加筆完全版 宣戦布告 上 (講談社文庫)
2001年当時、有事法制と国民保護法制はまだ存在しませんでした。
そういう状況で警察力が対応できないテロ集団が紛れ込むと何が起こるのか。この作品は、膨大な資料を通じてそれを明らかにしました。
ここに登場する防衛庁、警察庁、総務庁、郵政省。どの役所もこの問題に的確な答えを出せないまま犠牲者が拡大していきます。外務省に至っては、呼ばれもしないのに官邸に参じ、積極策に悉く反対した挙句、反対勢力への根回しを開始します。
思えば先の大戦も似たようなものでした。世界最強の歩兵と画期的な航空戦力を持ちながら、上層部が分裂・対立を繰り返して有効な戦略を繰り出せず、何万人もの有能な兵士を無駄死にさせてしまったのです。
この国は、末端が最高。トップが最低。その事実をまざまざと見せ付けた作品であるといえます。
宣戦布告 [DVD]
北朝鮮の特殊部隊が潜水艦に乗って、福井県の原子力発電所の付近に上陸してきます。これを、わが方が速やかに撃退しようとしたところ、平和思想や法律の不備により、かえって危険が昂上する緊急事態になります。これは、要するに日本のヴァルネラビリティ(脆弱性)をテーマにした映画です。
わたしたちの国は憲法9条というものをもっています。これは、理念としてではなく、実際の平和を守るためには、脆すぎるのではないかという現実的な問題が指摘されつづけてきました。「宣戦布告」の仮想敵国も、そこを衝いて攻撃を仕掛けてきます。理念を掲げただけでは、平和は守れませんでした。あくまでも映画の世界ですが、ありえなくもないようなリアリティを、政治に関心をもっている日本人なら、感じるのではないかと思います。
日本が防御と迎撃に本気で取り組む姿勢をみせたときにはじめて、敵国は撤退していきました。ここに、安全保障の基本思想があります。つまり、国防努力というのは、戦争をするためにあるのではありません。武力を発動する前に、国防の意志を示して、攻めてくる相手を躊躇させることにあります。
「宣戦布告」は、現代の日本の各種の要因がそれを妨げていることへの問題認識を提起していると思います。一見の価値があると思うので、五つの星の評価をつけさせていただきます。
外事警察 CODE:ジャスミン
麻生幾は、渡り歩いた大半の出版会社で、直情径行型の「三流作家」みたいな言われ方をしてきたが「CODE ジャスミン」はこれまでにないできばえと思う。相変わらず「ゆえに」がやたら多く出てくるし、女性言葉は気持ち悪いし、間違いも出現するが、起承転結、時系列、人物設定が小説らしくなった。予想外の展開と結末は見事で、サスペンスのレベルに達している。しかし、これまでの稚拙な文章やヘタな展開を差し引いても、麻生幾の魅力はディテールが「本物」であるという点で、これは誰も追随できない。驚くべきことに、この本に深く関わった複数の製作関係者が言うには、「筋」は多くの点で事実らしいとのことである。ただし「CODE ジャスミン」の前後の大エピソードは単にくっつけただけで、映画用に韓流ブームに乗る必要性から、全く意味のない韓国エピソードも挿入されている。実は、文中のマスコミの人間が麻生自身で、主要登場人物も実在している。「本になったいきさつも本に記載されているとおり」とのことである。こんな本は他にはない。麻生幾の無事を祈らずにはいられない。
ZERO〈上〉 (幻冬舎文庫)
日本の公安警察の実態については、例えば青木理氏の『日本の公安警察』(講談社現代新書)などで描出されているが、本書は余り表舞台に立つことのない公安警察官、警視庁公安部外事第二課に属する警部補を主人公とした警察小説である。
『極秘捜査』(文藝春秋)等を除き、麻生幾氏の小説を読んだのは、映画化された『宣戦布告』(講談社)に次いで2作品目であるけれども、『宣戦布告』では、やはり公安当局のインテリジェンス・エキスパートによるディスインフォメーション工作によって「日本の危機」を脱却した。『ZERO』では、このインテリジェンス・エキスパートに焦点をあて、中国大陸における逃避行など、多少破天荒ともいえるストーリー展開ではあるが、それなりに私は引き込まれ、読み切ってしまった。
ただ、後半はサブマリーナたちの微に入り細をうがつ描写が多く、後半の部分だけで別に1冊書いた方が良いのでは、と思われた。このあたりにもエンターテイメントという点で、本書の評価が別れる所以ではなかろうか。
加筆完全版 宣戦布告 下 (講談社文庫)
本書は2001年当時の日本において、有事が発生した場合に起こるであろう
状況をリアルに示した。。そこには想定外の事態に全く対応できない政治
・警察・自衛隊の姿が克明に描かれていた。その事実を知らなかった自分に
驚愕し、恐怖した。その後、現在に至るまで関連法制は整備され、状況は
変わっているらしい。だが、当時と今では何が変わって何が問題として残さ
れているのか、いまも知らない自分に更に慄然とした。
この問題は、単に当時法整備がなされていなかったということではなく、
何事も曖昧なままその時々のコンセンサス=解釈で物事に当たる国民性と、
武力問題を議論することへのアレルギー反応が根本的な問題であることを
示唆している。また、後半で描かれる、不信と恐怖がもたらす過剰な軍事力
投入の連鎖を見るとき、極限での判断を可能な限り排除する厳格な対応マニュ
アルの必要性とシビリアンコントロールの重要性は言を待たない。
戦争放棄の精神と、国民の生命と財産を守るということ。警備・防衛とは何
なのか。こうした点について、我々は単にタブー視して眼を背けるのではなく、
十分に議論する必要があるのではないか。そんな視点に立たせてくれる一書
であった。