天使と悪魔
鴉はデビュー当時からファンでCDは全て持っていますが、今回のアルバムは「未知標」より万人受けする仕上がりだと感じました。
頻繁にあったシャウトも減り、ソフトな印象に聞こえます。
また、「数年前に流行ったあの曲にちょっと似てる?」というメロディーもいくつかあったので、多くの人の耳に馴染みやすいアルバムでもあると思います。
しかし、さすが鴉。
一筋縄ではいきません。
胸がドキッとするようなセクシーさがあったり、座右の銘にしたいような素晴らしい歌詞があったり、爽やかなメロディーの中に不気味さが漂っていたり。
大暴れこそしていないものの、じわじわと静かに迫り来る鴉の恐ろしさにすっかり憑かれてしまいました。
今度はアクの強いアルバムもいいですね。
努努-ゆめゆめ-
この曲を聴いてなんか歌詞や歌声がすごく好きでファンになりました。
ほんとにいいですよ この曲
サビの歌詞の【夢は見るもんじゃない、そう叶えるもんでしょう】ってところがたまんないですね。
それからボーカル(Taka)の声質が楽曲とマッチしていてとても聞きやすいですよ。
この作品を好きになった方は前作の【内秘心書】、miniアルバム2枚も聞いてみてください。
これからの活躍期待してるぞ!!! がんばれ
報道災害【原発編】事実を伝えないメディアの大罪 (幻冬舎新書)
本書は、3.11の東日本大震災の「報道」に関するフリージャーナリストの上杉隆と烏賀陽弘道の対談である。
まず、フリーランスライターの畠山理仁の巻頭言がとても小気味良い。
曰く、「孤独な二人である。」
これで、読者は、二人を良く知らない場合でも、なに、なに、と引きこまれて、本論の対談にすうっと没入できるだろう。
上杉隆は、同じ幻冬舎新書で『ジャーナリズム崩壊』、『記者クラブ崩壊』によって「記者クラブ」を権力と一体化した日本のメデイアシステムを「官報複合体」と呼び、長年批判しており、それに対抗するために、フリーランスの記者が参加できる「自由報道協会」を立ち上げた。
巻頭で、上杉は言う。「記者クラブは日本をきっと滅ぼすーー。」と。
烏賀陽弘道は、2003年に退社するまで朝日新聞社記者であった。その朝日新聞については、『「朝日」ともあろうものが』(河出書房新社)に詳しく記述されている。退社後も日本の新聞報道については、きめ細かくチェックしていて、日本の報道については、上記の『「朝日」ともあろうものが』を最後にして本を書くつもりはなかったという。
しかし、烏賀陽は、巻頭で言う。「この本を出すことで、私は、「誓い」を破る」と。
それほどまでに、3.11東日本大震災(3.11クライシス)についての日本のオールド・メディアの対応はひどかったのである。
日本の新聞・テレビを見ている読者は、これらの日本の報道の裏側、舞台裏を知らない場合が、多いだろう。それを、この二人のジャーナリストは、白日のもとに明らかにする。
そして、二人は、叫ぶのだ。「王様は、裸だ!」と。
本書は、とにかく、苦笑を堪えずには、読めない本である。
読後には、畠山が巻頭で記したように、”誰よりも報道を愛する男・烏賀陽弘道”、”フェアな言論の場を求める男・上杉隆”という言葉と人名が心に刻まれることだろう。
二人の対談は、3回にわたって行われたものをまとめたものである。
以下は、私が興味を引いたことについて書く。
「第1章 繰り返された悪夢ー70年目の大本営」では、3.11東日本大震災という日本の重大な危機に関する報道(オールドメディア)が、いかに多様性に乏しく、記者クラブに毒されたものになっているか、つまり、権力と融合し、単に、東京電力が言うままの「広報」となってしまっていること、また、被災・被爆したした地元の住民が逃げられずに生活しているにも拘わらず、大新聞の記者は、支局から逃げて自身は安全地帯にいてそれでも「報道」していること、また、いかに日本のメディアが東京電力に固陋されているかなど、ふだん通常の新聞を読んでいては得られない、大震災後の日本のマスコミの惨状が語られる。
そんな権力べったり、東京電力べったりの「報道」を見て、烏賀陽は、「人災」の意味を込めて、「報道災害」と呼んだ。この烏賀陽の発した「報道災害」が本書のタイトルとなったのである。烏賀陽によれば、「報道災害」という言葉の概念は、「報道が本来の役割・機能を果たさないことで国民の生命や財産に危機が及ぶ」とのことである。
「第3章 アメリカジャーナリズム報告2011」では、アメリカと日本の新聞・メディアとの違いについて、語られる。
烏賀陽は、震災前の2月にアメリカに行き、ジャーナリズムの現状について取材している。上杉は、ニューヨークタイムズ東京支局取材記者であった。どちらもアメリカのジャーナリズムのことは良く知っている。
烏賀陽によると、日本の新聞・メディアは、「まじめだけが取り柄」であるが、アメリカは、「interestingなものを書いて、市民が「自分たちの利益や関心(interest)に繋がっているんだ」と思えなければ、報道は市民との繋がりを失ってしまう。」という。
また、上杉によると、「ニューヨーク・タイムズ」というと、みんな高級紙だと勘違いするが、全員が素晴らしいジャーナリストというわけではない、という。烏賀陽によると、要するに個人商店(記者)の集まりだ、という。
「第4章 死にいたる病 記者シンドローム」では、日本の記者クラブなどによるメモ合わせ、テープ起こしは輪番制などアメリカでは信じられない習慣について語られる。
上杉や烏賀陽が言うように、「記者クラブ」という日本のメディアシステムは、オールドメディアの記者の劣化を促進する制度のようである。この「記者クラブ」によって、日本の新聞は、ますます貧していく・・。
さて、これから、日本の報道は、果たしてどうなっていくのか・・・・。また、日本のオールドメディアは、この本に対して、どう対応していくのか・・・・。無視し続けるか、或いは、反論を試みるか?