飛魂 (講談社文芸文庫)
中国奥地を彷彿させる幻想的な風景、素晴しい存在かと思わせて実はそうでもない宿舎の先生、「虎」という文字と交わる主人公、なぜか僕は多和田葉子の不条理を素直に受け入れてしまう。指姫、梨水、登場人物の名前はどう読むかわからないが不条理世界に心酔する要因となっている。あの世界で梨水のように生きたい。今でもそう思う。またあの世界を想像するのが心地よい。安らぎをもらい、心の支えになっていると言っても過言ではない。
絶版になっているため、先日区立図書館から借りて全ページコピーした。一般的には多和田葉子はなかなか受け入れられないのはわかっている。だからこそ自己満足でもいい、僕にとって値段の付けられない宝物だ。僕は一人淋しく、でも楽しく、何度でも「飛魂」を読み返す。
エクソフォニー――母語の外へ出る旅 (岩波現代文庫)
クレオール文学、越境者の文学、移民文学、外国人文学など。
バイリンガルの文学者がヨーロッパで講演活動や文学交流などをしていて気がついたことを書いている。
フランスの植民地だったセネガルでは「あなたのフランス語は標準フランス語と違いますね」というと「なまってますね」と同じくらい失礼にあたるんだとか、
フランス人は「ドイツ語で執筆活動をしているというけど、どうしてフランス語にしなかったのですか?」と言ってくる。日本人は中国語を学んでいる人に「どうして日本語にしないのですか?」とは言わないのと比べると、フランス人はフランス語中心主義。
多カ国語のスイスでは、フランス語圏の人は、パリの文学祭などにいってしまい、ジュネーブはドイツ語の文学がメインだとか。ヨーロッパの言語事情も読める。
右翼の台頭するハンガリーでは、移民にハンガリー語のテストをして落第したら祖国に送り返すなどの強制措置をとって、移民にむりやりハンガリー語を身に着けさせようとするけど、文学の現場では、移民のつたないハンガリー語を利用して新しい文学を掘り起こそうという動きにつながっているとか。
ヨーロッパ圏は、母国語ではないけどその国の言葉で文学をするこの著者のような人を保護するなど、母国語を守る動きが盛んなようです。
話者の少ないマイナー言語圏(ソルブ語とかクロアチア語とか)には、詩人の割合が多いそうです。マイナー言語で読者が足りないので、英語などで活動するようになるが、それがまた英語圏の文学に新しい風をもたらすことが多いのだとか。日本ももう少し多民族化しても面白いかもしれないと思う刺激的な本でした。
犬婿入り (講談社文庫)
「犬婿入り」は芥川賞を取って当たり前の完成度だが、私には理解できない作品だった。
イヤだったのは、「ペルソナ」。ヨーロッパ圏の言語を話し、その国の人々を生活を共にする。
たまに、街のショーウィンドーに映った顔は、能面のようで、自分の物だと気付いた時に立ちすくむ、喪失感。
そんな体験を、皮膚の感覚で伝えるのが「ペルソナ」だ。