま大逆事件より早く逮捕されて難を逃れた後は、マルクス・エンゲルスらの『共産党宣言』の日本で最初の翻訳をはじめ、社会主義思想やロシア革命史や欧米文学の紹介のためなどに数多くの本を翻訳出版しただけでなく、日本社会党や日本共産党の結成に加わり、実際にも東京市会議員に当選して政治家になったこともあり、またエスペラント運動にも尽力した人物だったことは知る人ぞ知るところですが、どうして今なぜ堺利彦なのでしょうか。
そういえば、今でも実利的教養や教訓的人生論として、明治時代に書かれた福澤諭吉の『学問のすすめ』や『福翁百話』、勝海舟の『氷川清話』や西郷隆盛の『南洲遺訓』などを読む人もいるようですが、あるいは田中正造や中江兆民ならともかく、失礼ながらわざわざ堺利彦のそれも若い時代の自叙伝を読む人がはたしているのだろうかと思います。
どうやら、それはこの本の中で解説を書いている黒岩比左子の新しいアプローチによる再評価というものが原因しているようです。
何年ぶりかの再読ですが、たしかに今まで気づかなかったユーモアあふれる筆致で、私が知っている大杉栄や幸徳秋水や石川三四郎など同時代の誰よりも読ませる書き方というものを感じます。
本書と同時期に刊行後に52歳という若さで惜しくも亡くなった黒岩比左子の『パンとペン・・社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』によって、彼女は今まで誰も知らなかった堺利彦を発見して私たちに教えてくれたのです。
今までのあまり目だたない社会主義者としての存在だった堺利彦を、職につけず困っていた主義者たちに売文社という媒体を使って文章を書くという仕事を世話したり、その先駆として彼自らが書いたその才能は夏目漱石や森鴎外に注目され、黒岩涙香のむこうを張る貪欲さで膨大な翻訳本を、思想書だけでなく数々の名作小説を私たちに届けてくれたりという目の覚めるような活躍をした人として鮮やかに登場させてくれたのです。
パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い
大部である(448頁)とともに、内容が深く、濃い。堺利彦の生涯を描いたもの。
利彦の生涯は前半と後半とでそれぞれほぼ30年づつで、後半は社会主義を標榜する活動家として生きたのであるが、著者は利彦が「売文社」を起業したことに焦点をあて、そこに集った人々、社の独自な活動ぶりを丹念な調査をもとに活写している。
「売文社」というのは、今でいう「編集プロダクション」の先駆的なもので、書簡、演説、借金依頼などあらゆるものの分筆代理をなりわいとする会社である。浮き上がってくるのは、人間、利彦の魅力(ユーモアと不屈の精神)である。
初期は放蕩の繰り返しで、職業も転々とした。糊口を凌ぐために小説を書いた。一時、新聞記者をするも、その後黒岩涙香の「万朝報」に入社、社会主義に目覚めていく。並行して外国の小説(とくにバーナード・ショー)、思想書を次々に翻訳、もちろん社会時評的な論稿に健筆をふるった。文章の書き方読本をあらわしているし、売文社の仕事としてあらゆる種類の代筆を行っている。人の面倒見く、懐の深い人だったようで、仕事の世話、人生相談などもし、男女平等を唱え、家庭を大切にした。利彦の生きた時代は、社会主義運動にとっては「冬(厳寒)の時代」であり、大逆事件で幸徳秋水以下12名が死刑になり、大杉栄は虐殺された。利彦は幸徳秋水とも、大杉栄とも親交があり、両事件がおきたとき利彦は別件で監獄にいたので難をのがれた格好になった。人望があつかったことは、徳富蘆花、三宅雪嶺、有島武郎など数えきれない文人とのつきあいがあったことからもわかる。
その人生は波乱万丈の一語につきるが、本書は資料の裏づけを必ず行って細かい叙述をしていて、筆がすべっていないところがよい(著者は古書の収集家としても知られる。一例であるが荒川義英が所有していたクロポトキンの『麺麭の略取』が大杉栄からもらいうけたものであり、当時この本は発禁本だったので新渡戸稲造の「武士道」のハードカバーの表紙で偽装されたいたという記述は面白かった[著者はこの本を古書即売展で入手])[pp.279-282]。本書は後にいけばいくほど面白くなっていく。売文社が内部の確執で崩壊していくプロセスの記述もリアルである。
著者は、昨年、渾身でこの作品を上梓し、直後、他界された。まことに惜しい作家をなくしたものである。
共産党宣言―彰考書院版
何とクラシック音楽専門出版社と目してきた版元から『共産党宣言』が出た。本書は彰考書院1952年版の復刊であるという。アルファベータの代表・編集長の中川右介氏は、日共に対する呪詛を抱いているように思えるが、本書は幸徳秋水と堺利彦の歴史的名訳の復刻であり、なるほどと言う気もする。
翻訳は古めかしい語彙もないではないが、概ね平明であり、近年の訳本と比べても読みにくいということはない。これは歴史的翻訳として敬意を表すべきものであろう。
中身については、ゴタゴタ抜かしても仕方ない。評者は本書『共産党宣言』をいまだに現代理解の最上の解説書として読んでいる。
1910年の大逆事件で「縊られた」幸徳は、当時、世界的に見ても最も認識レベルの高い社会主義者であったと思う。田中正造の明治天皇への告発文を草し、クロポトキンや多くの社会主義・共産主義文書を世に紹介した魁としての仕事は、超人的であるといっても過言ではない。枯川堺利彦は稀に見るバランスの取れた民主主義者であったようだ。
彼ら2人の知的レベルは、現在の左翼陣営の知的レベルと比べても、おさおさ劣るものではない。いや、はるかに上ではなかろうか。殊に幸徳の『帝国主義』などは、当時世界レベルの認識であることは疑い得ない。現今、世界レベルの世界情勢認識を持っている思想家が一人でもいるだろうか。全くいないというのが実態である。
評者のような素人にはわからない学問的進歩というものがあるかも知れぬが、本書のレベルは現行訳書と比べても何らレベルが低いとは思われない。
52年版本書例言には、「戦前戦後『宣言』の邦訳は他に数種、いずれも本訳書に追随こそすれ、しかも決して凌駕し得ていない」とある。これは、21世紀の今日でも概ね正しいと言わざるを得ない。
万邦の労働者よ! いまこそ本書を読め。そして、団結せよ!!!
それは決して悪しき党派性の問題ではない。本書はグローバリズムの教科書なのである。